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text:kohon:kohon061

古本説話集

第61話 伊良縁野世恒、毘沙門の下文を給はり、鬼神田、物を与へ給ふ事

伊良縁野世恒給毘沙門下文鬼神田与給物事

伊良縁野世恒、毘沙門の下文を給はり、鬼神田、物を与へ給ふ事

校訂本文

今は昔、越前の国に伊良縁野1)世恒といふ者ありけり。もとはいと不合(ふがう)にて、あやしき者にてぞ有りける。

とりわきて、つかうまつりける毘沙門(びさもん)に、物も食はで、物の欲しかりける日、「頼み奉りたる毘沙門、助け給へ」と言ひけるほどに、「門(かど)に、いとをかしげなる女房の、『家主(いへあるじ)に物言はむ』との給へあり」と言ひければ、「誰にかあらん」とて、出でて会ひたりければ、盛りたる物を一盛り(ひともり)、「これ食ひ給へ。『物欲し』とありつるに」と、取らせたれば、喜びて取りて、持ちて入りたれば、ただ少しを食ひたるが、飽き満ちたる心地して、二・三日と物も欲しからざりければ、これを置きて、物欲しき折ごとに、少しづつ食ひてありけるほどに、月すぎて、この御物も失せにけり。

「いかがせんずる」とて、また念じ奉りければ、また、ありしやうに人の告げければ、初めにならひて惑ひ出でて見れば、このありし女房ののたまふやう、「いかにかは、しあへんとする」とて、下文(くだしぶみ)を取らす。見れば、米二斗が下文なり。「これは、いづくにまかりて受け取らんずるぞ」と申せば、これより谷・峰百町を越えて、中に高き峰あり。その峰の上に立ちて『なりた』と呼ばば、物出で来なむ。会ひて受けよ」と言ひければ、そのままに行きて見ければ、まことに高き峰あり。その峰の上にて「なりた」と呼びければ、高く恐しげに答(いら)へて出で来たる物あり。

見れば、額に角生ひて、目一つ付きたる物の、赤き犢鼻褌(たうさぎ)したる物の出で来て、ひざまづきてゐたり。「これ御下文なり。この米得させよ」と言へば、「さること候ふらん」とて、下文を見て、「これは二斗と候へども、『一斗奉れ』となん候ひつる」とて、一斗をぞ取らせたりける。

そのままに受け取りて、帰りて後より、その入れたる袋の米一斗、尽きせざりけり。千万石取れども、ただ同じやうに、一斗は失せざりければ、国の守聞きて、この米を召して、「その袋、我にくれへ」と言ひければ、国の内にある物なれば、え否び聞こえで、米百石ぞ取らせたりける。

守のもとにも、いと取りつれば、また出で来ければ、「いみじき物まうけたり」とて持たりけるほどに、百石取り果てつれば、一斗の米も失せにけり。ほいなくて返し取らせたりければ、世恒がもとにては、また出で来にけり。かくて、えもいはぬ長者にてぞありける。

翻刻

いまはむかしゑちせんの国にいそへ野よつねと/b212 e109
いふ物ありけりもとはいとふかうにてあやしきも
のにてそ有けるとりわきてつかうまつりける
ひさもんに物もくはて物ゝほしかりけるひたのみ
たてまつりたるひさもんたすけ給へといひけるほとに
かとにいとおかしけなる女房のいゑあるしに物
いはむとの給へありといひけれはたれにかあらん
とていててあひたりけれはもりたる物をひとも
りこれくひ給へ物ほしとありつるにととらせたれ
はよろこひてとりてもちていりたれはたたすこし
をくひたるかあきみちたる心ちして二三日と物も/b213 e109
ほしからさりけれはこれををきて物ほしきをり
ことにすこしつつくひてありけるほとに月す
きてこのを物もうせにけりいかかせんするとて又
ねんしたてまつりけれは又ありしやうにひとの
つけけれははしめにならひてまとひいててみれは
このありし女房のの給やういかにかはしあえんと
するとてくたし文をとらすみれはよね二とかく
たしふみ也これはいつくにまかりてうけとらんす
るそと申せはこれよりたにみね百丁をこえて
なかにたかきみねありそのみねのうへにたちてな/b214 e110
りたとよはは物いてきなむあひてうけよとい
ひけれはそのままにゆきてみけれはまことにたか
きみねありそのみねのうへにてなりたとよひけ
れはたかくおそろしけにいらへていてきたる
物ありみれはひたひにつのおひてめひとつつき
たる物のあかきたうさきしたる物のいてきて
ひさまつきてゐたりこれ御くたしふみ也このよ
ねえさせよといへはさること候らんとてくたし文
をみてこれは二斗と候へとも一とたてまつれとなん
候つるとて一とをそとらせたりけるそのままにうけ/b215 e110
とりてかへりてのちよりそのいれたるふくろの
よね一とつきせさりけりせんまむこくとれとも
たたおなしやうに一斗はうせさりけれはくにのかみ
ききてこのよねをめしてそのふくろわれにく
れへといひけれはくにのうちにある物なれはえいなひ
きこえてよね百こくそとらせたりけるかみのもと
にもいととりつれはまたいてきけれはいみしき物
まうけたりとてもたりける程に百石とりはて
つれは一斗のよねもうせにけりほいなくてかへし
とらせたりけれはよつねかもとにては又いてきにけり/b216 e111
かくてえもいはぬ長者にてそありける/b217 e111
1)
底本「伊曽へ野」もしくは「いそへ野」。標題「伊良縁野(いらえの)」に従う。なお、『今昔物語集』17ー47は「生江の世経」、『宇治拾遺物語』192は伊良縁世恒となっている。
text/kohon/kohon061.txt · 最終更新: 2019/12/04 16:01 by Satoshi Nakagawa