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text:karakagami:m_karakagami1-03

唐鏡 第一 伏羲氏より殷の時にいたる

3 神農氏

校訂本文

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次の帝皇をば神農氏と申しき。火徳。

母を姙姒(じんじ)1)と申しき。有喬氏(いうけうし)2)の女なり。女登(ぢよとう)とも申しき。少典(せうてん)の妃(ひ)たり。華陽に遊びて神人の龍首(りようしゆ)を感ぜしめ、帝を生み奉る。

人の身にして牛首なり。五絃の琴の長さ三尺六寸一分なるを作り給へり。また、耒耜(すきくは)を作りて、天下に教へて五穀を播(ほどこ)し種(ウ)ヘしめ給ふゆゑに、神農氏とは申するなり。

天より粟を雨(あめふら)す。帝、耕(ぬか)へして播種(はんしゆ)し給ふとも申しき。日中をもて市(めくらし)をなしたまふ3)。八卦を六十四卦になし給ひき。草木の味を嘗(な)め、別して薬に和して、民の害をぞ除き給ひし。

夙沙氏(しくさし)といふ人、海水を煮て塩を始めき。醴泉(れいせん)4)もこの御時にぞ出で来たりける。赤松子(せきしようし)この御時雨師にて、水玉を服する術を帝に教へ申しけり。

御在位百二十年にてぞ崩じ給ひし。その後、御子孫、相丞5)し給ひて四百三十六年なり。この帝は医王如来6)の変身におはしまして、百草の味を分かちて病を治め給ふ。衆生利益のため、日本国に跡を垂れ給ひて、祇園牛頭天皇と申し奉るにや。

伏羲(ふぎ)・女媧(ぢよくわ)・神農(しんのう)を三皇とす。鄭玄7)が説なり。伏羲・神農・黄帝を三皇とす。これは孔安国(くあんこく)が説なり。燧人(すいじん)・伏羲・神農を三皇とす8)、白虎通(びやくこつう)の説なり。

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次の帝皇をは神農氏と申き火徳(クワトク)母を姙姒(シンシ)と申き有喬(巣ソウ)氏(イウケウシ)
の女なり女登(トウ)とも申き少典(セウテン)の妃(ヒ)たり華陽(クワヤウ)にあそひて神(シ)人(ノ)
龍首(リヨウシユ)を感(カム)せしめ帝をむみたてまつる人の身にして
牛首なり五絃の琴の長さ三尺六寸一分なるをつくりたまへり/s9r・m16
又耒耜(スキクハ)をつくりて天下に教て五穀(コク)を播(ホトコシ)種(ウヘ)しめ給ゆへに
神農氏とは申するなり
天より粟を雨す帝耕(ヌカヘ)して播種し給とも申き日中をもて
市(メクラシ)を為(イナシ)したまふ八卦を六十四卦ニなし給き草木の味を嘗(ナメ)
別して薬に和て民(タミ)の害をそ除たまひし夙沙(シクサ)氏といふ人海
水を煮(ニ)て塩をはしめき醴泉(レイセン/ニコリサケ)も此御時にそいてきたり
ける赤松子この御時雨師にて水玉を服する術(ジユツ)を帝に
教へ申けり御在位百廿年にてそ崩(ハウ)し給し其後御子孫
相丞(ジヨウ/アイツイテ)し給て四百卅六年なり此帝は医王如来の変身
におはしまして百草の味を分て病を治め給ふ衆生利/s9l・m17

https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/9

益のため日本国ニ跡を垂給て祇園牛頭(キヲンコツ)天皇と申たてま
つるにや
伏羲(フキ)女媧(シヨクハ)神農(シンノウ)を三皇とす鄭玄(チヤウクエンカ/テイケン)説也伏羲神農黄帝
を三皇とすこれは孔安国(クアンコクカ)説なり燧人(スイシン)伏羲神農を三皇と(申イ)ス(ハイ)
白虎通(ヒヤクコツウ)の説なり/s10r・m18

https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/10

1)
任姒
2)
有蟜氏。底本「喬」にミセケチして「巣(ソウ)」と傍書。
3)
底本、「なす」の「為」にナシと異本注記
4)
底本「レイセン/ニコリサケ」と読み仮名。
5)
底本「ジヨウ/アイツイテ」と読み仮名。
6)
薬師如来
7)
底本「チヤウクエンカ/テイケン」と読み仮名
8)
底本の異本注記によると「三皇と申すは」。
text/karakagami/m_karakagami1-03.txt · 最終更新: 2022/11/22 23:51 by Satoshi Nakagawa