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上巻 12 須大拏太子(1)
校訂本文
昔、折波羅国(しやくはらこく)の王、ただ独りの子ありき。須太那(すだな)1)と云ひき。形勝(すぐ)れて、耀くがごとし。心に深く人を憐れぶ。貧しき人、近きも遠きも集まり来たりて物を乞ふ。王の財(たから)、免(ゆる)し任(まか)せたれば、乞ふに随(したが)ひて必ず与ふ。
王、一つの白き象あり。力、六十の象に等し。賊(あた)国に来たり戦ふ時に、必ずこの象勝つ。賊の王、謀りごとをなして、鹿の皮を着、杖をつきたる貧しき者八人(やたり)を造りて、太子のもとに遣(や)りて、この象を乞はしむ。太子の念(おも)はく、「これは王の重き財(たから)なり。失ひては必ず罪を負ひなむ」と云ふに随ひてなほ乞へば、また思はく、「もしこの人の願ひを満てずは、われもとの誓ひ違(たが)ひなむ」と思ひて、金(こがね)の鞍を置きて与へつ。八人、皆乗りて、喜び笑みて去りぬ。
大臣、驚きて王に申さく、「太子、財(たから)を尽くして人に施し、倉みなやうやく空しくなりぬ。また象を取りて賊に与へつれば、国すでに破れなむとす。なほ重く誡(いまし)め給へ」と申す。王、大きに驚き歎く。大臣申さく、「なほ太子を追ひ出でて、国の堺(さかひ)を出だしてむ。深き山に込めて、十二年を限りとせむ」と定む。王、これに随ひて、使(つかひ)を遣りて云はしむ。「象は賊(あた)をふせぐ財なり2)。賊に授けつるは、国を破るなり。このこと忍びがたし。早くわが国を去りて、檀徳(だんとく)の山に行きね」と云はしめ給ふ。太子の云はく、「王、すでに衆(もろもろ)の財を免して、『意(こころ)に任せて用ゐよ』と宣ひき。『象も同じく王の財なるは、免さるる内に有るべし』と思ひて、申さずして与へつるなり。ただし、今はあへて仰せを背かじ」と申さしむ。
翻刻
昔折波羅国ノ王只独ノ子有キ須太那ト云キ形勝レテ 如耀シ心ニ深ク人ヲ憐レフ貧シキ人近キモ遠キモ集リ来テ 物ヲ乞フ王ノ財免ルシ任タレハ随乞テ必ス与フ王一ツノ白キ象 有力六十ノ象ニ等シ賊国ニ来リ戦フ時ニ必ス此象勝ツ 賊ノ王謀リ事ヲ成シテ鹿ノ皮ヲ着杖ヲツ木太留貧キ 物八人ヲ造テ太子ノ許ニ遣テ此象ヲ令乞ム太子ノ念 ハク是レハ王ノ重財也リ失ヒテハ必ス罪ヲ負ナムト云フニ随テ 猶乞ヘハ又思ク若シ此人ノ願ヒヲ不満スハ吾レ本ノ/n1-36l・e1-33l
https://dl.ndl.go.jp/pid/1145957/1/36
誓ヒ違ヒナムト思テ金ノ鞍ヲ置テ与ヘツ八人皆乗テ喜ヒ咲 ミテ去リヌ大臣驚テ王ニ申サク太子財ヲ尽シテ人ニ 施シ倉ラ皆漸空ク成ヌ又象ヲ取テ賊ニ与ツレハ国已ニ 破レナムトス猶重ク誡メ給ヘト申ス王大ニ驚キ歎ク大 臣申サク猶太子ヲ追ヒ出テテ国ノ堺ヲ出シテム深キ 山ニ込メテ十二年ヲ限リト為ムト定ム王是ニ随テ使 ヲ遣テ令云ム象ハ賊ヲ不世久時也リ賊ニ授ツルハ国ヲ 破ル也リ此事難忍早ク我カ国ヲ去テ檀徳ノ山ニ 行ネト令云給フ太子ノ云ク王已ニ衆ノ財ヲ免シテ/n1-37r・e1-34r
任意テ用ヨト宣ヒキ象モ同ク王ノ財ナルハ被免ルル内ニ 可有ト思ヒテ不申シテ与ツル也但今ハ敢テ仰ヲ不背 シト令申ム太子妻有リ国王ノ娘メ也リ形無双ク/n1-37l・e1-34l