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text:zotanshu:zotan04-01

雑談集

巻4第1話(24) 老人用意の事

校訂本文

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老いは八苦の随一、何事につけても、昔にかはりて、身苦しく、障(さは)りのみ多き中にも、人に厭(いと)ひ憎まれ笑はれ侍り。

ある人の母、年たけて、腹悪しくなり、ひがみて、子と仲たがひ、常には家出でなどせしを、母ながらむつかしく思ひけるに、子の云はく、「いかなる人の親の、とく死ぬらむ」と。子なほ厭ふ。まして余所(よそ)の人をや。老人は、ただ心おだしく、二度(ふたたび)児(ちご)になりて、底よりぼけぼけとして、おだしく正直ならば、あながち人にも憎みむつかしからじ。

白山の権現の一所に、熊真水(くましみつ)とかやは、本地(ほんぢ)地蔵にておはますなるが、ある人、道心を祈り申しければ、「二つ三つの子の心なれ」と示現に告げ給ひけると云へり。幼子(ようし)のいとほしきと云ふは正直なり。窃盗・強盗もせず、和讒(わざん)・曲節(きよくせつ)なし。大人になりて、よろづ悪(わろ)き心あるなり。妄語・邪推、種々の不実は、第六識の妄想(まうざう)の識なり。二・三歳の心は、分(ぶん)に近し。現量無分別(げんりやうむふんべつ)の形(かたち)にて、実(まこと)の語(ことば)にも似たり。道心の下地なり。

愚老、幼少より正体なくして、世間無沙汰なりしこと、よくよく思ひとけば、仏法のためは便宜(びんぎ)を得たり。世智弁聡(せちべんそう)は八難の一つなり。諂(へつら)ふことなき者をば、人、「尾籠(びろう)なり」とて、あなづり軽賤(きやうせん)す。金剛経に云はく、「かかる者は、罪滅して菩提心発(おこ)すべし」と云へり。悦ぶべし。憂ふるにたらず。

昔、政(まつりごと)を問ふ人ありしに、孔子答へて云はく、「君々臣々・父々子々は俗家の礼儀、上々下々・師々資々は釈門の軌則(きそく)。(取意)」。これ殊勝の詞(ことば)なり。君、臣を憐れみ、臣は君を貴(たと)み、父は慈あり、子は孝ある、これゆゑなり。しからざれば、君も君にあらず、ないし、子も子にあらず。僧家(そうけ)には、上座(じやうざ)は下座(げざ)を思うて哀れみ、下座は上座を重んじて敬ひ、座に就いても臈次(らつし)を存じ1)、上がれば上座を敬はず、下れば下座を思はざるなり。

師は弟子を子のごとく思ひ、弟子は師を親のごとく敬ふ。これ上々下々の訓(をしへ)なり。しからずんば、師も師にあらず、ないし、下、下にあらず、親に慈悲なく、子に至孝なし。これ、顛倒(てんだう)の形なり。古徳の釈を重んずべし。親を重んぜず、反(かへ)て子を愛して、不孝なる者を釈して、根本に迷へるゆゑに、枝末(しまつ)皆倒(たう)せり。背覚合塵(はいがくがうぢん)して、本覚の順ずべきに背き、塵労(ぢんらう)の背くべきに合(かつ)す。ことごとく倒せり。親を重じ子を軽んずべし。これ背塵合覚の初めなるべし。仁義の戒めの方便なること知んぬべし。

昔、大国の国王、政を勆(つと)むるに、四十になれば親を埋(うづ)みて殺しけり。(棄老国、後には養老国のことなり2))

古人の云はく、「老いては年生の事業(じごふ)の非なる事を知る、云々」。年老は盛年(じやうねん)の非を知るなり。

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雑談集巻第四
  老人用意ノ事
老ハ八苦ノ随一何事ニツケテモ昔ニカハリテ身クルシク
サハリノミヲホキ中ニモ人ニイトヒニクマレワラハレ侍リ或人ノ
母年タケテ腹アシクナリヒカミテ子ト中タカヒ常ニハ家イテ
ナトセシヲ母ナカラムツカシク思ヒケルニ子ノ云クイカナル人ノ親ノ
トク死ラムト子猶イトフマシテ餘所ノ人ヲヤ老人ハタダ心
ヲタシク二タヒ児ニ成テ底ヨリボケボケトシテヲダシク正直
ナラハアナカチ人ニモニクミムツカシカラシ白山ノ権現ノ一所ニ
熊真水トカヤハ本地地蔵ニテヲハシマスナルカ或人道心ヲ
イノリ申ケレハ二ツ三ツノ子ノ心ナレト示現ニ告給ヒケルト云ヘリ
幼子ノイトヲシキト云ハ正直也窃盗強盗モセス和讒曲/2-25l

https://dl.ndl.go.jp/pid/13384727/1/25

節ナシヲトナニナリテヨロツワロキ心アル也妄語邪推種々ノ
不実ハ第六識ノ妄想ノ識也二三歳ノ心ハ分ニチカシ現
量無分別ノ形ニテ実ノ語ニモ似タリ道心ノ下地也愚老幼少
ヨリ無正体シテ世間無沙汰ナリシ事能々思ヒトケハ仏法ノ
タメハ便宜ヲ得タリ世智弁聡ハ八難ノ一也諂ウ事ナキ者ヲハ
人尾籠ナリトテアナツリ軽賤ス金剛経ニ云クカカル者ハ罪滅シテ
発菩提心ベシト云ヘリ悦ブヘシ不足憂ルニ昔シ政ヲ問フ人有シニ
孔子答テ云ク君々臣々父々子々ハ俗家ノ礼儀上々下々
師々資々ハ釈門ノ軌則取意コレ殊勝ノ詞也君臣ヲ憐ミ
臣ハ君ヲ貴ミ父ハ有慈子ハ有孝コレ故也不レハ然ラ君モ非君ニ乃
至子モ非子ニ僧家ニハ上座ハ下座ヲ思テ哀ミ下座ハ上座ヲ重ンシテ
敬ヒ座ニ就テモ臈次ヲ存ジ上レハ上座ヲ不敬下レハ下座ヲ不ル思ハ也/2-26r
師ハ弟子ヲ如ク子ノ思ヒ弟子ハ師ヲ如ク親ノ敬フコレ上々下々ノ
訓也不ンハ然ラ師モ非師ニ乃至下非下ニ親ニ無慈悲子無至孝コレ
顛倒ノ形也古徳ノ釈ヲ可重ンス親ヲ不重ンセ反テ子ヲ愛シテ不
孝ナル者ヲ釈シテ根本ニ迷ヘル故ニ枝末皆倒セリ背覚合塵シテ
本覚ノ可ニ順ズ背キ塵労ノ可ニ背ク合ス悉ク倒セリ親ヲ重シ子ヲ
軽ンスヘシコレ背塵合覚ノ初ナルヘシ仁義ノ戒ノ方便ナル事可シ知ンヌ
○昔大国ノ々王勆ムルニ政ヲ四十ニナレハ親ヲ埋ミテ殺シケリ(棄老国後ニハ/養老国ノ事也)
古人ノ云ハク老テハ年生ノ事業ノ非ナル事ヲ知ル云々年老ハ盛年ノ非ヲ知ル也/2-26l

https://dl.ndl.go.jp/pid/13384727/1/26

1)
以下脱文あるか。
2)
括弧内は割注。
text/zotanshu/zotan04-01.txt · 最終更新: by Satoshi Nakagawa