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text:sanboe:ka_sanboe1-13c

三宝絵詞

上巻 13 施无(3)

校訂本文

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教へつる道より尋ね行きて、菴(いほ)のもとに至りぬ。目盲(めしひ)たる二人の祖(おや)、人の多く騒ぐを聞きて、「誰か来るぞ」と問へば、王、答へ給ふ、「われはこの国の王なり。なんぢが山1)に入りて、道を行ふなるを聞きて、ことさらに来たりて供養せむとするなり」と宣へば、驚きて、「はなはだかたじけなく貴し。異(こと)に新しき草の筵(むしろ)を侍(さぶら)ふ。しばらくここに休み給ふべし」と申して、筵を捜りて奉り敷く。王の宣はく、「この山に来たり住むに、安らかにして苦しや」と問ひ給へば、答へて申す、「国に大王います。吾に孝子あり。わが君の徳に世閑かに年豊かなり。われ子の養ふによりて、菓(このみ)を食ひ泉を飲む。さらに乏しき所なく、苦しきことなし。この山の菓子(このみ)聞こしめさむ。わが子、水を汲みにまかりぬ。今は返り来たりぬらむ」と申す。

王、堪(た)へずして、涙を流して宣く、「われ親の子を待つを見るに、痛きこと割くがごとし。われ山に入りて鹿を射つるに、誤りてなんぢが子に当てぬ。そのことの悲しきによりて、ことさらに来つるなり。今はただわれを憑(たの)め。子に替はりて養はむ」と宣へば、父母、これを聞きて、身を投げて倒れまろぶこと、大なる山の頺(くず)るるがごとし。王、手づから助け起こし給ふ。

泣き悲しびて申す。「わが子は慎しみ深くして、わがために咎(とが)なかりつ。今日、王の御為(おんため)に、いかなる誤りをなして殺され奉りぬるぞ。大きなる風にはかに吹き、山の鳥の泣き悲しびつるに、われこの山に来たりて二十余年を経ぬるにかくあらざりつれば、『わが子の谷に行きぬる。もし、いかなることかあらむ』と疑ひ悲しびつるに、すでに空しく去りにけり。いくばくの時をか経ぬる。死ぬるか、いまだ死なぬか」と申せば、王、つぶさに子の云ひつることを伝へて、「かく云ひてなむ死ぬる」と宣ふ。

祖(おや)、これを聞くに、いよいよ迷(まど)ひて申さく、「一人の子すでに死にけり。今は誰をか憑(たの)まむ。さだめて必ず死なむ。願はくは大王、われを引かしめて、わが子の死ぬる所に遣はせ。同じ所にして尸(かばね)とならむ」と云ふに、王、深く悲しびて、手づから二人の祖の手を取りて、引きてその所に将(ゐ)て至りぬ。

父は子の足を懐(いだ)き、母は頭(かしら)を懐きて、おのおの一つの手をもつて、共に胸の箭(や)を引く。母また舌をもつてその疵(きず)をねぶりて云はく、「毒の気、わが口に入りて、われを殺して子を生けよ。われは年老い目盲(めしひ)たり。必ずあひ替はりて死なむ」と云ふ。また父母、音(こゑ)を挙げて呼(さけ)び泣きて云はく、「わが子は孝子なり。仏に仕り法を持(たも)ち、僧を敬ひつ。もしその孝の心、天に知られたらば、子の箭(や)おのづから抽(ぬ)け出でて、その毒早く消え失せて、去れる魂(たましひ)返り来たり、絶えたる命さらに蘇(よみがかへ)れ。もしその孝の心、まことならずして、わが云ふことに注(しる)しなくは、つひにここに命を了(を)へて、同じく共に鹿にならむ」と叫び呼ばふ。

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泣ク教ツル道ヨリ尋ネ行テ菴ホノ許ニ至リヌ目盲ヒタル二
人ノ祖人ノ多ク騒クヲ聞テ誰カ久留曽ト問ヘハ王答ヘ
給フ我ハ此ノ国ノ王也汝カ出ニ入テ道ヲ行ナルヲ聞テ故
ラニ来テ供養セムト為ル也ト宣給ヘハ驚テ甚タ忝ケナク
貴シ異ニ新シキ草ノ筵ヲ侍フ暫ク此ニ休ミ可給シト申
シテ筵ヲ捜テ奉リ敷ク王ノ宣ハク此ノ山ニ来リ住ムニ/n1-48r・e1-45r
安ラカニシテ苦シヤト問ヒ給ヘハ答テ申ス国ニ大王伊坐ス吾ニ
孝子有我カ君ノ徳ニ世閑カニ年シ豊カ也吾レ子ノ養ニ
依テ菓ノミヲ食ヒ泉ヲ飲ム更ニ乏シキ所無ク苦シキ事
無シ此ノ山ノ菓子ミ聞食サム我子水ヲ汲ニ末加リヌ今ハ
返リ来リヌラムト申ス王不堪シテ涙ヲ流シテ宣ク吾レ親
乃子ヲ待ヲ見ルニ痛キ事如割シ吾レ山ニ入テ鹿ヲ射ツルニ
誤テ汝カ子ニ当ヌ其ノ事ノ悲シキニ依テ故ラニ来ツル也今ハ
只吾ヲ憑メ子ニ替テ養ハムト宣ヘハ父母此ヲ聞テ身ヲ
投テ倒フレ丸フ事大ナル山ノ如頺シ王手カラ助ケ起シ/n1-48l・e1-45l

https://dl.ndl.go.jp/pid/1145957/1/48

給フ泣キ悲テ申ス吾カ子ハ慎ミ深シテ我カ為ニ咎カ無
リツ今日王ノ御為ニ何ナル誤ヲ成シテ被殺奉リヌルソ大ナル
風俄ニ吹キ山ノ鳥ノ泣キ悲ヒツルニ我レ此ノ山ニ来テ廿余年
ヲ経ヌルニ加久阿良サリツレハ我カ子ノ谷ニ行キヌル若シ何ナル事カ
有ラムト疑ヒ悲ヒツルニ已ニ空シク去ニケリ幾ハクノ時ヲカ経ヌル死ヌルカ
未タ不死ヌカト申セハ王具サニ子ノ云ツル事ヲ伝ヘテ加久
云テナム死ヌルト宣マフ祖此ヲ聞ニ弥ヨ迷テ申サク一人ノ子
已ニ死ケリ今ハ誰ヲカ憑マム定テ必ス死ム願ハ大王我ヲ
令引テ吾カ子ノ死ヌル所ニ遣ハセ同シ所ニシテ尸ト成ラムト/n1-49r・e1-46r
云フニ王深ク悲テ手ツカラ二人ノ祖ノ手ヲ取テ引テ其ノ所ニ
将テ至ヌ父ハ子ノ足ヲ懐キ母ハ頭ヲ懐テ各々一ツノ手ヲ以テ
共ニ胸ノ箭ヲ引ク母又舌ヲ以テ其ノ疵ヲ祢不利テ云
ク毒ノ気我カ口ニ入テ我ヲ殺シテ子ヲ生ケヨ我レハ年
老目盲ヒタリ必ス相替テ死ナムト云フ又父母音ヲ挙テ呼
ヒ泣テ云我カ子ハ孝子也リ仏ニ仕リ法ヲ持チ僧ヲ敬マヒツ
若シ其ノ孝ノ心天ニ被知タラハ子ノ箭自ラ抽ケ出テ其ノ
毒早ク消エ失テ去レル魂ヒ返ヘリ来リ絶タル命更ニ蘇
カヘレ若シ其ノ孝ノ心不実シテ我カ云フ事ニ注シ無ハ遂ニ/n1-49l・e1-46l

https://dl.ndl.go.jp/pid/1145957/1/49

爰ニ命ヲ了ヘテ同シク共ニ鹿ニ成ラムト叫ケヒ呼フ此ノ時ニ/n1-50r・e1-47r

https://dl.ndl.go.jp/pid/1145957/1/50

1)
「山」は底本「出」。前田家本により訂正。
text/sanboe/ka_sanboe1-13c.txt · 最終更新: 2024/08/12 22:51 by Satoshi Nakagawa