古本説話集
第2話 公任大納言、屏風歌遅く進ずる事
公任大納言屏風哥遅進事
公任大納言、屏風歌遅く進ずる事
校訂本文
今は昔、女院1)、内裏へはじめて2)入らせおはしましけるに、御屏風どもをせさせ給て、歌詠みどもに詠ませさせ給ひけるに、四月、藤の花面白く咲きたりけるひらを、四条大納言3)、あたりて詠み給けるに、その日になりて、人々歌ども持て参りたりけるに、大納言遅く参りければ、御使して、遅きよしをたびたび仰せられつかはす。
権大納言行成4)、御屏風たまはりて、書くべきよし、なし給ひければ、いよいよ立ち居待たせ給ふほどに、参り給へれば、歌詠ども、「はかばかしき5)どもも、え詠み出でぬに、さりとも」と、誰も心にくがりけるに、御前に参り給ふや遅きと、殿の、「いかにぞ、あの歌は。遅し」と、仰せられければ、「さらにはかばかしく仕らず。悪くて奉りたらんは、参らせぬには劣りたる事なり。歌詠むともがらの優れたらん中に、はかばかしからぬ歌、書かれたらむ。長き名にさぶらふべし」と、やうにいみじくのがれ申し給へど、殿、「あるべき事にもあらず。異人の歌なくても有なむ。御歌なくは、大方色紙形を書くまじき事なり」など、まめやかに責め申させ給へば、大納言、「いみじく候ふわざかな。こたみは誰もえ詠みえぬたびに侍るめり。中にも公任をこそ、さりともと思ひ給ひつるに、『岸の柳』といふ事を詠みたれば、いと異様なる事なりかし。これらだにかく詠みそこなへば、公任はえ詠み侍らぬもことはりなれば、許したぶべきなり」と、さまざまに逃がれ申し給へど、殿、あやにくに責めさせ給へば、大納言、いみじく思ひわづらひて、ふところより陸奥紙に書きて奉り給へば、広げて前に置かせ給ふに、帥殿6)より始めて、そこらの上達部・殿上人、心にくく思ひければ、「さりとも、この大納言、故なくは詠み給はじ」と思ひつつ、いつしか、帥殿読み上げ給へば、
紫の雲とぞ見ゆる藤の花いかなる宿のしるしなるらん
と読み上げ給ふを聞きてなむ、褒めののしりける。
大納言も、殿を始め、みな人、「いみじ」と思ふ気色を見給て、「今なむ胸少し落ちゐ侍ぬ」など申し給ひける。
白河の家におはしける頃、さるべき人々、四五人ばかりまうでて、「花の面白き、見に参りつる也」と言ひければ、大御酒など参りて詠み給ひける、
春来てぞ人も問ひける山里は花こそ宿の主なりけれ
人々めでて詠み合ひけれど、なずらひなるなかりけり。
翻刻
いまはむかし女院うちへはしめていらせおはし ましけるに御ひやう風ともをせさせ給て うたよみともによませさせ給けるに四月/b25 e12
ふちのはなおもしろくさきたりけるひらを 四条大納言あたりてよみ給けるにそのひになり て人々うたとももてまいりたりけるに大納言 をそくまいりけれは御使してをそきよしをた ひたひおほせられつかはす権大納言行成御ひやう風たま はりてかくへきよしなし給けれはいよいよたちゐ またせたまふほとにまいりたまへれは哥読とも はかはかしきとももえよみいてぬにさりともとた れも心にくかりけるに御前にまいりたまふ やをそきと殿ゝいかにそあのうたはをそしと/b26 e13
おほせられけれはさらにはかはかしくつかまつらす わろくてたてまつりたらんはまいらせぬにはおとり たる事なりうたよむともからのすくれたらん なかにはかはかしからぬうたかかれたらむなかきなにさ ふらふへしとやうにいみしくのかれ申し給へと殿ある へき事にもあらすこと人の哥なくても有なむ 御うたなくはおほ方しきしかたをかくましき事 なりなとまめやかにせめ申させたまへは大納言 いみしくさふらふわさかなこたみはたれもえよみえ ぬたひに侍めり中にも公任をこそさりともと/b27 e13
思ひたまひつるにきしのやなきといふ事を よみたれはいとことやうなる事なりかしこれら たにかくよみそこなへは公任はえよみ侍らぬもこと はりなれはゆるしたふへきなりとさまさまにのかれ申 給へと殿あやにくにせめさせ給へは大納言いみし く思ひわつらひてふところよりみちのくにかみに かきてたてまつりたまへはひろけてまへにおかせ たまふにそちとのよりはしめてそこらの上達 部殿上人心にくく思ひけれはさりともこの大納言 ゆえなくはよみ給はしと思ひつついつしか帥殿よみあ/b28 e14
け給へは むらさきのくもとそみゆるふちのはな いかなるやとのしるしなるらん とよみあけ給をききてなむほめののしりける 大納言も殿をはしめみな人いみしとおもふけし きをみ給ていまなむむねすこしおちゐ侍ぬ なと申したまひけるしらかはの家におはしける ころさるへき人々四五人許まうててはなの おもしろきみにまいりつる也といひけれはををみ きなとまいりてよみたまひける/b29 e14
はるきてそ人もとひけるやまさとは はなこそやとのあるしなりけれ ひとひとめててよみあひけれとなすらひなる なかりけり/b30 e15