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text:towazu:towazu4-16

とはずがたり

巻4 16 さても隅田川原近きほどにやと思ふも・・・

校訂本文

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さても、隅田川原近きほどにやと思ふも、いと大きなる橋の清水・祇園の橋の体(てい)なるを渡るに、汚なげなき男(おとこ)二人会ひたり。「このわたりに隅田川といふ川の侍るなるはいづくぞ」と問へば、「これなんその川なり。この橋をば『須田の橋』と申し侍り。昔は橋なくて、渡舟(わたしぶね)にて人を渡しけるも、わづらはしくとて、橋出で来て侍り。隅田川などはやさしきことに申し置きけるにや。賤(しづ)がことわざには、須田川(すだかは)の橋とぞ申し侍り。この川の向へをば、昔は三芳野(みよしの)の里と申しけるが、賤が刈り干す稲と申すものに、身の入らぬ所にて侍りけるを、時の国司、里の名を尋ね聞きて、「ことわりなりけり」とて、『吉田の里』と名を改められて後、稲うるはしく、身も入り1)侍り」など語れば、業平の中将2)、都鳥3)に言問ひける4)も思ひ出でられて、鳥だに見えねば、

  尋ね来しかひこそなけれ隅田川住みけん鳥の跡だにもなし

川霧こめて、来し方行く先も見えず、涙にくれてゆく折節、雲居遥かに鳴く雁(かりがね)の声もおり知り顔に覚え侍りて、

  旅の空涙しぐれて5)行く袖を言問ふ雁の声ぞ悲しき

掘兼の井は跡もなくて、ただ枯れたる木の一つ残りたるばかりなり。これより奥ざままでも行きたけれども、恋路の末にはなほ関守も許しがたき世なれば、「よしや、なかなか」と思ひ返して、また、「都の方へ帰り上りなん」と思ひて、鎌倉へ帰りぬ。

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あけぬれはさのみ野はらにやとるへきならねは返りぬさてもす
みたかはらちかきほとにやとおもふもいと大なるはしのきよみ
つきをんのはしのていなるをわたるにきたなけなきおとこ
二人あひたりこのわたりにすみた川といふかはの侍なるはいつ
くそととへはこれなんその川なりこのはしをはすたのはしと申
侍むかしははしなくてわたしふねにて人をわたしけるもわつ
らはしくとてはしいてきて侍すみたかはなとはやさしきことに
申をきけるにやしつかことわさにはすたかはのはしとそ申侍
このかはのむかへをはむかしはみよしののさとと申けるかしつかかり
ほすいねと申物に身のいらぬ所にて侍けるをときの国司
さとのなをたつねききてことはりなりけりとてよしたのさ/s182r k4-32
とと名をあらためられてのちいねうるはしく身もいる侍なと
かたれはなりひらの中将宮こともにこととひけるもおもひいて
られてとりたにみえねは
   たつねこしかひこそなけれすみた川すみけんとりのあとたにもなし
川きりこめてこしかた行さきもみえすなみたにくれてゆく
おりふしくもゐはるかになくかりかねのこゑもおりしりかほ
におほえ侍て
   旅の空なみたに(し)くれて行袖をこととふかりのこゑそかなしき
ほりかねの井はあともなくてたたかれたる木の一のこりたる
はかりなりこれよりおくさままてもゆきたけれとも恋ちの
すゑにはなをせきもりもゆるしかたき世なれはよしや中々と思/s182l k4-33

http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/182

返して又都のかたへ返のほりなんと思てかまくらへかへりぬと/s183r k4-34

http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/183

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1)
「入り」は底本「いる」。
2)
在原業平。
3)
「都鳥」は底本「宮ことも」。
4)
『伊勢物語』九段。
5)
「しくれて」は底本「なみたに(し)くれて」。「に」に「し」と傍書。
text/towazu/towazu4-16.txt · 最終更新: 2019/10/05 12:19 by Satoshi Nakagawa