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text:karakagami:m_karakagami4-05

唐鏡 第四 漢武帝より更始にいたる

5 漢 孝武帝(5 李夫人)

校訂本文

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また李夫人と1)いふ美女あり。名をば蘇々といへり。暦十四にて、内へ参りたり。その召しける折は、迎へに香車2)をつかはしけり。御使具して参りて、車を内裏の門の外に立てて、「かく」と申しける折に、帝3)、心もとなく思しけるさま、いみじく聞こゆ。

それより後、花の春、紅葉の秋、月の夜、雪の朝(あした)、やうやうの勝地に行幸し給ひて、御遊びあるに、李夫人は御輿に参りて、片時(かたとき)も君に離れ奉らざりけり。かやうの折ごとに、詩を作り、詞を述べたり。いひ尽すべからず。

南園宮といふ所に李夫人をいつきすゑて、やうやうにもてなされければ、そのわたましの夜、三十六宮一十八院より音楽を奏して楽しび遊び給へり。

この時に、衛皇后4)といふ后(きさき)、夫人におぼえをとられて、長門宮に籠めすゑられて、恨みたるよしの詩作りて、帝へ参らせられたる中にあはれなるは、「南宮は歌楽(からく)し、北宮は愁ふ」といふ句なり。

かくてあるほどに、李夫人、例ならずなりにけり。帝、医師(くすし)をつかはして、やうやうのことどもあり。昼夜十二時、御使絶ゆることなし。帝ある折は、御輿にも召さず、徒歩(かち)より行幸なりて、これをとはせ給ふ。つひに隠れ給ひぬれば、帝の御心の内せんかたなかるべし。

あまり歎き給ふを聞きて、方士は「参りて見せ奉らん」とは申すなり。李夫人、仙女にてありければ、上界5)碧落(へきらく)花蘂宮といふ所へ帰り参りにけり。方士、泰山府君(たいざんぶくん)に申せば、それより御使ありて、花蘂宮へ参りて申すに、太上元始天尊(だいじやうげんしてんそん)あはれみて、西王母6)をあひ具して、李夫人をあからさまに返しつかはしけりとなむ。

帝、恋慕のあまりには、昔の南園宮を御覧ずるに、宮門一度(ひとたび)鎖(さ)して、多くの秋を過ぎにけり。草も木も昔を恋ひて、露の涙乾く時なし。鴛鴦(ゑんあう)の池の中には、昔匂ひし蓮の花、かたみと香りつつ、鸚鵡台のほとりには、青苔(せいたい)明月の色をのみ見る。ともにあそひし井所(せいしよ)荒れまさりて、古きを思ふ歌笛(かてき)の声ばかりおとづれけり。

あまりの悲しみに堪えずして、その宮の月生殿といふ所にてまどろみたるに、李夫人、夢に見え給ひけり。翠黛(すいたい)紅顔(こうがん)のよそほひ、つゆも昔に変はらず。夢に夢見る心地ちして、ほどなく覚め給ひぬ。後朝に月生殿を改めて、香夢殿とぞ名付けられける。

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薬をもとめにつかはしけりついに得たまはす又李夫(リフ)
人はいふ美女あり名をは蘇々といへり暦十四にて内へ
まいりたりそのめしけるおりは迎に香車(カウハシキクルマ)をつかは
しけり御つかいくしてまいりて車を内裏の門の
外にたててかくと申けるをりに御門心もとなく
おほしけるさま(イナシ)いみしくきこゆそれよりのち花の/s102r・m182
春紅葉の穐月の夜雪の朝やうやうの勝地に行幸
し給て御遊あるに李夫人は御輿にまいりてかた時も
君にはなれたてまつらさりけりかやうのおりことに
詩をつくり詞をのへたりいひつくすへからす南園宮(ナンエンキウ)
といふところに李夫人をいつきすへてやうやうにもて
なされけれはそのわたましの夜三十六宮一十八院よ
り音楽(ヲンカク)を奏(ソウ)してたのしひ遊給へりこの時に
衛(ヱイ)皇(クワヲ)后といふ后夫人におほえをとられて長門宮(チヤウモンキウ)
にこめすへられてうらみたるよし(イナシ)の詩つくりて
御門へまいらせられたる中にあはれなるは南宮(ナンキウ)は/s102l・m183

https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/102

歌楽(カラク)し北宮(ホクキウ)は愁といふ句なりかくてあるほとに李
夫人れいならすなりにけりみかとくすしをつかはし
てやうやうの事ともあり昼夜十二時御使たゆる
ことなし御門あるをりは御輿にもめさすかちより
行幸なりてこれをとはせ給ふついにかくれ給ぬれは
御門の御心のうちせんかたなかるへしあまりなけ
き給をききて方士はまいりて見せたてまつらんとは
申なり李夫人仙女にてありけれは上界(カイ/天ノ事也)碧落(ヘキラク)
花蘂宮といふところへかへりまいりにけり方士泰山府君(タイサンフクン)
に申せはそれより御つかひありて花蘂宮へまいりて/s103r・m184
申すに大上元始天尊(タイシヤウケンシテンソン)あはれみて西王方(母イ)をあひくして
李夫人をあからさまにかへしつかはしけりとなむ
御門恋慕のあまりにはむかしの南園宮を御覧する
に宮門一たひ鎖(サ)して多の穐を過にけり草も
木も昔を恋て露のなみたかはく時なし鴛鴦(ヱンヲウ)の
池の中には昔にほひし蓮の花かたみとかほり
つつ鸚鵡(アウム)臺のほとりには青苔(セイタイ)明月の色をのみみる
ともにあそひし井(セイ)所あれまさりてふるきを思ふ
歌笛(カテキ)のこゑはかりおとつれけりあまりのかなしみに
たえすしてその宮の月生殿といふところにてま/s103l・m185

https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/103

とろみたるに李夫人夢にみゑ給けり翠黛(スイタイ)紅顔(カウカン)
のよそをひつゆもむかしにかはらすゆめに夢見る
心ちしてほとなくさめ給ぬ後朝に月生殿おあらた
めて香夢殿とそなつけられける鈎弋夫人(コウヨクフシン)といふ人あり/s104r・m186

https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/104

1)
「李夫人と」は底本「李夫人は」。内閣文庫本により訂正。
2)
底本「カウハシキクルマ」と読み仮名。
3)
武帝・劉徹
4)
衛子夫
5)
底本「界」に「カイ」と読み仮名。「天ノ事也」と傍注。
6)
「西王母」は底本「西王方」。底本の異本注記により訂正。
text/karakagami/m_karakagami4-05.txt · 最終更新: 2023/02/11 11:20 by Satoshi Nakagawa