目次
唐鏡 第四 漢武帝より更始にいたる
4 漢 孝武帝(4 東方朔)
校訂本文
この御時、東方朔(とうばうさく)といふ者あり。ことに近臣にて、すこし狂(きやう)するげのありければ、世の人これを狂人といひけり。もの言ひなど、くちさかしくて、言ひ出だしつること、をかしかりけり。古(いにしへ)をも今をも、知らずといふことなし。
上林苑より棗(なつめ)四十九を箱に入れて参らせたるに、東方朔が遥かに見えけるを、帝(みかど)1)、杖にて殿の高欄を打ちて、「七々束々」と仰せられけり。東方朔参りたるに、帝、「この箱の中には、何の物かある」と問ひ給へば、「上林苑より棗四十九、参りたるなり」と申せば、帝、「いかにして、これを知りたるぞ」とのたまへば、東方朔が申さく、「われを召すは上なり。杖にて高欄を打たるるは、両木(ふたつのき)、林の字なり。七々とのたまふは、七々四十九なり。束々とのたまふは棗の字なり」と申すに、帝、おほきに笑ひ給ひて、絹十疋を賜ひつ。漢朝(かんてう)の習ひにて、帝をば上と申すなり。
また、帝、未央宮(びあうきゆう)におはしますに、雨晴れ風やみたり。殿の後ろの樹(き)に鵲(かささぎ)鳴く声しけり。東方朔これを見ねども推し量りて申さく、「この鳥、東に向かひて、枯れたる枝におるなる」と申す。帝、「何のゆゑにてかくは言ふぞ」と問はせ給ふに、東方朔申さく、「鵲、尾長し。東風なれば東に向きたらんと知りぬ。また、雨やみて生(なま)しき枝は、なめらかなり。枯れたる枝は、しぶりたり。されば、枯れたる枝にぞいたるらんと知るなり」と申す。帝、大いに笑ひ給ひて、人をつかはして見せしめ給ふにしかなり。おほかた、かやうのをかしきことどもを申しけること、数知らず。
また仙術ありて、西王母(せいわうぼ)の桃の三千暦に一度(ひとたび)実なるを、三度(みたび)まで取りて食ひたりけり。後に西王母、使者2)を参らせるに、東方朔を問ひ給ふに、使者申しけるは、「方朔は木帝(ぼくてい)の精にて、暦星(れきしやう)として人中に遊びて、天下を観(み)侍りき。陛下3)の臣にはあらず」となり。また方朔在世の間、歳星(せいしやう)見ざりけりとも申せり。
また、この御時も蓬莱不死の薬を求めにつかはしけり。つひに得たまはず。
翻刻
御製作のことは万代の秀迭(シウイツ)なるへしこの御時東(トウ) 方朔(ハウサク)といふものありことに近臣(キンシン)にてすこし狂(キヤウ) するけのありけれはよの人これを狂人といひけり ものいひなとくちさかしくていひいたしつること おかしかりけり古をも今をもしらすといふ ことなし上林苑より棗(ナツメ)四十九をはこに入て まいらせたるに東方朔かはるかにみえけるをみかと 杖にて殿の高欄をうちて七々束々とおほせら れけり東方朔まいりたるにみかとこのはこの/s100l・m179
https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/100
中にはなにのものかあるととひ給へは上林苑より棗 四十九まいりたるなりと申はみかといかにして これをしりたるそとの給へは東方朔か申さくわれ をめすは上なり杖にて高欄をうたるるは両木(フタツノキ)林の 字なり七々とのたまふは七々四十九なり束々との給は 棗の字なりと申にみかとおほきにわらひ給て 絹(キヌ)十疋をたまひつ漢朝(カンテウ)のならひにてみかとを は上と申なり又帝未央宮(ヒヤウキウ)におはしますに 雨はれ風やみたり殿のうしろの樹(キ)に鵲なく声 しけり東方朔これをみねともおしはかりて申さく/s101r・m180
この鳥東にむかひてかれたる枝におるなると申す御 門なにのゆへにてかくはいふそととはせ給に東方朔 申さく鵲尾なかし東風なれは東にむきたらん としりぬ又雨やみてなましき枝はなめらかなり枯 たる枝はしふりたりされは枯たる枝にそいたるらん としるなりと申す御門大にわらひ給て人を つかはして見せしめ給にしかなりおほかたかやうの おかしき事ともを申けることかすしらす又仙術 ありて西王母の桃の三千暦に一たひみなるを三たひ まてとりてくいたりけりのちに西王母(せいわうほ)使(ツカイ)者をまいら/s101l・m181
https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/101
せるに東方朔を問給に使者申けるは方朔は木帝(ホクテイ) の精にて暦星(シヤウ)として人中に遊て天下を観(ミ)侍き 階下(ヘイカ)の臣にはあらすとなり又方朔在世(サイセ)の間歳星(セイシヤウ) 見さりけりとも申せり又この御時も蓬莱不死の 薬をもとめにつかはしけりついに得たまはす又李夫(リフ)/s102r・m182