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text:isoho:ko_isoho3-01

伊曾保物語

下巻 第1 蟻と蝉の事

校訂本文

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さるほどに、春過ぎ、夏たけ、秋も深くて、冬のころにもなりしかば、日のうらうらなる時、蟻、穴より這ひ出で、餌食(ゑじき)を干しなどす。蝉、来たつて蟻と申すは、「あないみじの蟻殿や。かかる冬ざれまでも、さやうに豊かに餌食を持たせ給ふものかな。われに少しの餌食を賜び給へ」と申しければ、蟻、答へて云はく、「御辺(ごへん)は春・秋の営みには、何事をかし給ひけるぞ」と云へば、せみ答へて云はく、「夏・秋、身の営みとては、梢(こずゑ)1)に答ふばかりなり。その音曲(おんぎよく)に取り乱し、暇なきままに暮らし候ふ」と云へば、蟻、申しけるは、「今とても、など歌ひ給はぬぞ。歌ひ長じては、ついに舞ひとこそは承れ。賤しき餌食を求めて、何にかはし給ふべき」とて穴に入りぬ。

そのごとく、人の世にあることも、わが力に及ばんほどは、たしかに世のことをも営むべし。豊かなる時、つつまやかにせざる人は、貧しうして後、悔ゆるものなり。盛んなるとき、学(がく)せざれば、老いて後、悔ゆるものなり。酔(ゑ)ひのうちに乱れぬれば、覚めての後、悔ゆるものなり。かへすがへすもこれを思へ。

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万治二年版本挿絵

翻刻

伊曾保物語下
  第一   ありとせみの事
去程に春過夏たけ秋もふかくて冬のころにもなり
しかは日のうらうらなるときありあなよりはひ出
えしきをほしなとすせみきたつてありと申はあな
いみしのありとのやかかるふゆされまてもさやう
にゆたかにえしきをもたせ給ふものかなわれに
すこしのえしきをたひ給へと申けれはあり答云
御辺は春あきのいとなみにはなに事をかし給ひ
けるそといへはせみ答云なつあき身のいとなみと
ては木末にこたふはかりなりそのをんきよくに/3-78l

https://dl.ndl.go.jp/pid/2532142/1/78

とりみたしひまなきままにくらし候といへは
あり申けるは今とてもなとうたひ給はぬそうたひ
ちやうしてはつゐにまひとこそはうけたまはれ
いやしきえしきをもとめて何にかはしたまふへき
とてあなに入ぬそのことく人の世にある事も我
力におよはんほとはたしかに世の事をもいとな
むへしゆたかなる時つつまやかにせさる人はまつ
しうしてのちくゆる物なりさかんなるときがくせ
されは老て後くゆるものなりゑひのうちにみたれ
ぬれはさめての後悔る物なり返々も是を思へ/3-79r

https://dl.ndl.go.jp/pid/2532142/1/79

1)
底本表記「木末」
text/isoho/ko_isoho3-01.txt · 最終更新: by Satoshi Nakagawa