text:towazu:towazu4-15
とはずがたり
巻4 15 八月の初めつ方にもなりぬれば武蔵野の秋の気色ゆかしさにこそ・・・
校訂本文
八月の初めつ方にもなりぬれば、武蔵野の秋の気色ゆかしさにこそ、「今までこれらにも侍りつれ」と思ひて、武蔵国へ帰りて、浅草と申す堂あり。十一面観音のおはします。霊仏と申すもゆかしくて参るに、野の中をはるばると分け行くに、萩(はぎ)・女郎花(をみなへし)・荻(をぎ)・薄(すすき)よりほかは、また混じるものもなく、これが高さは馬に乗りたる男の見えぬほどなれば、推し量るべし。
三日にや、分け行けども尽きもせず。ちとそばへ行く道にこそ宿(しゆく)などもあれ、はるばる一通りは来し方行く末野原なり。
観音堂は、ちと引き上がりて、それも木などは無き原の中におはしますに、まめやかに、「草の原より出づる月影1)」と思ひ出づれば、今宵は十五夜なりけり。雲の上の御遊びも思ひやらるるに2)、御形見の御衣(おんぞ)は、如法経(によほふきやう)の折、御布施に大菩薩に参らせて、「今ここにあり」とは思えねども、鳳闕(ほうけつ)の雲の上、忘れ奉らざれば、余香(よきやう)をば拝する心ざしも深きに変はらずぞ思えし。草の原より出でし月影、更け行くままに澄みのぼり、葉末に結ぶ白露は、珠(たま)かと見ゆる心地して、
雲の上に見しもなかなか月ゆゑの身の思ひ出は今宵なりけり
涙に浮かぶ心地して
隈(くま)もなき月になり行くながめにもなほ面影は忘れやはする
明けぬれば、さのみ野原に宿るべきならねば、帰りぬ。
翻刻
てなくさむたよりもあれは秋まてはととまりぬ八月のはしめ つかたにもなりぬれはむさしのの秋の気色ゆかしさにこそいまま てこれらにも侍つれとおもひてむさしのくにへかへりてあさく さと申たうあり十一めんくわんをんのをはしますれいふつと 申もゆかしくてまいるにののなかをはるはるとわけゆくにはき をみなへしおきすすきよりほかはまたましる物もなくこれ かたかさはむまにのりたるおとこのみえぬほとなれはをしは かるへし三日にやわけゆけともつきもせすちとそはへ行 みちにこそしゆくなともあれはるはる一とをりはこしかたゆく すゑのはらなりくわんをんたうはちとひきあかりてそれも/s181r k4-30
木なとはなきはらの中におはしますにまめやかにくさのはら よりいつる月かけとおもひいつれはこよひは十五夜なりけり くものうへの御あそひもおもひやらるるに御かたみの御衣はによ ほうきやうのをり御ふせに大ほさつにまいらせていまここに ありとはおほえねともほうくゑつのくものうへわすれたてまつら されはよきやうをははいする心さしもふかきにかはらすそおほ えしくさのはらよりいてし月かけふけ行ままにすみのほり 葉すゑにむすふしらつゆはたまかとみゆる心ちして 雲のうへにみしも中々月ゆへのみのおもひてはこよひなりけり なみたにうかふ心ちして くまもなき月になりゆくなかめにも猶おもかけはわすれやはする/s181l k4-31
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あけぬれはさのみ野はらにやとるへきならねは返りぬさてもす/s182r k4-32
text/towazu/towazu4-15.txt · 最終更新: 2019/10/02 22:48 by Satoshi Nakagawa