唐鏡 第一 伏羲氏より殷の時にいたる
16 殷 帝武丁
校訂本文
第二十二の主をば帝武丁(ぶてい)と申しき。帝小乙の御子なり。位に即き給ひて、輔佐(ふさ)の臣を得給はずして、三年まで政事をみづからし給はず。国の中興をねかひ給ふ御心のねんころなるゆゑにや、夜の御夢に聖人を得たり。名をば説(えつ)といふと見させ給ひて、「夢に見給ひつる人やある」とて、群臣百吏を召し集めて御覧ずるに、みなあらず。
夢に見給ひつる貌を図して、百工をして野にいとなみ求めしむるに、説を傅巌(ふがん)といふところに得たり。築地などつきて、賤しき体にてありけるが、図絵の貌に似たりければ、召して参らす。武丁見給ひて、「これなり」とて、ともに物語し給ふに、はたして聖人なり。すなはち大臣の位になし給ひて政を委(い)す。殷国、おほきに治まれり。傅巌を姓として、傅説とぞ申しける。「もし、巨川1)を済(わた)らば、汝(なんぢ)を用ゐて舟楫とせん。もし、歳大きに旱(ひでり)せば、汝を用ゐて霧雨とせん。もし、大羹を和せば、汝を用て塩梅(えんばい)とせん」と、武丁讃め奉り2)。
箕星精(きせいのせい)なれば、ただ人にはあらず。傅巌をばこのゆゑ聖人窟とも申せり。かたがた聖人にてこそあるを、「聖人にはあらず」と申す人のあるこそ、いはれなく思え侍れ。
この御時、先祖をまつらるる。明日に蜚雉3)出で来たりて、鼎(かなへ)の耳にのぼりて鳴く。帝、懼(おそ)れて、祖己(そき)といふ賢臣に問ひ給ふに、「ただ政事を修め給へ。憂ふることなかれ」と申すによりて、いよいよ徳政を行はれて、天下ことごとく喜び、殷の国また盛りなり。
翻刻
第廿二の主をは帝武丁(ブテイ)と申き帝小乙(イツ)の御子なり位に即 給て輔佐(フサ)の臣を得たまはすして三年まて政事をみつ からし給はす国の中興をねかひ給ふ御心のねんころなる/s22l・m43
https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/22
ゆへにや夜の御夢に聖人を得たり名をは説といふとみさせ 給てゆめに見たまひつる人やあるとて群臣百吏をめしあつ めて御覧するにみなあらす夢に見たまひつる㒵を図して 百工(カウ)をして野にいとなみもとめしむるに説を傅(フ)巌(ガン)と いふところに得たり築地なとつきていやしき体にてあり けるか図絵(ツエ)の㒵に似たりけれはめしてまいらす武丁見給て これなりとてともにものかたりし給にはたして聖人なり すなはち大臣の位になし給て政を委(イ)す殷国おほきに 治れり傅巌(フカン)を姓として傅(フ)説とそ申ける若(モシ)巨川(オホキナカハ・コセン)を済 らは汝を用て舟檝とせん若歳大に旱(ヒテリ)せは汝を用て霧雨/s23r・m44
とせん若大羹を和せは汝を用て塩梅(えんばい)とせんと武丁ほめたて(給へりイニ) まつり箕星精(キセイノセイ)なれはたた人にはあらす傅巌をはこのゆへ 聖人窟(クツ)とも申せりかたかた聖人にてこそあるを聖人にはあ らすと申す人のあるこそいはれなくおほえ侍れこの御時 先祖をまつらるる明日に蜚雉(トフキジ)いてきたりて鼎(カナヘ)の耳 にのほりてなく帝懼て祖己(ソキ)といふ賢臣に問給ふにたた 政事を修(オサ)め給へ憂(ウレウ)ふることなかれと申によりていよ いよ徳政を行はれて天下ことことくよろこひ殷の国 またさかりなり徳政には怪異皆消てかへり瑞祥(ズイシヤウ)と なるなり在位五十九年とそうけ給はりし/s23l・m45
https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/23
イニ廿三祖庚(丁子)廿四祖甲(庚弟婬乱無道)廿五禀辛(甲子)廿六庚丁(禀子)/s24r・m46