目次
中巻 3 行基菩薩(1)
校訂本文
行基菩薩(ぎやうきぼさつ)はもと薬師寺の僧なり。俗姓(ぞくしやう)は高階氏(たかしなのうぢ)1)、和泉国大鳥郡の人なり。若くて頭を剃りて、はじめて瑜伽論(ゆがろん)を誦(ず)す。すなはちその心を明らかに悟りぬ。
あまねく諸国に遊びて、人をして法(のり)の道を知らしめて、仏の道におもむけて、仏法を行ひ勤めとして、行基過ぐる所には家にをる人なく、競(きほ)ひ出でて拝み奉る。悪しき道にいたりては、橋を造り堤(つつみ)を築きて渡し給ふ。よき所を見給ひては、堂を建て寺を造り給ふ。幾内には三十九所、他国にもはなはだ多し。その寺、今にあひつぎて栄ゆること今に絶えず。あまねく天(あめ)2)の下に歩(あり)き行きて、利益(りやく)せずといふ所なし。
故郷(ふるさと)に帰る時、ある人々池のほとりに集まりゐて、魚を取りて食ふ所あり。その前を過ぐるに、勇める人ども、捕へとどめて膾(なます)を作りて、あながちに勧め、しひて参らす。これをうけて、口の内に入れて、すなはち吐き出でたるを見れば、みなことごとく小さき魚となりて、また池に入りつ。見る人驚きて、戯れの咎(とが)を悔ゆ。かくのごとくに、奇(あや)しく妙(たへ)なることはなはだ多し。
古京3)元興寺の村人、大法会(だいほふえ)を設けて、行基菩薩を請じて、七日の間、法を説かしむ。男女僧尼多く来て見るに、その中に、一人の女の鹿の油を調(ととの)へて、いささか額の髪にひき塗りて、人に交じりて遠くをり。その傍らの人だに知らず。かかるに行基、はるかに見やりて云はく、「われ、はなはだ臭きものを見れば、かしこなる女の頭に獣(けだもの)の油を塗りてをる」と言へば、女、大きに恥ぢ恐りて、出でて去りぬ。見る人みな奇しみ驚く。かくのごときの奇しきこと、はなはだ多し。
翻刻
行基菩薩ハモト薬師寺ノ僧也俗姓ハ高階氏和泉国大 鳥郡ノ人也ワカクテ頭ヲソリテハシメテ瑜伽論ヲ誦ス 即其心ヲ明ニサトリヌアマネク諸国ニアソヒテ人ヲシテ 法道ヲシラシメテ仏ノ道ニオモムケテ仏法ヲオコナヒツト メトシテ行基スクル所ニハ家ニヲル人ナク競いててヲカミ タテマツルアシキ道ニイタリテハ橋ヲツクリ堤ヲツキテ ワタシ給ヨキ所ヲミ給テハ堂ヲタテ寺ヲツクリ給幾内/n2-22r・e2-19r
ニハ卅九所他国ニモ甚タヲホシ其寺イマニアヒツキテサカ ユル事イマニタヘスアマネク雨ノシタニアリキ行テ利益 セストイフ所ナシフルサトニ帰時或人々池ノホトリニアツ マリヰテ魚ヲトリテクフ所アリ其前ヲスクルニイサメル 人トモトラヘトトメテナマスヲツクリテアナカチニススメシヰ テマイラス是ヲウケテ口ノウチニイレテ即ハキイテタル ヲミレハミナコトコトクチヰサキ魚トナリテ又池ニ入ツ ミル人オトロキテ戯ノトカヲクユカク乃コトクニアヤ/n2-22l・e2-19l
https://dl.ndl.go.jp/pid/1145963/1/22
シクタエナルコト甚ヲホシ古京元興寺ノ村人大法会 ヲマウけテ行基菩薩ヲ請シテ七日ノ間法ヲトカシム 男女僧尼オホク来テ見ルニ其中ニ一人ノ女ノ鹿ノ アフラヲ調テ聊ヒタヒノカミニヒキヌリテ人ニマシリ天 トオクヲリソノカタハラノ人タニシラスカカルニ行基ハル カニミヤリテ云我甚クサキモノヲミレハカシコナル女ノ 頭ニケタモノノアフラヲヌリテヲルトイヘハ女大ニハチ ヲソリテイテテサリヌミル人ミナアヤシミヲトロクカク/n2-23r・e2-20r
ノコトキノアヤシキコト甚オホシ天朝(アメノミカト)フカクタウ/n2-23l・e2-20l