text:sanboe:ka_sanboe1-13a
目次
上巻 13 施无(1)
校訂本文
昔、迦夷羅国(かいらこく)に長者ありき。夫とも妻も共に年老い、二つの目共に盲(めしひ)たり。ただ独りの子あり。其の名を施无(せむ)と云ふ1)心に十善を好み、丁寧(ねむごろ)に二人の祖(おや)に仕へ奉りき。父母、「深き山に入りて、仏の道を行はむ」と念(おも)ふ志あれども、家に一人の子を別れむことを悲しび、山にはあひ随(したが)ふべき人もなきを歎きて、空しく年月を送りて、その志を遂げず。
施无、父母に語りて云はく、「何によりてか、われを悲しびて、本(もと)の思ひをばとげ給はぬ。世はみな常(つね)無し。人の命は止(とど)まりがたし。早くそのことを遂げ給へ。われそひて養ひ奉らむ」と云へば、父母、大きに悦びて、すなはち家の内の物を数へて、あまねく貧き人に施す。
施无、二人の祖(おや)を将(ゐ)て行きて、深き山の中にすゑつ。草の菴(いほ)を結び構へ、蓬(よもぎ)の筵(むしろ)を重ね敷きて、滝の水を尋ね汲み、山の木の実を求め拾ふ。朝(あした)に出でて、木の実を取りて、いまだ先づみづから食はず。夜は必ず三度(みたび)起きて、寒く温かなるを見る。独り父母を養ひて、年月多く積もり、深く慈(いつくしび)の心のあるに、鳥獣みな馴れ感じ泣く。
翻刻
昔シ迦夷羅国ニ長者有キ夫トモ妻モ共ニ年老二ツノ目共ニ 盲タリ唯独リノ子有其ノ名ヲ施无ト云フ(或本云此/名善心云々)心ニ十善 ヲ好ミ丁寧ニ二人ノ祖ニ奉仕キ父母深キ山ニ入テ仏ノ道ヲ 行ハムト念フ志有レトモ家ニ一人リノ子ヲ別レム事ヲ悲シヒ山ニハ 可相随キ人モ無ヲ歎テ空シク年月ヲ送テ其ノ志ヲ不 遂ス施无父母ニ語テ云ク何ニ依テカ我ヲ悲テ本ノ思ヲハ 遂給ハヌ世ハ皆常無シ人ノ命ハ止リ難シ早ク其ノ事ヲ遂 ケ給ヘ我レ副テ奉養ラムト云ヘハ父母大キニ悦テ即家ノ 内ノ物ヲ数テ普ク貧キ人ニ施ス施无二人ノ祖ヲ/n1-45l・e1-42l
https://dl.ndl.go.jp/pid/1145957/1/45
将テ行テ深キ山ノ中ニ居ヱツ草ノ菴ヲ結ヒ構ヘ蓬キノ 筵ヲ重ネ敷テ滝ノ水ヲ尋汲ミ山ノ木ノ実ミヲ求メ 拾フ朝ニ出テ木ノ実ヲ取テ未タ先ツ自ラ不食ス夜ハ 必ス三度ヒ起テ寒ク温ナルヲ見ル独リ父母ヲ養テ年月 多ク積リ深ク慈ノ心ノ有ルニ鳥獣皆馴レ感シ泣ク于時ニ/n1-46r・e1-43r
1)
底本「或本云此名善心云々」と割注。
text/sanboe/ka_sanboe1-13a.txt · 最終更新: 2024/08/12 22:50 by Satoshi Nakagawa