目次
中巻 1 聖徳太子(2)
校訂本文
この時に、国の中(うち)に病おこりて、死人多し。大連弓削守屋(おほむらじゆげのもりや)1)・中臣勝海王(なかとみのかつみのわう)とともに奏して申さく、「わが国はもとより神をのみ崇(あが)め奉る。しかるを、蘇我大臣(そがのおほおみ)2)、仏法といふことを尊び敬ふ。これによりて世の中に病おこりて、民みな絶えぬべし。この仏法をすみやかにとどめてのみなむ、人の命は残るべき」と言ふ。勅(みことのり)に云はく、「申すところすでに明らけし。すみやかに仏法をとどめ断ちてよ」と宣旨を給ふ。
太子3)奏し給ふ。「この両人は、いまだ因果を知らざるなり。善き事行へば福至り、悪しき事を行へば禍(わざわ)ひ来たる。この二人、今必ず禍ひにあひなむ」と奏すれども、しひて宣旨を下し、守屋の大連をもて寺につかはして堂塔をこぼち、仏経を焼き尽しつ。それに、焼け残れる仏経をば、難波の掘り江に捨て入れつ。三人の尼をば打ちれうじ、罵(の)り辱(はづかし)めて追ひ出だしつ。この日、大空(おほぞら)暗うなり、雲乱れて4)、大風吹き、大雨下(くだ)る。太子の宣はく、「夭(わざは)ひ盛りにして、たちまちにおこりなむとす」と宣ふ。
かくして後に、瘡(かさ)の病たちまちにおこりて、よろづの人病み痛む。その痛きこと、焼き割くがごとし。二人の大臣、ことに重き咎(とが)に当たりて、悔ひ悲しみて王に奏し申して云はく、「臣等(しんら)が病、苦しく痛きことさらに堪(た)へがたし。願はくは三宝(さんばう)に祈らむ」と。時に勅(ちよく)ありて、三人(みたり)の尼をもとのごとく召して、二人の大臣に分かち給ひて、祈らしめ給ふ。また焼きし寺をあらため造らしめ給ふ。焼き失ひてし仏経を求め、あらためてこれより始めてまた興し栄へしめ給ふ。
翻刻
ム太子ト大臣ト一心ニシテ三宝ヲヒロメムトオモフコノ時ニ 国中ニ病ヲコリテ死人ヲホシ大連弓削守屋中臣ノ勝海 王トトモニ奏シテ申サク我国ハモトヨリ神ヲノミアカメ タテマツル而ヲ蘇我大臣仏法トイフコトヲタウトヒウヤマフ コレニヨリテヨノ中ニ病オコリテ民皆タヘヌヘシ此仏法ヲスミ/n2-10l・e2-7l
https://dl.ndl.go.jp/pid/1145963/1/10
ヤカニトトメテノミナム人ノ命ハ乃コルヘキトイフミコトノリニ 云ク申トコロ已ニアキラケシスミヤカニ仏法ヲトトメタチテ ヨト宣旨ヲ給太子奏シ給此両人ハイマタ因果ヲシラ サル也善事オコナヘハ福イタリ悪事ヲ行ヘハ禍キタル 此二人今必スワサワヒニアヒナムト奏スレトモシヰテ宣旨 ヲクタシ守屋ノ大連ヲモテ寺ニツカハシテ堂塔ヲコホチ 仏経ヲヤキツクシツソレニヤケノコレル仏経ヲハ難波ノホリ 江ニステイレツ三人ノアマヲハウチレウシノリハツカシメテ追/n2-11r・e2-8r
出シツ此日大ソラクラウナリ雲ミタレテ(或ナクシテ)大風フキ大雨 クタル太子ノノ給ハク夭(ワサハヒ)サカリニシテ忽ニオコリナムトストノ 給カクシテ後ニかさの病忽ニオコリテヨロツノ人ヤミイタム其 イタキ事ヤキサクカコトシ二人ノ大臣コトニヲモキトカニアタリ テクヒカナシミテ王ニ奏申テ云臣等カ病クルシクイタキ コト更ニタヘカタシ願ハ三宝ニイ乃ラムト時ニ勅アリテ三人ノ 尼ヲモトノコトクメシテ二人ノ大臣ニワカチ給テイノラシメ給フ 又ヤキシ寺ヲアラタメツクラシメ給ヤキウシナヒテシ仏経ヲ/n2-11l・e2-8l
https://dl.ndl.go.jp/pid/1145963/1/11
モトメアラタメテコレヨリハシメテ又オコシサカヘシメ給太子ノ/n2-12r・e2-9r