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巻6第1話(43) 地蔵の事
校訂本文
われら宿善の余り、たまたま人間に生を受けたりといへども、仏滅後二千余年の星霜(せいざう)を送る、中天十万余里の烟浪(えんらう)を隔てて、仏前仏後八難の辺地(へんち)に、愚かなる身、いやしき栖(すまひ)1)なり。出離解脱(しゆつりげだつ)の因 、まことに欠けたるにや。ただし、地蔵菩薩埵、忉利(たうり)の付属(ふぞく)を受け、滅後の導師として、身を恒沙(ごうしや)に分かち、化(け)を十方にほどこし給ふ。われらがまことの本師なり。金言と云ひ、伝記と云ひ、わきては当代かの利益(りやく)かぶる類(たぐひ)、耳に 満ち、目にさえぎる。まめやかの大善知識なり。
十輪経に云はく、「普賢(ふげん)等の恒沙の菩薩の所にて、百劫供養し祈念せんよりは、地蔵の所にして、一食の頃(あひだ)、所求(しよぐ)を祈るべし」と説き給ふこと、凡夫(ぼんぶ)の心、その理(り)信じがたし。
私に推量す。仏の内証法身(ないしようほつしん)は全く一体、毘盧の身なり。これは鉄(くろがね)の一体のごとし。諸仏菩薩ないし外部(げぶ)の天等と成り、一善知識の身として、本誓悲願(ほんぜいひぐわん)ことに形名(ぎやうみやう)差別(しやべつ)せるは、鉄をもて種々の器(うつはもの)に作るがごとし。六趣の苦患(くげん)を救ひ、四生の迷徒(めいと)を導き、無仏世界に導師として、仏前仏後三世の仏ことに定めて、この尊に付属あるべし。諸仏道同じのゆゑに、されば諸仏菩薩、偏(ひとへ)に六道の衆生の苦を救ひ給ふこと見ず。しかしながら、この尊に譲り給ふにや。
この誓願、もつとも諸尊に勝(すぐ)れ給ふべし。譬へば鉄の一つを釿(をの)に作りて木を切り、釜に作りて湯を沸かさん時は、たがひにその功勝(すぐ)るべし。釜をもつて木を切らむに、たやすかるべからず。釿をもつて湯を沸かすこと、多劫を経(ふ)ともかなはじ。勝劣説かくのごとき義たるべきにや。
故建仁寺の本願の口決(くけつ)に、地不決と云ふ書これあり。地蔵と不動2)との方便はなれて、出離すべからず。地蔵は大日3)の柔軟(にうなん)の慈悲の至極(しごく)、母のごとし。不動は大日の智恵・降伏(がうぶく)の至極、父のごとし。されば不動は釿のごとく、地蔵は釜のごとし。互ひに一徳を主(つかさ)とて、衆徳(しゆとく)を隠すなるべし。この義、一往勝劣あるべきか。六趣の苦患に沈み、四魔障の難に転ぜられなからば、いかが頓(とん)に仏道に入るべし。二尊の方便の後、諸尊は助け給ふべし。観音4)の来 迎(らいかう)のごときも、地蔵・不動、方便に人身を得(え)、仏法に逢ひ、念仏修する人を迎へ給ふべし。地蔵より直(じき)に来迎かたかるべし。
恵心僧都5)の妹(いもと)に、安養(あんやう)の尼、地蔵・不動の御助けによりて蘇生せし。また、かの弟子の僧、頓死(とんし)したりける、有験(ゆうげん)の僧、不動の呪を誦(じゆ)す。僧都、地蔵の宝号唱へ給けるゆゑに、蘇生して云ひける、「男の縛(ばく)して倶(ぐ)して行くを、地蔵の乞ひ給ふ、『進(まゐら)せず。われにこそ惜しむとも、取り反(かへ)す者あるべし』とのたまひけるほどに、童子の杖つきて、男を追ひ払ふて、取り返して、地蔵にゆづり給ふ」と云ひけり。強軟(がうなん)の方便貴(たと)く頼(たの)もし
同法の僧、親しき女人二十五歳、美の国6)原見郡鶉郷(うづらのさと)と云ふ所にありけり。去々年十一月病死す。臨終快からず。よつて、二人の僧、神呪(じんじゆ)を誦すること二時ばかり、蘇生して云はく、「青く赤き二人の鬼、左右(さゆう)の手を取りて行く。僧の乞ひ給ふに許さず。僧の云はく、『われに惜しむとも、取り反す者のあるべし』とて、『念珠(ねんじゆ)を手に持て』とて賜びけり。頂(いただき)はげたる童子、取り返して、この僧に賜びけると思ひて、生き出でたり」。左右の腕、つしみ、黒くくぼかりけり。臨終に地蔵の宝号唱へて終りけり。本来、不動・地蔵を憑みたりける定業なりけるが、一年ばかり延びたりけるなるべし。
遠江国伊奈左(いなさ)の郡奥山に、田の草と云ふ所あり。鹿猿など多き山里にて、粟畠(あはばたけ)作ることあれども、みな食し失ひ、手をむなしくすることなるに、王大夫と云ふ男、古き堂に地蔵と観音のおはしますに、「今年の粟、鹿猿に食はせで、守(まぼ)りて給びたらば、秋、粟餅(あはもち)して参らせん」と、なほざりに申したりける。まことに少しも鹿猿食はず、そのほかのは例のごとし。
このことうち忘れたりけるに、冬のころ、夢に若き僧二人おはしまして、「いかに。『粟守りて獣に食はせずは、餅してくれふ』と云ひしに、守りて食はせぬに、われをばすかしたるぞ」と仰せらると見て、大きに驚きて、婆(うば)に語り、やがて急ぎ餅して参らせけり。このこと語り、餅も地頭のところへ持ち来て勧めける。かの男も見、餅も食ひたる地頭の女(むすめ)の尼公(にこう)の物語なり。
仏はただ人に申すやうにものも申し、心ざしも人のごとく思へば、応身(おうじん)のおもては、人に違(たが)はず振舞はせ給ふなり。近き不思議なり。
ある祖父(おほぢ)、説法に、地蔵の毎日晨朝(じんでう)に入定(にふぢやう)し、家の門(かど)ごとにめぐりて、人を助け給ふとしけるを聞きて、信心深くして拝み奉らむ志にて、晨朝ごとに門をまぼりけり。功つもりて、ある時通らせ給ふ。拝みて、いよいよ信心堅くして、常に出でて門をまぼりける。
婆(うば)極めたる無道心の不信の者にて、「この地蔵の、所詮(しよせん)なく朝歩きし給ひて、寒きに祖父を起こし給ふ」と恨み思ひ奉つて、祖に問ひて、「や給へ、地蔵はいづこを通り給ふ」と云へば、「門(もん)の脇を通らせ給ふ」と云ふ。恨み深くして、「ならはし奉らむ」と思ひて、累(なわ・わな)をかけて、祖父(おほぢ)に、「われも拝み奉りたし。祖父はただ寝給へ」とて、杖取り持ちて、いまだ暗かりける暁、狙ひけるに、物のかかりて見えければ、「あは地蔵よ」と思ひて、よくよく捕へ奉りて、打たんとしけるほどに、隣の人食ひ犬なりけり。手も腕も足もよくよく噛み食はれて、死々病み臥したりけり。心悪(わろ)ければ、おのづから罸をかぶる習ひなり。
筑紫に商ひのみして歩く男の妻、地蔵を信じて、独り臥して、さびしきままに暁ごとに宝号を唱へける功積もりて、時々地蔵おはしまして出でさせ給ひけり。隣の者、これを見て、地蔵とは思ひよらで、男の返り来たれるに、「わ房(ばう)の女房のもとへ若き僧の通ひて、時々暁出づることあり」と云ひければ、口惜しく思ひて、弓矢取り持ちて狙ひけり。案のごとく出でて給ひけるを、よく引きて、背(せなか)に矢を射立てたりけり。僧の逃ぐるを、やがて血をとめて追ひければ、山の方(かた)へ逃げけり。堂(だう)の内へ逃げ入るを見れば、地蔵にておはしましけり。これを見奉りて、やがて弓矢を折り、本鳥(もとどり)を切りて、入道になり、妻(つま)同じく呼びて見せて、ともに出家して、一筋に地蔵の行者になりけり。
かの婆には似ざりけり。古伝に見えたり。地蔵の行者にて侍(はんべ)るままに、細(つぶさ)にこれを記す。
翻刻
雑談集巻之第六 地蔵事 我等宿善ノ餘タマタマ人間ニ生ヲ受タリト云ヘトモ仏滅後二 千餘年ノ星霜ヲ送ル中天十万餘里ノ烟浪ヲ隔テテ仏前仏 後八難ノ辺地ニヲロカナル身イヤシキ栖井也出離解脱ノ因 実ニカケタルニヤ但地蔵菩薩埵忉利ノ付属ヲ受ケ滅後ノ導師 トシテ身ヲ恒沙ニワカチ化ヲ十方ニホドコシ給フ我等カ実ノ本 師也金言ト云伝記ト云ワキテハ当代カノ利益カフル類耳ニ ミチ目ニサエキルマメヤカノ大善知識也十輪経云普賢等ノ 恒沙ノ菩薩ノ所ニテ百劫供養シ祈念センヨリハ地蔵ノ所ニシテ 一食ノ頃所求ヲ祈ルヘシト説キ給フ事凡夫ノ心其ノ理信ジカタシ 私ニ推量ス仏ノ内証法身ハ全ク一体毘盧ノ身也コレハ鉄ノ一/3-27l
https://dl.ndl.go.jp/pid/13386679/1/27
体ノコトシ諸仏菩薩乃至外部ノ天等ト成リ一善知識ノ身トシテ 本誓悲願コトニ形名差別セルハ鉄ヲモテ種々ノ器ニ作ルカ如シ 六趣ノ苦患ヲスクヒ四生ノ迷徒ヲ導キ無仏世界ニ導師トシテ 仏前仏後三世ノ仏コトニ定メテ此ノ尊ニ付属アルヘシ諸仏道 同ノ故ニサレハ諸仏菩薩偏ニ六道ノ衆生ノ苦ヲ救ヒ給フ事不見 併ラ此ノ尊ニ譲リ給フニヤ此ノ誓願尤モ諸尊ニ勝レ給ヘシ譬ハ鉄ノ 一ヲ釿ニ作リテ木ヲ切リ釜ニ作テ湯ヲワカサン時ハタガヒニ其ノ功 勝ルヘシ釜ヲ以テ木ヲキラムニタヤスカルベカラズ釿ヲ以テ湯ヲ ワカス事多劫ヲフトモカナハシ勝劣説如此義タルヘキニヤ ○故建仁寺ノ本願ノ口決ニ地不決ト云書有之地蔵ト不 動トノ方便ハナレテ不可出離ス地蔵ハ大日ノ柔軟ノ慈悲ノ至 極如母ノ不動ハ大日ノ智恵降伏ノ至極如父ノサレハ不動ハ如/3-28r
釿地蔵ハ如釜互ニ一徳ヲ主トテ衆徳ヲ隠スナルヘシ此ノ義一往 勝劣可キ有ル歟六趣ノ苦患ニ沈ミ四魔障ノ難ニ転ゼラレナカラハ イカカ頓ニ可入ル仏道ニ二尊ノ方便ノ後諸尊ハ可シ助ケ給フ観音ノ来 迎ノ如キモ地蔵不動方便ニ人身ヲ得仏法ニアヒ念仏修スル 人ヲ迎ヘ給フヘシ地蔵ヨリ直ニ来迎カタカルヘシ ○恵心僧都ノ妹ニ安養ノ尼地蔵不動ノ御助ケニヨリテ蘇生 セシ又カノ弟子ノ僧頓死シタリケル有験ノ僧不動ノ呪ヲ誦ス僧都 地蔵ノ宝号唱ヘ給ケル故ニ蘇生シテ云ケル男ノ縛シテ倶シテ行クヲ地蔵ノ 乞給フ不進セ我ニコソヲシムトモ取リ反ス者アルヘシトノ給ケル程ニ 童子ノ杖ツキテ男ヲ追ヒ払フテトリカヘシテ地蔵ニユツリ給フト云 ケリ強軟ノ方便タトクタノモシ ○同法ノ僧親キ女人廿五歳 美ノ国原見郡鶉郷ト云所ニ有ケリ去々年十一月病死ス臨/3-28l
https://dl.ndl.go.jp/pid/13386679/1/28
終不快カラ仍テ二人ノ僧神呪ヲ誦スル事二時ハカリ蘇生シテ云ク 青ク赤キ二人ノ鬼左右ノ手ヲ取テ行ク僧ノ乞イ給フニ不許サ僧ノ云ク 我レニヲシムトモ取リ反ス者ノアルヘシトテ念珠ヲ手ニモテトテタビ ケリ頂ハケタル童子トリカヘシテ此ノ僧ニタヒケルト思テ生キ 出タリ左右ノウデツシミクロククボカリケリ臨終ニ地蔵ノ宝号 唱ヘテ終リケリ本来不動地蔵ヲ憑ミタリケル定業ナリケルカ一年 ハカリノビタリケルナルヘシ ○遠江国伊奈左ノ郡奥山ニ田ノ 草ト云所アリ鹿猿ナト多キ山里ニテ粟畠作ル事アレトモミナ食シ 失ヒ手ヲムナシクスル事ナルニ王大夫ト云男古キ堂ニ地蔵ト観 音ノヲハシマスニ今年ノ粟鹿猿ニクハセデ守リテタビタラバ秋粟 餅シテマイラセントナヲザリニ申シタリケル誠ニスコシモ鹿猿クハズ 其ノ外ノハ如例ノコノ事打ワスレタリケルニ冬ノ比夢ニワカキ僧二/3-29r
人ヲハシマシテ何ニ粟マホリテ獣ニクハセズハ餅シテクレフトイヒシニ マホリテクハセヌニ我ヲハスカシタルゾト仰セラルトミテ大キニヲドロキテ 婆ニカタリヤカテイソギ餅シテマヒラセケリコノ事語リ餅モ地頭ノ 処ヘ持チ来テススメケルカノ男モ見餅モクヒタル地頭ノ女ノ尼公ノ 物ノ語リ也仏ハタダ人ニ申ス様ニ物モ申心サシモ人ノ如ク思ヘハ応身ノ ヲモテハ人ニタカハスフルマハセ給也近キ不思議也 ○或祖父説法ニ地蔵ノ毎日晨朝ニ入定シ家ノ門コトニメグリ テ人ヲタスケ給トシケルヲ聞テ信心深クシテヲガミタテマツラム志シ ニテ晨朝コトニ門ヲマホリケリ功ツモリテ或時トヲラセ給フヲカミ テイヨイヨ信心堅クシテ常ニイデテ門ヲマホリケルウバキハメタル無道 心ノ不信ノ者ニテコノ地蔵ノ所詮ナク朝アルキシ給テサムキニ 祖父ヲヲコシ給フト恨ミ思ヒ奉テ祖ニ問テヤ給ヘ地蔵ハイツコヲ/3-29l
https://dl.ndl.go.jp/pid/13386679/1/29
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ヲヒケレハ山ノ方ヘ逃ケリ堂ノ内ヘニゲ入ルヲミレハ地蔵ニテヲハシマシ ケリコレヲ奉見テヤカテ弓矢ヲ折リ本鳥ヲ切テ入道ニ成リ妻 同ク呼テ見セテトモニ出家シテ一スヂニ地蔵ノ行者ニナリケリカノ 婆ニハ似ザリケリ古伝ニ見ヘタリ地蔵ノ行者ニテ侍ルママニ細ニ記之/3-30l
