宇治拾遺物語
第192話(巻15・第7話)伊良縁世恒、毘沙門の御下文を給はる事
伊良縁世恒、給毘沙門御下文事
伊良縁世恒、毘沙門の御下文を給はる事
校訂本文
今は昔、越前国に伊良縁(いらえ)の世恒(よつね)1)といふ者ありけり。とりわきてつかうまつる毘沙門2)に、物も食はで、物の欲しかりければ、「助け給へ」と申しけるほどに、「門(かど)に、いとをかしげなる女の、『家主(いへあるじ)にもの言はん』とのたまふ」と言ひければ、「誰にかあらん」とて出で会ひたれば、土器(かはらけに)物を一盛り、「これ食ひ給へ。物欲しとありつるに」とて取らせたれば、悦びて、取りて入りて、ただ少し食ひたれば、やがて飽き満ちたる心地して、二・三日は物も欲しからねば、これを置きて、物の欲しき折ごとに、少しづつ食ひてありけるほどに、月ごろ過ぎて、この物も失せにけり。
「いかがせんずる」とて、また念じ奉りければ、また、ありしやうに人の告げければ、始めにならひて、まどひ出でて見れば、ありし女房、のたまふやう、「これ下し文(ぶみ)奉らん。これより北の谷、峰百町を越えて、中に高き峰あり。それに立ちて、『なりた』と呼ばば、もの出で来なん。それにこの文(ふみ)を見せて、奉らんものを受けよ」と言ひて去ぬ。この下し文を見れば、「米二斗渡すべし」とあり。
やがて、そのまま行きて見ければ、まことに高き峰あり。それにて、「なりた」と呼べば、恐しげなる声にていらへて、出で来たるものあり。見れば、額に角生ひて目一つあるもの、赤き褌(たふさぎ)したるもの出で来て、ひざまづきてゐたり。「これ御下し文なり。この米得させよ」と言へば、「さること候ふ」とて、下文を見て、「これは二斗と候へども、一斗を奉れとなん候ひつるなり」とて、一斗をぞ取らせたりける。
そのままに請け取りて帰りて、その入りたる袋の米を使ふに、一斗尽きせざりけり。千万石取れども、ただ同じやうにて、一斗は失せざりけり。
これを国守聞きて、この世恒を召して、「その袋、われに得させよ」と言ひければ、国の内にある身なれば、えいなびずして、「米百石の分(ぶん)、奉る」と言ひて取らせたり。一斗取れば、また出で来出で来しければ、「いみじき物まうけたり」と思ひて、持(も)たりけるほどに、百石取り果てたれば、米失せにけり。袋ばかりになりぬれば、本意(ほい)なくて、返し取らせたり。世恒がもとにては、また米一斗出で来にけり。
かくて、えもいはぬ長者にてぞありける。
翻刻
いまはむかし越前国に伊良縁の世恒といふ物有けりとりわきて/下103ウy460
つかふまつる毘沙門に物もくはて物のほしかりけれは助給へと申 ける程にかとにいとおかしけなる女の家あるしに物いはんとの給ふ といひけれは誰にかあらんとて出あひたれはかはらけに物をひともり これくひ給へ物ほしとありつるにとてとらせたれは悦てとりて入 てたたすこし食たれはやかて飽みちたる心ちして二三日は物もほし からねはこれををきて物のほしきおりことにすこしつつくひてあり ける程に月比過て此物もうせにけりいかかせんするとて又念し たてまつりけれは又ありしやうに人のつけけれは始にならひてまとひ出て みれはありし女房の給やうこれくたしふみたてまつらんこれより北 の谷峰百町を越て中に高き峰ありそれに立てなりたと よははものいてきなんそれにこのふみをみせてたてまつらん物をうけよと いひていぬこのくたし文をみれは米二斗わたすへしとありやかて そのまま行て見けれは実に高き峰ありそれにてなりたとよへはおそ/下104オy461
ろしけなるこゑにていらへて出きたる物ありみれは額に角おひて 目一ある物あかきたうさきしたる物出来てひさまつきてゐたりこれ 御下文なり此米えさせよといへはさる事候とて下文をみて是は 二斗と候へとも一斗をたてまつれとなん候つる也とて一斗をそとらせ たりけるそのままに請取て帰てその入たる袋の米をつかふに 一斗つきせさりけり千万石とれとも只おなしやうにて一斗はうせさり けりこれを国守ききて此よつねをめして其袋我にえさせよと いひけれは国のうちにある身なれはえいなひすして米百石のふんたて まつるといひてとらせたり一斗とれは又いてきいてきしけれはいみしき物 まうけたりと思ひてもたりける程に百石とりはてたれは米うせにけり 袋斗に成ぬれはほいなくて返しとらせたり世恒かもとにては又米一斗 出きにけりかくてえもいはぬ長者にてそありける/下104ウy462