中巻 2 役行者
校訂本文
役優婆塞(えんのうばそく)、俗姓(ぞくしやう)は賀茂役公(かものえのきみ)、今は賀茂朝臣と1)と云ふ氏なり。名をば小角(をづぬ)といひき。大和国葛城の上郡(かみのこほり)千原村の人なり。
その心を<見れば、生まれながらに知ること広く、学びて悟り多し。三宝(さんぼう)を頼み仰(あふ)ぐこと、常の心ざしとす。仙を求むる志ありて、葛木山(かづらきやま)に住む。三十余年、窟(いはや)の中にゐて、藤の皮を着給ひ、松葉を食ひ物として、清泉を浴(あ)みて、身心の垢(あか)を洗ひ、孔雀王呪(くじやくわうじゆ)を習ひ行ひて、霊験をあらはし得たり。ある時には、五色の雲に乗りて、仙人の城に通ふ。
ここに、外従五位下韓国広足(からくにのひろたり)、初めはこれを敬ひて師としき。後にはその神のかしこきを見て、公家(おほやけ)に讒(ざん)して、「これは世を狂(たぶら)かす悪しき者なり。国のために悪しかるべし」と申す。
行者、諸(もろも)の鬼神を召し使ひて、水を汲ませ薪を取らしむ。これに従はぬ物なし。あまたの鬼神を召して云はく、「葛木山と金峰山(きんぶせん)とに橋を造り渡せ。われ通ふ道にせむ」と言ふ。諸の神ども、愁きて歎けども許さず。せためをほするに、思ひわびて、「昼は形醜し」とて、「夜に隠れて造り渡さむ」と云ひて、夜々(よるよる)急ぎ造るあひだ、行者、葛木の一言主(ひとことぬし)の神を召して捕へて、「何の恥づかしきことかあらむ。形を隠すべからず。すべてはな造りそ」と腹立ちて、呪をもちて神を縛りて、谷の底にうち置きつ。
藤原宮、天2)(あめ)の下を治め給ふ代に、一言主の神、人に付きて云はく、「役優婆塞、謀(はかりご)とをなして、国王を傾(かたぶ)け奉らむとす」と。
ここに公家(おほやけ)驚き給ひて、使をして捕らへしめ給ふに、空に昇り飛びて捕へられず。その代はりに母を捕へしめ給へば、行者、母にかはらむとて、心づから出で来たりて捕へられぬ。
すなはち、文武天皇三年己亥五月丁酉日、伊豆島へ流しつかはせば、海上に浮びて走るがごとし。山の巓(いただき)にゐて、飛ぶこと鳥のごとし。昼は公家に恐(かしこま)りて島にゐたれども、夜は駿河国の富士の峰に行きて行ふ。願ふ心は、「ただこの島をまぬかれて、公(おほやけ)の庭にして罪を受け伏さむ」と祈る。
三年を過ぎて、大宝元年辛丑五月に召し上ぐ。やうやく御前の庭に近付き候ふほどに、空に昇りて飛び失せぬ。月に乗り雲に隠れて、海に浮びて、遥かに去りて帰らず。
わが朝の道照法師(だうせうほふし)、勅を承りて、法を求めむがために唐土(もろこし)に渡りし時に、新羅(しんら)に3)五百虎の請(しやう)を受けて新羅に至れり。山の内にして、法華経を講ずる庭に人ありて、わが国の詞(ことば)にて疑ひをあげたり。道照和尚、「誰(たれ)ぞ」と問へば、答へて云はく、「われはもと日本国にありし役優婆塞なり。かの国の人、神の心も枉(まが)り、人の心も悪しかりしかば、去りにしなり。今も時々は通ひ行く」と言ふ。わが国の聖なりと知りて、そのかひに高座より下りて、拝み求むるに、たちまちに見えずなりぬ。
葛木の一言主の神は、この行者に縛られて、今にいまだ解けずといへり。続日本紀・霊異記4)・居士小野仲広が撰日本国の名僧伝等に見えたり。
古人伝へて云はく、「役行者、みづからは草座に乗りて、母をば鉢に乗せて唐へ渡りにけり」と言へり。葛木山の谷の底には、常に物の呻(によ)ふ声聞こゆるを、人尋ね至りて見れば、大きなる岩を大きなる藤纏(もと)ひ縛れるを疑ひて、その藤を切れども、すなはちまた元のごとくに成りわたりぬ。また橋の料(れう)にせし石は、削り造りて今に峰谷に多かりといへり。
翻刻
役優婆塞俗姓ハモトノエノキミイマハタタモノ朝臣(賀茂役公今ハ賀茂朝臣ト云或)ト 云氏也名ヲハ小角トイヒキ大和国葛城ノ上郡千原 村人也ソノ心ヲミレハムマレナカラニシル事ヒロクマナヒテ サトリオホシ三宝ヲタノミアフク事常ノ心サシトス仙ヲ モトムル志アリテ葛木山ニスム卅余年窟中ニヰテ/n2-19r・e2-16r
藤皮ヲキ給松葉ヲクヒ物トシテ清泉ヲアミテ身心ノ アカヲアラヒ孔雀王呪ヲナラヒ行テ霊験ヲアラハシエタ リ或時ニハ五色ノ雲ニノリテ仙人ノ城ニカヨフ爰ニ外従 五位下韓国広足ハシメハ是ヲウヤマヒテ師トシキ後ニハソノ 神ノカシコキヲミテ公家ニ讒シテ是ハ世ヲ狂(タフラ)カスアシキ 物也国ノタメニアシカルヘシト申行者諸ノ鬼神ヲメシツカヒ テ水ヲクマセ薪ヲトラシム是ニシタカハヌ物ナシアマタノ鬼神 ヲメシテ云葛木山ト金峰山トニ橋ヲツクリワタセ我カヨフ/n2-19l・e2-16l
https://dl.ndl.go.jp/pid/1145963/1/19
ミチニセムトイフ諸ノ神トモ愁テナケケトモユルサスセタメ ヲホスルニ思ワヒテヒルハ形ミニクシトテヨルニカクレテツクリ ワタサムト云テヨルヨルイソキツクルアヒタ行者葛木ノ一言主 ノ神ヲメシテトラヘテナニノハツカシキコトカアラム形ヲカク スヘカラススヘテハナツクリソトハラタチテ呪ヲモチテ神ヲ シハリテ谷ノソコニウチヲキツ藤原宮雨ノシタヲヲサメ給 ヨニ一言主ノ神人ニ付テ云役優婆塞ハカリコトヲナシテ 国王ヲカタフケタテマツラムトスト爰ニ公家オトロキ給テ/n2-20r・e2-17r
使ヲシテトラヘシメ給ニソラニノホリトヒテトラヘラレスソノ カハリニ母ヲトラヘシメ給ヘハ行者母ニカハラムトテ心ツカライテ キタリテトラヘラレヌ即文武天皇三年己亥五月丁酉日 伊豆島ヘナカシツカハセハ海上ニウカヒテハシルカコトシ山ノ巓 ニ居テ飛事鳥ノコトシヒルハ公家ニ恐テ島ニヰタレトモ 夜ハ駿川国ノ冨士峰ニユキテヲコナフネカフ心ハタタコノ島 ヲマヌカレテオホヤケノニハニシテ罪ヲウケフサムトイノル三年 ヲスキテ大宝元年辛丑五月ニメシアク漸ク御前ノ庭ニチカ/n2-20l・e2-17l
https://dl.ndl.go.jp/pid/1145963/1/20
ツキ候程ニソラニノホリテトヒウセヌ月ニノリ雲(クモ)ニカクレテウミ ニウカヒテハルカニサリテカヘラス我朝ノ道照法師勅ヲ承テ 法ヲモトメムカタメニモロコシニワタリシ時ニ新羅ニ五百虎ノ請 ヲ受テ新羅ニイタレリ山内ニシテ法華経ヲ講スル庭ニ人 アリテ我国ノ詞ニテウタカヒヲアケタリ道照和尚タレソトトヘハ 答云我ハモト日本国ニアリシ役優婆塞也彼国ノ人神ノ 心モ枉リ人ノ心モアシカリシカハサリニシ也今モ時々ハカヨヒユク トイフ我国ノ聖也トシリテソノカヒニ高座ヨリヲリテ/n2-21r・e2-18r
ヲカミモトムルニ忽ニミヘスナリヌ葛木ノ一言主ノ神ハ此 行者ニシハラレテイマニイマタトケストイヘリ続日本紀霊 異記居士小野仲広カ撰日本国ノ名僧伝等ニ見タリ 古人伝云役行者ミツカラハ草座ニ乗テ母ヲハ鉢ニノセ テ唐ヘワタリニケリトイヘリ葛木山ノ谷ノ底ニハ常 ニ物ノ呻(ニヨフ)コヘキコユルヲ人尋イタリテ見ハ大ナル岩(イハ)ヲ 大ナル藤モトヒ縛レルヲウタカヒテソノ藤ヲキレトモ即又 如元ニ成ワタリヌ又橋ノレウニセシ石ハ削造テイマニ/n2-21l・e2-18l
https://dl.ndl.go.jp/pid/1145963/1/21
峰谷ニオホカリトイヘリ/n2-22r・e2-19r