巻1第14話(14) 三学の事
校訂本文
当時の像末の儀、三院の風情、殊異(しゆい)にして互ひに誹謗(ひばう)す。このこと像法決疑経の中に、如来の懸記これあり。もつとも心あらん人これを見よ。御世為誡に随ふべき者か。
像法の時は、三学相非して「地獄に入ること矢を射るがごとし(取意)」。三学の源は、一心の本性、無住の妙体なり。一霊の性の上に、自然として三学の義あり。法華三昧経に云はく、「空心動ぜず。六波羅蜜を具足す」。一実境界の処に、諸非無し。これ戒なり。散乱無し。これ定(ぢやう)なり。愚惑無し。これ恵(ゑ)なり。
一心の上に三義あり。相非(さうひ)すべからず。初心の行人、とみに三学斉(ひと)しく修(おさ)むること、はなはだ難し。ゆゑに四悉(ししつ)の方便、一学を初めとなす。やうやく全斉修、仏意を知らず、互ひに是非すること、凡夫の我相の形(かたち)なり。これ聖意にあらず。末代の学人、仏意を探らず、おのおの我宗を執し、相非すること、これ獄に入るべき邪気なり。浄刹の妙行に到るべきにあらずや。このこともつとも学者金言を悪(にく)むべからず。誰か信ぜざらんや。仏語によりて、これを誡しむ。悲しきかな。恣(ほしいまま)に偏執による。
愚老、律学のこと五六年、定恵の学、顕学密教を欣慕(こんぼ)し、禅門を聞く。晩学のゆゑに、いづれの宗もその意を得ず。しかれども、大綱これを聞く。この因縁によりて、三学の諸宗、同じく信じ、別して宗鏡録、禅教和会、偏執無きゆゑ多年愛す。すでにいづれの宗もかくのごとし。学行無実、ただし偏執の心無し。
律儀、病縁によりて廃(すた)るゆゑに、律僧は戒行踈(おろか)なることを見て、邪見放逸者と思ひて、あひ親近せず。但し、心ある律僧は、強(あながち)に悪(にく)まず。禅僧は教者と思ひ下して愛せず。名僧は遁世の者とて思ひ下して、踈(うと)く思へり。よつて知音(ちいん)もつとも希(まれ)なり。同心なる人、はなはだ少なし。このこと、得失あひ雑(まじ)る。遺恨あるべからず。一宗を会せざる、失もこれあるとも、偏執せざるの得これあり。
功徳・黒闇、世間・出世、必然としてあひ離れざる者か。貧家のゆゑに富人は賤を思ひ親しまず。世間の人は魂魄(たわけ)にして、正体無きことを思ひ、蔑(あなど)りて親しまず。これまた憂るにたらず。魂魄(をちぶるる)は、ただ第六識妄慮なり。一念相応もつとも庶幾(しよき)すべし。貧家また道行の縁たり。愁ふるにたらず。
かくのごときのこと、つらつら思ひ解けば、この性の平等なるゆゑに、縁起の法もみな平等なり。凡聖の平等、前(さき)にすでに記しおはんぬ。仏菩薩と衆生草木、分々の平等の義これあり。全く同じと云ふにあらず。性は全く同じ、縁は少しき別なり。虚空・法身、分分同なり。ただし、法身は妙用恒沙なり。虚空は頑愚なり。かくのごとく、草木と仏の自証と無心は同なり。化他妙用神通は、草木衆生仏に及ぶべからず。
ただし当代の僧、分に随ひて仏の徳これあり。当代の機たり。益あり。その義、その証、疑ひあるべからず。これも在世の仏にはまた及ぶべからず。当時の木像には下るべからず。もし人仏の想ひを作(な)さば、その益莫大ならむか。「空心動かざれば、六波羅蜜を具足す」と云へる経、また殊勝なり。学人の解行、このの文に足れり。六度三学は開合の異なり。檀(だん)は諸度の始め。施に六度を接し、群生を利すと云ひて、いづれも六度の徳具足する中に始めなり。ことに像法決疑1)にことに讃めたり。三学の惣の地なり。忍は根深き皃(かたち)なり。進は禅定智恵の正しき方便なり。大論2)の意、「禅定智恵は福願をもつて得るべからず。身心精進のゆゑにこれを得る(取意)」。正くは戒定恵の三学。一切経律論の所詮なり。初心より後心に至るまで、分々に修学すべし。偏(ひと)へに執すべからず。
委細にこれを談ぜば、三学におのおの三義あり。三身の因業となす。三聚浄戒を三身の因となし、類通三法は止観の中にこれあり。顕密の旨帰(しき)、性浄円明の転なり。すなはち法身般若解脱これなり。世間の人、出家の人、面々にその志(こころざし)異なるゆゑ、全く心操(しんさう/こころばえ)のあひ似たる人、世の中になきことを詠ぜる。
鹿の糞は木槵子(もくげんじ)ともかたらふにわが身のわれに似たる友なし
愚老、貧家の因縁、自然に遁世門に入り、五十年に及ぶ。如説修行、志あるも力なし。見性悟道、またその分空(むな)しと云へども、久しく大乗の聖教を翫(もてあそ)んで、法門の愛楽隔生(あいらくきやくしやう)にも忘るべからざるか。しかるあひだ、同法も同心に仏法を翫(もてあそ)ぶべしと思ひ侍れども、多くは志薄し。しかるあひだ、「澆漓(げうり)のしかるべきこと」と思ひながら、本意を失ふ者なり。
乗戒倶急(じようかいぐきふ)こそ諸教の本意なり。行者の志願なれども、戒行は末代に自他如法なること稀(まれ)なり。如説の行業、また三業誠に理(をさ)めがたし。ただ常に聖教を翫ぶは、一分の菩提心をも発(おこ)し、正見の僧になるほどのことは、などかと思ひ侍り。
永観(やうくわん)律師の式に、「人木石にあらず。好みて自ら発心す」と。この言目出たし。われら本来の心、自性清浄なり。まことには仏と全く同じ。好まば、さだめて本性顕(あらは)るべし。一度(ひとたび)発心しなば、初心仏なるべし。十輪3)・心地4)等の経文、「末代の僧、正見ならば全く仏に同じ。云々」。「無相好仏(むさうがうぶつ)なり。供養の徳、如法なる僧にも、仏にも、異るべからず。云々」。この文、われら分生死の眠りの中の悦びなり。
聖教を学し披見すれば、律儀には全く乖(そむ)いて、出家の形ながら俗人のごとし。大小の戒、網順することは、十に一二なり。違することは八九なり。当来の生処、虚受信施のゆゑに、さだめて地獄・鬼畜に堕つべきこと悲しむべし、云々。一度(ひとたび)は悦び、一度は悲しむ。遇へることを悦び、違(たが)へることを悲しむゆゑなり。これのゆゑに、悲喜相半にして、涙流両行せり。
しかるに、心地観経の報恩品の説に、「戒全からざる僧、正見なるは、文殊5)・弥勒6)等の、聖僧と供養の功徳全く等し」と説き給へり。同経の嘱累品には、「破戒なれども、正見にして仏法を弘通(ぐつう)し、大乗の義理を説きて人を利せん僧は、ただ無相好仏なり。われと全く同じ」と説き給へり。この文に向ふ時、仏法に遇へる思ひ出でて、破戒の身の慰み、真実心肝に銘じ侍り。
戒の徳学知せざる人は、破戒の人を思ひ下せり。一度受戒了(をはん)ぬれば、破すること一支一境なり。残す所は、小乗は三千大千世界、大乗は不可説の世界、戒体凝然(ぎようぜん)として清浄なり。よつて破戒の比丘は、欝金華(うつこんげ)萎れども余の一切の華に勝(すぐ)れたるごとく、一切の人、天に勝れたりと説き給へり。大乗の戒を受けぬれば、菩提心の徳大なるゆゑに、いかが破すれども、あるいは鬼王・龍王・炎魔王となりて、仏所へも詣し、福徳大にして、世間の威勢あり。眷属等多くして、仏の出世し給へば、必ず仏所に詣して、眷属(けんぞく)と共に見仏聞法して解脱するなり。戒力勝れたるゆゑ、心地観経に説かれたり。法華7)・心地8)、同じく一乗の極説なり。真言経なり。正直方便の説、誰かこれを疑はんや。密教は末世とのみ説きて、当代利益勝れたり。醍醐の妙薬の重病を治するに譬へ給へり。
されば、当時の僧、一乗の信深く、三宝の帰依厚く、随分菩提心あり。当代は仏のごとし。卑下すべからず、憍慢(けうまん)すべからず。一句一偈も習ひ行じて、上は三宝の恩を報じ、下は四恩の徳を酬(むく)ゆ。人天(にんでん)の福田(ふくでん)たるべし。仏菩薩・羅漢、僧形を隠し給ふことは、「当代の僧の随分、正見ならば、利益われと等し」と思しめすゆゑにや。
されば、仏法を学して一句一偈も人に伝へ教へて法灯を挑(かか)ぐべし。これまことの恩を報ずるなり。心地観経にも、「無相の解行、真実の報恩なり」と説き給へり。かからむ僧は、まことに無相好の仏なり。法師品に「法華の一句一偈も説て人を利せむ人、仏を供養するに勝れたり」と説き給へる、真実の語なり。大論9)に云はく、「たとひ頂戴して、塵劫を経(へ)、身床座となし、十方に遍すとも、若し法を伝へ衆生を利せずんば、畢竟(ひつきやう)恩を報ゆることあたはざる者なり」と云々。この文、殊勝なり。弟子が所願ただこれに在るのみ。
同法の有心破戒なりとも、深く慚愧(ざんぎ)を懐き、厚く三宝を信じ、大乗を愛楽し、因果を撥(はら)はず、一実の境界を信じ、もつぱら説のごとく修行せば、一旦(いつたん)悪趣に沈むといへども、当来に仏の出世に値(あた)るべし。今日の八部のごとく、必ず見仏聞法すべし。
これ愚老の本願なり。この物語雑談なりといへども、多くはこれ述懐なり。三宝知見し、善神随喜し給ふらんかし。
雑談集第一巻 終
嘉元二年甲辰六月二十四日。於尾州山田庄長母寺。草了沙門無住七十九歳。
翻刻
三学事 当時ノ像末ノ儀三院ノ風情殊異ニシテ互ニ誹謗ス此ノ事像法 決疑経ノ中ニ如来ノ懸記有之尤モ有ン心人見之可随御世 為誡者歟像法ノ時ハ三学相非シテ入コト地獄ニ如射ルカ矢ヲ取意三 学ノ源ハ一心ノ本性無住ノ妙体也一霊ノ性ノ上ニ自然トシテ有/1-23l
https://dl.ndl.go.jp/pid/13384726/1/23
三学ノ義法華三昧経ニ云空心不動具足六波羅蜜ヲ一実 境界ノ処ニ無諸非是レ戒也無散乱是レ定也無愚惑是恵 也一心ノ上ニ有三義不可相非ス初心ノ行人頓ニ三学斉修ルコト甚タ 難シ故ニ四悉ノ方便一学ヲ為初ト漸ク全斉修不知仏意ヲ互ニ是 非スル事凡夫ノ我相ノ形チ也非是レ聖意末代ノ学人不探仏 意ヲ各執我宗ヲ相非スル事是レ可キ入獄ニ邪気也非ス可キニ到ル浄刹ノ 之妙行ニ也是ノ事尤モ学者不可悪金言ヲ誰レカ不ンヤ信セ哉依テ仏語 誡之悲カナ恣マニ依偏執ニ愚老律学ノ事五六年定恵ノ学欣慕シ顕 学密教ヲ聞禅門ヲ晩学ノ故ニ不何ノ宗得其ノ意ヲ然トモ大綱聞之 依此ノ因縁ニ三学ノ諸宗同ク信シ別シテ宗鏡録禅教和会無偏 執故多年愛ス既ニ何ノ宗モ如此学行無実但無偏執ノ心律儀 依病縁ニ廃ル故ニ律僧ハ戒行踈ナル事ヲ見テ邪見放逸者ト/1-24r
思テ不相親近セ但シ有心律僧ハ強ニ不悪クマ禅僧ハ教者ト思下シテ 不愛セ名僧ハ遁世ノ者トテ思下シテ踈ク思ヘリ仍知音尤トモ希也同 心ナル人甚タ少シ是ノ事得失相ヒ雑ル不可有ル遺恨不会一宗ヲ 失モ有トモ之而不ノ偏執之得有之功徳黒闇世間出世必然トシテ 不相離者歟貧家ノ故ニ冨人ハ思賤ヲ不親シマ世間ノ人ハ魂魄(タワケ)ニシテ 無正体事ヲ思ヒ蔑リテ不親マ是レ又不足ラ憂ルニ魂魄(ヲチブルル)ハ唯第六識 妄慮也一念相応尤トモ可庶幾ス貧家又為道行縁不足愁ルニ 如此事倩ラ思解此性ノ平等ナル故ニ縁起ノ法モ皆ナ平等也 凡聖ノ平等前ニ已ニ記已ヌ仏菩薩ト與衆生草木分々ノ平等ノ 義有之非云フニ全ク同ト性ハ全ク同シ縁ハ少シキ別也虚空法身分 分同也但シ法身ハ妙用恒沙也虚空ハ頑愚也如此草木ト 仏ノ自証ト無心ハ同也化他妙用神通ハ草木衆生不可及/1-24l
https://dl.ndl.go.jp/pid/13384726/1/24
仏ニ但シ当代ノ僧随分ニ仏ノ徳有之為当代ノ機有益其ノ義其ノ 証不可有疑ヒ是モ在世ノ仏ニハ又不可及当時ノ木像ニハ不 可下ル若シ人作サハ仏ノ想ヒヲ其ノ益莫大ナラム歟空心不レハ動具足スト六 波羅蜜ヲ云ヘル経又殊勝也学人ノ解行此ノ文ニ足レリ六度三学ハ 開合ノ異也檀ハ諸度ノ始施ニ接シ六度ヲ利群生ヲト云テ何レモ六 度ノ徳具足スル中ニ始也殊ニ像法決疑ニ殊ニ讃メタリ三学ノ惣ノ 地也忍ハ根深キ皃也進ハ禅定智恵ノ正シキ方便也大論ノ 意禅定智恵ハ以福願ヲ不可得身心精進ノ故ニ得ル之ヲ取意正ハ 戒定恵ノ三学一切経律論ノ所詮也初心ヨリ至ルマテ後心ニ分分ニ 修学スヘシ不可偏ニ執ス委細ニ談セハ之ヲ三学ニ各ノ有三義為三 身ノ因業ト三聚浄戒ヲ為三身ノ因ト類通三法ハ止観ノ中ニ有リ之 顕密ノ旨帰性浄円明之転也則チ法身般若解脱是レ也世/1-25r
間ノ人出家ノ人面々ニ其ノ志シ異ナル故全ク心操ノ相ヒ似タル人世ノ 中ニナキ事ヲ詠セル 鹿ノ糞ハ木槵子トモカタラフニ我カ身ノ 我ニ似タル友ナシ愚老貧家ノ因縁自然ニ入遁世門ニ及フ五十 年ニ如説修行有志無力見性悟道亦其ノ分空シト云ヘトモ久 大乗ノ聖教ヲ翫ンテ法門ノ愛楽隔生ニモ不ル可忘歟然間同 法モ同心ニ仏法ヲ翫ヘシト思ヒ侍レトモ多ハ志薄シ然ル間澆漓之可然事 思ナカラ失本意ヲ者也乗戒倶急コソ諸教ノ本意也行者ノ 志願ナレトモ戒行ハ末代ニ自他如法ナル事稀也。如説ノ行業 又三業誠ニ難シ理メ但タ常ニ聖教ヲ翫フハ一分ノ菩提心ヲモ発シ 正見ノ僧ニ成ル程ノ事ハナトカト思ヒ侍リ永観律師ノ式ニ人 非木石ニ好自発心スト此ノ言目出シ我等本来ノ之心自性清 浄也実ニハ與仏全ク同好ハ定テ本性顕ルヘシ一度発心シナハ/1-25l
https://dl.ndl.go.jp/pid/13384726/1/25
初心仏ナルヘシ十輪心地等ノ経文末代ノ僧正見ナラハ全ク 同仏云々無相好仏也供養ノ徳如法ナル僧ニモ仏ニモ不可 異云々此文我等分生死ノ眠ノ中ノ悦也聖教ヲ学シ披見スレハ 律儀ニハ全ク乖イテ出家ノ形ナカラ如俗人大小ノ戒網順スル事ハ 十ニ一二ナリ違スル事ハ八九也当来ノ生処虚受信施ノ故ニ定テ地 獄鬼畜ニ可キ堕ツ事可悲ム云々一度ハ悦ヒ一度ハ悲ム遇ル事ヲ悦ヒ 違ル事ヲ悲ム故也是ノ故ニ悲喜相半ニシテ涙流両行セリ然ニ心地観 経ノ報恩品ノ説ニ戒不ル全カラ僧正見ナルハ文殊弥勒等ノ聖 僧ト供養ノ功徳全ク等シト説キ給ヘリ同経ノ嘱累品ニハ破戒ナレトモ 正見ニシテ仏法ヲ弘通シ大乗ノ義理ヲ説テ人ヲ利セン僧ハ只 無相好仏也我ト全ク同シト説給ヘリ向フ此文ニ時仏法ニ遇ヘル 思出テ破戒ノ身ノ慰ミ真実心肝ニ銘シ侍リ戒ノ徳不学知セ/1-26r
人ハ破戒ノ人ヲ思ヒ下セリ一度受戒了ヌレハ破スルコト一支一境 也所ハ残小乗ハ三千大千世界大乗ハ不可説ノ世界戒体凝 然トシテ清浄也仍テ破戒ノ比丘ハ欝金華萎レトモ餘ノ一切ノ 華ニ勝レタル如ク一切ノ人天ニ勝レタリト説給ヘリ大乗ノ戒ヲ受ヌレハ 菩提心ノ徳大ナル故ニイカカ破スレトモ或ハ鬼王龍王炎魔王ト 成テ仏所ヘモ詣シ福徳大ニシテ世間ノ威勢アリ眷属等多シテ 仏ノ出世シ給ヘハ必仏所ニ詣シテ眷属ト共ニ見仏聞法シテ解脱スル 也戒力勝レタル故ヘ心地観経ニ説レタリ法華心地同ク一乗ノ極 説也真言経也正直方便ノ説誰カ疑ンヤ之哉密教ハ末世トノミ 説テ当代利益勝レタリ醍醐ノ妙薬ノ重病ヲ治スルニ譬ヘ給ヘリ サレハ当時ノ僧一乗ノ信深ク三宝ノ帰依厚ク随分菩提心 有リ当代ハ如シ仏ノ不可卑下ス不可憍慢ス一句一偈モ習ヒ行シテ/1-26l
https://dl.ndl.go.jp/pid/13384726/1/26
上ハ報シ三宝ノ恩ヲ下ハ酬四恩ノ徳ヲ人天ノ福田タルヘシ仏菩薩羅漢 僧形ヲ隠シ給フ事ハ当代ノ僧ノ随分正見ナラハ利益與我レ 等シト思食ス故ニヤサレハ仏法ヲ学シテ一句一偈モ人ニ伝ヘ教ヘテ 法灯ヲ挑クヘシコレ実ノ報スル恩ヲ也心地観経ニモ無相ノ解行真 実ノ報恩也ト説給ヘリカカラム僧ハ実ニ無相好ノ仏也法師 品ニ法華ノ一句一偈モ説テ人ヲ利セム人仏ヲ供養スルニ勝レタリト 説給ヘル真実ノ語ナリ大論云仮使頂戴シテ経塵劫ヲ身為床 座ト遍ストモ十方ニ若シ不ンハ伝ヘ法ヲ利セ衆生ヲ畢竟不能報ルコト恩ヲ者也ト云々此ノ 文殊勝也弟子カ所願只在ル此耳同法ノ有心破戒ナリトモ深ク 懐キ慚愧ヲ厚ク信三宝ヲ愛楽シ大乗ヲ不撥ハ因果ヲ信シ一実ノ境界ヲ専ラ 如説修行セハ一旦雖沈ムト悪趣ニ当来ニ可シ値ル仏ノ出世ニ如今日ノ八 部ノ必ス可見仏聞法スコレ愚老ノ本願也此ノ物語雖雑談也ト多クハ是レ/1-27r
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