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text:towazu:towazu5-04

とはずがたり

巻5 4 これにはいくほどの逗留もなくて上り侍りし船のうちによしある女あり・・・

校訂本文

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これにはいくほどの逗留もなくて、上り侍りし船のうちに、よしある女あり。「われは備後の国和知(わち)といふ所の者にて侍る。宿願によりて、これへ参りて候ひつる。住まひも御覧ぜよかし」など誘へども、「土佐の足摺の岬1)と申す所がゆかしくて侍る時に、それへ参るなり。帰(かへ)さに尋ね申さむ」と契りぬ。

かの岬には堂一つあり。本尊は観音におはします。隔てもなく、また坊主もなし。ただ、修行者・行きかかる人のみ集りて、上もなく下もなし。

いかなるやうぞと言へば2)、「昔、一人の僧ありき。この所に行ひてゐたりき。小法師(こぼうし)一人使ひき。かの小法師、慈悲を先とする心ざしありけるに、いづくよりといふこともなきに、小法師一人来て、時(とき)・非時(ひじ)を食ふ。小法師、必ずわが分(ぶん)を分けて食はす。坊主、いさめていはく、『一度二度にあらず。さのみ、かくすべからず』と言ふ。また朝(あした)の刻限に来たり。『心ざしはかく思へども、坊主叱り給ふ。これより後は、なおはしそ。今ばかりぞよ』とて、また分けて食はす。今の小法師いはく、『このほどの情け忘れがたし。さらば、わが住処(すみか)へ、いざ給へ、見に』と言ふ。小法師、語らはれて行く。坊主、怪しくて忍びて見送るに、岬に至りぬ。一葉の船に棹(さを)さして、南を指して行く。坊主、泣く泣く、『われを捨てていづくへ行くぞ』と言ふ。小法師、『補陀落世界へまかりぬ』と答ふ。見れば、二人の菩薩になりて船の艫舳(ともへ)に立ちたり。心憂く悲しくて、泣く泣く足摺りをしたりけるより、足摺の岬と言ふなり。岩に足跡(あしあと)とどまるといへども、坊主はむなしく帰りぬ。それより隔つる心あるによりてこそ、かかる憂きことあれとて、かやうに住まひたり」と言ふ。三十三身の垂戒化現(すいかいけげん)これにやと、いと頼もし。

安芸の佐東の社3)は牛頭天王4)と申せば、祇園5)の御事思ひ出でられさせおはしまして、なつかしくて、これには一夜とどまりて、のどかに手向けをもし侍りき。

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われなからもとかしくそおほゆるこれにはいく程の逗留も
なくてのほり侍しふねのうちによしある女あり我はひんこ
の国わちといふ所のものにて侍るしゆく願によりてこれへ
まいりて候つるすまひも御らんせよかしなとさそへともとさの
あしすりのみさきと申す所かゆかしくて侍ときにそれへま/s211r k5-6
いるなりかへさにたつね申さむと契ぬかのみさきには堂ひ
とつあり本尊は観音におはしますへたてもなくまたはう
すもなしたた修行者ゆきかかる人のみあつまりてうへ
もなく下もなしいかなるやうそといへは昔一人の僧
ありきこの所におこなひていたりきこほうし一人つかひ
きかのこほうし慈悲をさきとする心さしありけるに
いつくよりといふこともなきに小法師一人来て時ひし
をくふ小法師かならすわかふんをわけてくはす坊主いさ
めていはく一度二度にあらすさのみかくすへからすといふ又
あしたのこくけむにきたり心さしはかくおもへとも坊主しか
りたまふこれより後はなおはしそいまはかりそよとて又分て/s211l k5-7

http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/211

くはすいまの小法師いはく此ほとのなさけわすれかたし
さらはわかすみかへいさ給へみにといふ小法師かたらはれて
ゆく坊主あやしくてしのひてみをくるにみさきにい
たりぬ一葉の船にさほさして南をさしてゆく坊主
なくなくわれをすてていつくへゆくそといふ小法師ふたらく
世界へまかりぬとこたふみれは二人の菩薩になりて船
のともへにたちたり心うくかなしくてなくなくあしすりを
したりけるよりあしすりのみさきといふなりいはにあし跡
ととまるといへとも坊主はむなしく帰りぬそれよりへた
つる心あるによりてこそかかるうきことあれとてかやうに
すまひたりといふ卅三身のすいかゐ化けんこれにやといと/s212r k5-8
たのもしあきのさととの社は午頭てんわうと申せは
祇園の御ことおもひ出られさせおはしましてなつかしくて
これには一夜ととまりてのとかにたむけをもし侍き/s212l k5-9

http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/212

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1)
足摺岬
2)
以下の足摺起源説話は、同船した女の言葉とみる説(二条は足摺岬に行っていない)と、二条が実際に訪れて語っているとみる説がある。
3)
「佐東の社」は底本「さとゝの社」。安芸(広島県)の佐東社(祇園天王社)とする説と、安芸郡(高知県)の「里の社」とする説がある。
4)
「牛頭天王」は底本「午頭てんわう」。
5)
八坂神社
text/towazu/towazu5-04.txt · 最終更新: 2019/10/22 12:59 by Satoshi Nakagawa