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三宝絵詞

上巻 12 須大拏太子(5)

校訂本文

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その時に、かの翁、子を得て家に返りぬ。妻(め)の云はく、「この子は仕(つか)ふに堪へがたかりなむ。これを売りて、奴(つぶね)めを買へ」と云へば、翁、子を売るために隣の国に行くに、道を迷ひて本(もと)の宮に来たりぬ。見る人、みな、「これは太子の子、大王の孫なり」と云ふ。王に申せば、翁を召して問ひ給ふに、「太子に申ししかば給へるなり。人に売らむとて来たれるなり」と申す。王、大きに悲しび給ひて、子を膝の上にすゑ給ふに、登らず。王、「われを忘れにたるか」と宣給(のたま)へば、子の云はく、「昔は大王の孫なりき。今は民の仕(つかへびと)なり」と云ふ。王、泣きて強(し)ひて懐(いだ)きて、二人の子の直(あたひ)を問ひ給ふに、翁申ことあたはず。

子の申す、「男の子の直(あたひ)は少なく、女子の直は多かるべし」と云ふ。王、「などてかしかあるべき」と問ひ給へば、答へて云ふ、「太子は国王の御子なれども、遥なる山の中に追はれて苦しび多かり。このゆゑに、男の子の直は劣るべし。奉仕人(つかうまつりびと)は卑しき人の娘なりとも、親の宮の中(うち)に侍りて、楽しび多かり。このゆゑに、女子の直は増すべし」と云ふ。王、これを聞くに、いよいよ悲しびて、「年八つなる稚(をさ)なき子の云ふことの賢こくもあるかな」と宣ひて、直を給ひて、翁を返しつ。王、子に、「太子はいかでかある」と問ひ給へば、「木の実を食ひてなむいます」と云ふ。王、大きに涙を流して、使を遣りて、太子を呼び給ふ。

使、至りて、王の仰せごとを伝へて云はく、「『太子去りにしより、われも后も恋ひ悲しぶ。物も食はず、いも寝ずして年を送り、月を送るに、形も毎日劣り疲れて、命すでにあやふきに臨み1)にたり。早く還りてあひ見よ』と仰せ給ふ」と云ふ。太子の云はく、「王すでにわれを罪し給ふこと十二年なり。限るにただ一年を過ぐせり。年満ちなば、自然(おのづか)ら還りなむ」と云ふ。

使(つかひ)還りて王に申す。王、また手づから書(ふみ)を書きて、送りて宣はく、「太子は智(さと)り深き人なり。去りし時にも善(よ)く忍びしかば、還る時にもまた忍ぶべし。われを怨みて、もし還らずは、君を待ちて長く物食はじ」と書き給へり。太子、王の御(おほむ)文を読むに、后の恋ひ給ふことを思ひて、菴(いほり)を出でて、車に乗り、山を返り見て涙を落す。

国の人、悦びを成し、道を払ひ、香を焼き、楽(がく)を調(ととの)へて、太子を向へ奉る。賊(あた)の国の王、かの乞ひ取りし白き象に、鞍を荘(かざ)り置けり。財(たから)を持ちて造れり。また金(こがね)の鉢に銀(しろがね)の粟(あは)を盛り、鉄(くろがね)の鉢に銀の粟を盛りて、使をたちまちに道に立てて、咎(とが)を悔いて云はく、「われ、愚かにして乞ひ、誤まりて太子を罪せさせたり。初めは山に行くと聞きて、悲しひ堪へがたかりき。今は宮に還ると聞きて、悦び極まりなし。この白象を返し送り、金の粟を副へ奉る、願はくは、わが志を納めて、わが罪を免せ」と云へり。太子、象を送れるをば返し遣りて、使を送れることを悦び云ふ。

または、父の王、象に乗りて、出でてあひ迎ふ。母の后、子を見て悦びて、共に語らふ。大王、宝を譲ることすべてて量りなし。太子、人に施すこと、いよいよ先に過ぎたり。これより後、民の宅(いへ)豊かに富みて、盗人絶え、獄(ひとや)失せぬ。怨(あた)の国来たるに随ひて、戦ひ止み、世平らかに成りにき。

昔の須檀那太子は、今の釈迦如来なり。『太子須檀那経』・『六度集経』等に見えたり。

『西域記』2)に云はく、「檀徳山の中に卒都婆あり。太子の昔住みし所なり。その辺(ほとり)にまた卒都婆あり。太子の子を授けし所なり。婆羅門の子を得て打ちし時に、血流れ土を染めき。今にも諸(もろもろ)の草木、みな赤色なり」と云へり。

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物ヲ施セムトナム思フト云ヘハ帝尺善哉ト讃メテ失ヌ其ノ時ニ
彼ノ翁子ヲ得テ家ニ返ヌ妻ノ云ク此ノ子ハ仕フニ難堪カリナム
是ヲ売テ奴メヲ買ヘト云ヘハ翁子ヲ為売メニ隣リノ国ニ
行ニ道ヲ迷テ本ノ宮ニ来ヌ見ル人皆是レハ太子ノ子大王
ノ孫ナリト云フ王ニ申セハ翁ナヲ召シテ問ヒ給ニ太子ニ申シカハ
給ヘル也人ニ売ラムトテ来レル也ト申王大キニ悲ヒ給テ子ヲ
膝ノ上ヘニ居ヱ給フニ不登ス王我ヲ忘レニタルカト宣給ヘハ子/n1-43r・e1-40r
ノ云ク昔ハ大王ノ孫ナリキ今ハ民ノ仕ナリト云フ王泣テ強テ
懐タキテ二人ノ子ノ直ヲ問ヒ給ニ翁申事不能ス子ノ申男ノ
子ノ直ハ少ク女子ノ直ハ可多ト云フ王那止天カ然可有ト
問ヒ給ヘハ答テ云フ太子ハ国王ノ御子ナレトモ遥ナル山ノ中ニ被追
テ苦ヒ多カリ是ノ故ニ男ノ子ノ直ハ可劣ルヘシ奉仕人ハ卑キ
人ノ娘ナリトモ親ノ宮ノ中ニ侍テ楽ヒ多カリ是故ニ女子ノ直ハ
可増ト云フ王是ヲ聞ニ弥ヨ悲テ年八ナル稚ナキ子ノ云フ事
ノ賢コクモ有ル哉ナト宣マヒテ直ヲ給テ翁ヲ返シツ王子ニ太子ハ争
カ有ルト問ヒ給ヘハ木ノ実ミヲ食ヒテナム伊坐スト云フ王大キニ/n1-43l・e1-40l

https://dl.ndl.go.jp/pid/1145957/1/43

涙ヲ流シテ使ヲ遣テ太子ヲ呼ヒ給フ使至リテ王ノ仰セ事ヲ
伝テ云ク太子去リニシヨリ我モ后モ恋ヒ悲フ物モ不食スいモ
祢スシテ年ヲ送リ月ヲ送ルニ形モ毎日劣リ疲テ命チ既ニ
あやふきニ望ミニタリ早ク還テ相見ヨト仰セ給フト云フ太子ノ云ク
王既ニ我ヲ罪為給フ事十二年也リ限ルニ只一年ヲ過セリ
年満チナハ自然ラ還リナムト云フ使還テ王ニ申ス王又手ツカラ
書ヲ書テ送テ宣ハク太子ハ智リ深キ人也去シ時ニモ善ク
忍ヒシカハ還ル時ニモ又可忍我レヲ怨テ若シ不還ハ君ヲ待
テ長ク物不食シト書キ給ヘリ太子王ノ御ム文ヲ読ニ后ノ
恋ヒ給フ事ヲ思テ菴リヲ出テ車ニ乗リ山ヲ返リ見テ/n1-44r・e1-41r
涙ヲ落ス国ノ人悦ヲ成シ道ヲ払ヒ香ヲ焼キ楽ヲ調テ
太子ヲ向ヘ奉ル賊ノ国ノ王彼ノ乞ヒ取シ白キ象ニ鞍ヲ荘リ
置ケリ財ヲ持テ造リ又金ノ鉢ニ銀ノ粟ヲ盛リ鉄ノ鉢ニ
銀ノ粟ヲ盛リテ使ヲ忽ニ道ニ立テ咎ヲ悔テ云ク我レ愚
ニシテ乞ヒ誤テ太子ヲ罪為サセタリ初ハ山ニ行ト聞テ悲ヒ難堪
カリキ今ハ宮ニ還ルト聞テ悦ヒ無極シ是ノ白象ヲ返シ送リ
金ノ粟ヲ奉副ル願クハ我カ志ヲ納テ我カ罪ヲ免セト云ヘリ
太子象ヲ送レルヲハ返シ遣テ使ヲ送レル事ヲ悦ヒ云フ又ハ父
ノ王象ニ乗テ出テ相ヒ迎フ母ノ后子ヲ見テ悦テ共ニ/n1-44l・e1-41l

https://dl.ndl.go.jp/pid/1145957/1/44

語フ大王宝ヲ譲ル事惣テ無量シ太子人ニ施ス事弥ヨ
先キニ過タリ是レヨリ後民ノ宅豊カニ冨テ盗人絶エ獄トヤ
失ヌ怨ノ国来ルニ随テ戦カヒ止ミ世平カニ成リニキ昔ノ
須檀那太子ハ今ノ釈迦如来也太子須檀那経六度集経等ニ
見タリ
 西域記ニ云檀徳山ノ中ニ率都婆有リ太子ノ昔シ住シ
 所ナリ其ノ辺ニ又率都婆有リ太子ノ子ヲ授シ所也
 婆羅門ノ子ヲ得テ打シ時ニ血流土ヲ染キ今ニモ諸ノ
 草木皆赤色也ト云ヘリ/n1-45r・e1-42r

https://dl.ndl.go.jp/pid/1145957/1/45

1)
「臨」は底本表記「望」
2)
『大唐西域記』
text/sanboe/ka_sanboe1-12e.txt · 最終更新: 2024/08/12 22:35 by Satoshi Nakagawa