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古本説話集
第53話 丹後国の成合の事
丹後国成合事
丹後国の成合の事
校訂本文
今は昔、丹後の国は北国にて、雪深く、風けはしく侍る。山寺に観音験じ給ふ。
そこに貧しき修行者籠りにけり。冬のことにて、高き山なれば、雪いと深し。これにより、おぼろげならずは、人、通ふべからず。この法師、糧(かて)絶へて、日ごろ経るままに、食ふべき物なし。雪消えたらばこそ、出でて乞食(こじき)をもせめ、人を知りたらばこそ「とぶらへ」とも言はめ、雪の中なれば、木草の葉だに食ふべき物もなし。
五六日請ひ念ずれば、十日ばかりになりにければ、力もなく、起き上がるべき心地もせず。寺の辰巳の隅に破れたる蓑うち敷きて、木もえ拾はねば、火もえ焚かず。寺はあばれたれば、風もたまらず。雪もさはらず、いとわりなきに、つくづくと臥せり。物のみ欲しくて、経も読まれず、念仏だにせられず、ただ今を念じて、「今しばしありて、物は出で来なん。人は訪ひてん」と思はばこそあらめ、心細き事限りなし。
今は死ぬるを限りにて、心細きままに、「この寺の観音頼みてこそは、かかる雪の下、山の中にも臥せれ、ただ一人だに声を高くして『南無観音』と申すに、もろもろの願ひ、みな満ちぬることなり。年ごろ仏を頼み奉りて、この身いと悲し。日ごろ観音に心ざしを一つにして、頼み奉るしるしに、今は死に侍りなんず。同じき死にを、仏を頼み奉りたらむばかりには、終りをもたしかに乱れずとりもやするとて、この世には今さらにはかばかしき事あらじとは思ながら、かくし歩き侍り。などか助け給はざらん。高き位を求め、重き宝を求めばこそあらめ。ただ、今日食べて、命生くばかりの物を求へてたべ」と申ほどに、戌亥の隅のあばれたるに、狼追はれたる鹿(しし)入り来て、倒(たう)れて死ぬ。
ここにこの法師、「観音の賜びたるなむめり」と、「食ひやせまし」と思へども、「年ごろ仏を頼みて行ふこと、やうやう年積りにたり。いかでかこれをにはかに食はん。聞けば、生き物みな先の世の父母なり。我もの欲しと言ひながら、親の肉(しし)をほふりて食らはん。物の肉を食ふ人は、仏の種を断ちて、地獄に入る道なり。よろづの鳥けだ物も、見ては逃げ、走り、怖ぢ、騒ぐ。菩薩も遠ざかり給ふべし」と思へども、この世の人の悲しきことは、後の罪もおぼえず、ただ今生きたるほどの堪へがたさに堪へかねて、刀を抜きて、左右(さう)の股(もも)の肉を切り取りて、鍋に入れて煮食ひつ。その味はひの旨(むま)きこと限りなし。
さて、物の欲しさも失せぬ。力も付きて、ひと心地おぼゆ。「あさましきわざをもしつるかな」と思ひて、泣く泣くゐたるほどに、人々あまた来る音す。聞けば、「この寺に籠りたりし聖は、いかになり給ひにけん。人通ひたる跡もなし。参り物もあらじ。人気(ひとけ)なきは、もし死に給ひにけるか」と口々に言ふ音す。「この肉を食ひたる跡を、いかでひき隠さん」など思へど、すべき方なし。「また、食ひ残して鍋にあるも見苦し」など思ふほどに、人々、入り来ぬ。
「いかにしてか、日ごろおはしつる」など、めぐりを見れば、鍋に檜の切れを入れて、煮食ひたり。「これは食ひものなしと言ひながら、木をいかなる人か食ふ」と言ひて、いみじくあはれがるに、人々、仏を見奉れば、左右の股を新しくゑり取りたり。「これは、この聖の食ひたるなり」とて、「いとあさましきわざし給へる聖かな。同じ木を切り食ふ物ならば、柱をも破り食ひてん物を。など仏を損ひ給ひけん」と言ふ。驚きて、この聖見奉れば、人々言ふがごとし。
「さは、ありつる鹿は仏の験じ給へるにこそありけれ」と思ひて、ありつるやうを人々に語れば、あはれがり、悲しみあひたりけるほどに、法師、泣く泣く仏の御前に参りて申す。「もし仏のし給へることならば、もとの様にならせ給ひね」と返々申しければ、人々見る前に、もとの様になり満ちけり。
されば、この寺をば成合(なりあひ)と申し侍るなり。観音の御しるし、これのみにおはしまさず。
翻刻
いまはむかしたんこのくには北くににて ゆきふかくかせけわしく侍やまてらに観/b152 e78
音けんし給そこにまつしき修行者こも りにけりふゆのことにてたかきやまなれは ゆきいとふかしこれによりおほろけならす は人かよふへからすこの法師かてたへてひころ ふるままにくふへき物なしゆききえたらはこそ いててこしきをもせめ人をしりたらはこそ とふらへともいはめゆきの中なれは木くさ のはたにくふへき物もなし五六日こひねん すれは十日はかりになりにけれはちからも なくおきあかるへき心ちもせすてらのたつ/b153 e78
みのすみにやれたるみのうちしきて木も えひろはねは火もえたかすてらはあはれたれ は風もたまらすゆきもさはらすいとわりな きにつくつくとふせり物のみほしくて経もよ まれす念仏たにせられすたたいまをね むしていましはしありてものはいてきなん 人はとひてんと思ははこそあらめこころほそき 事かきりなしいまはしぬるをかきり にて心ほそきままにこのてらのくわんをん たのみてこそはかかるゆきのした山の中にも/b154 e79
ふせれたたひとりたにこゑをたかくして南無 観音と申すにもろもろのねかひみなみちぬる ことなり年ころほとけをたのみたてまつ りてこのみいとかなしひころくわんをんに 心さしをひとつにしてたのみたてまつるし るしにいまはしに侍なんすおなしきしに を仏をたのみたてまつりたらむはかりに はをはりをもたしかにみたれすとりもや するとてこのよにはいまさらにはかはかしき 事あらしとは思なからかくしありき/b155 e79
侍なとかたすけ給さらんたかきくらゐを もとめおもきたからをもとめはこそあらめたた けふたへていのちいくはかりの物をもとへてたへ と申ほとにいぬゐのすみのあはれたるに おほかみにをはれたるししいりきてたうれてし ぬここにこの法師くわんをんのたひたるな むめりとくひやせましとおもへともとしこ ろほとけをたのみてをこなふことやうやうとし つもりにたりいかてかこれをにわかにくわん きけはいき物みなさきのよのちちはは也我もの/b156 e80
ほしといひなからおやのししをほふりてくらはん 物ゝししをくふ人は仏のたねをたちてちこく にいるみち也よろつのとりけた物もみてはにけ はしりをちさはくほさつもとをさかり給へし と思ともこのよのひとのかなしきことは後のつ みもおほえすたたいまいきたるほとのたへかた さにたへかねてかたなをぬきてさうのももの ししをきりとりてなへにいれてにくひつそ のあちはひのむまきことかきりなしさて 物ゝほしさもうせぬちからもつきてひとここち/b157 e80
おほゆあさましきわさをもしつるかなと思 てなくなくゐたるほとにひとひとあまたくるをと すきけはこのてらにこもりたりしひし りはいかになり給にけん人かよひたるあとも なしまいり物もあらしひとけなきはもし しに給にけるかとくちくちにいふをとすこの ししをくひたるあとをいかてひきかくさんな と思へとすへきかたなし又くひのこしてなへに あるもみくるしなと思ほとに人々いりきぬ いかにしてかひころおはしつるなとめくりを/b158 e81
みれはなへにひのきのきれをいれてにくひ たりこれはくひものなしといひなから木をい かなる人かくふといひていみしくあはれかるに ひとひとほとけをみたてまつれは左右のももを あたらしくゑりとりたりこれはこのひしりの くひたるなりとていとあさましきわさし たまへるひしりかなおなしきをきりくふ 物ならははしらをもわりくひてん物をなと ほとけをそこなひ給けんといふおとろきて このひしりみたてまつれは人々いふかことし/b159 e81
さはありつるししはほとけのけんし給へるに こそ有けれと思ひてありつるやうを人々に かたれはあはれかりかなしみあひたりける ほとにほうしなくなくほとけの御まへにまいり て申もしほとけのし給へることならはもとの 様にならせ給ねと返々申けれは人々みる まへにもとの様になりみちけりされはこの 寺をはなりあひと申侍なり観音の御しるし これのみにおはしまさす/b160 e82