とはずがたり
巻3 34 次の日は弥生の一日なり・・・
校訂本文
次の日は弥生の一日なり。内1)・春宮2)・両院3)、御膳参る。舞台取りのけて、母屋(もや)の四面に壁代(かべしろ)をかけたる。西の隅に御屏風を立てて、中の間に繧繝(うげん)二畳敷きて、唐錦(からにしき)の褥(しとね)を敷きて、公(おほやけ)の御座。両院の御座、母屋に設けたり。東の対(たい)一間に繧繝を敷きて、東京(とうきやう)の錦の褥を敷きて、春宮の御座と見えたり。内・両院、御簾(ぎよれん)関白殿4)。春宮には傅の大臣(おとど)5)遅参にて、大夫6)御簾に参り給ふなりけり。主上、常の御直衣、紅(くれなゐ)の打御衣(うちおんぞ)、綿入れて出ださる。一院、固織物の薄色御指貫、新院、浮織物の御直衣、同じ御指貫、これも紅の打御衣、綿入りたるを出ださる。春宮、浮線綾(ふせんりよう)の御指貫、打御衣、綿入らぬを出ださる。御膳参る。内の御方、陪膳花山院大納言7)、役送(やくそう)四条宰相8)・三条の宰相中将9)。一院陪膳、大炊御門の大納言10)。新院、春宮大夫11)。春宮、三条宰相中将。春宮の役送隆良12)桜の直衣、薄色の衣(きぬ)、同じ指貫、紅の単(ひとへ)、壺・緌(おいかけ)までも今日を晴(はれ)と見ゆ。
御膳果てて後、御遊。内の御笛、柯亭(かてい)といふ御笛、箱に入れて忠世13)参る。関白、取りて御前に置かる。春宮御琵琶、玄象なり。権の亮(すけ)親定14)持ちて参るを、大夫、御前に置かる。臣下の笛の箱、別(べち)にあり。笙、土御門の大納言15)。笙、左衛門督16)。篳篥(ひちりき)、兼行17)。和琴、大炊御門の大納言18)。琴、左大将19)。琵琶、春宮大夫20)・権大納言21)。拍子、徳大寺の大納言22)。洞院三位中将23)、琴。宗冬24)、付歌(つけうた)25)。呂(りよ)の歌、安名尊(あなたと)・席田(むしろだ)26)。楽、鳥の破急27)。律、青柳28)。万歳楽、これにて侍りしやらむ。三台の急。
御遊(ぎよいう)果てぬれば29)、和歌の御会(くわい)あり。六位・殿上人、文台・円座(ゑんざ)を置く。下臈より懐紙を置く。為道30)、縫腋(もとほし)の袍(はう)に革緒の太刀・壺なり。弓に懐紙を取り具して、昇りて文台に置く。残りの殿上人のをば取り集めて、信輔31)、文台に置く。為道より先に、春宮権大進顕家32)、春宮の御円座を文台の東に敷きて、披講のほど御座ありし。古き例(ためし)も今めかしくぞ、人々申し侍りし。
公卿、関白・左右大臣・儀同三司33)・兵部卿34)・前藤大納言35)・花山院大納言36)・右大将37)・土御門大納言38)・春宮大夫39)・大炊御門の大納言40)・徳大寺大納言41)・前藤中納言42)・三条中納言43)・花山院中納言44)・左衛門督45)・四条宰相46)・右兵衛督47)・九条侍従三位48)とぞ聞こえし。
みな公卿直衣なる中に、右大将通基表着(おもてぎ)、魚綾(ぎよれよう)の山吹の衣(きぬ)を出だして、太刀をはきたり。笏に懐紙を持ち具したり。このほかの衛府49)の公卿は、弓に矢を負へり。花山院中納言、講師(かうじ)を召す。公敦参る。読師、左の大臣(おとど)に仰せらるる。故障にて右大臣参り給ふ。兵部卿・藤中納言など召しにて参る。
権中納言の局の歌、紅の薄様に書きて、簾(れん)中より出ださるるに、新院、「雅忠卿女(むすめ)50)の歌は、など見え候はぬぞ」と申されけるに、「いたはりなどにて候ふやらん、すんしうて」と御返事ある。「など歌をだに参らせぬぞ」と、春宮大夫言はるれば、「東二条院より、『歌ばし召さるな』と准后へ申されけるよし、承りし」など申して、
かねてより数に漏れぬと聞きしかば思ひも寄らぬ和歌の浦波
なとぞ、心一つに思ひ続けて侍りし。
内・新院の御歌は、殿下賜はり給ふ。春宮のは、なほ臣下の列(つら)にて、同じ講師読み奉る。内・院のをば、左衛門督読師、殿下たびたび講ぜらる51)
披講果てぬれば、まづ春宮入らせ給ふ。そのほども、公卿禄あり。
内の御製は、殿書き給ひける。(今の大覚寺の法皇の御ことなり52)。)禅定仙院53)。
「従一位藤原の朝臣貞子九十の齢(よはひ)を賀(が)する歌、
行く末をなほ長き世と契るかな54)弥生に移る今日の春日に」
新院の御歌は、内大臣(うちのおとど)55)書き給ふ。端書(はしがき)同じさまながら、「貞子(ていし)」の二字(ふたじ)を留めらる。
百色(ももいろ)と今や鳴くらむ鶯の九返(ここのかへり)の君が春経て
春宮のは、左大将56)書き給ふ。「春の日、北山の邸(てい)にて行幸するに侍りて、従一位藤原の朝臣九十の算(さん)を賀して、制(せい)に応ずる歌」とて、なほ57)「上」の文字を添へられたるは、古き例(ためし)にや。
限りなき齢(よはひ)は今は九十(ここのそぢ)なほ千世(ちよ)遠き春にもあるかな
このほかのをば、別(べち)に記し置く。
さても、春宮の大夫の、
代々の跡になほ立ちのぼる老いの波寄りけん年は今日のためかも
「まことに」とおもしろきよし、公私(おほやけわたくし)申しけるとかや。「実氏58)の大臣(おとど)の一切経の供養の折の御会に、後嵯峨の院59)、『花もわが身も今日盛りかも』とあそばし、大臣の『わが宿々の千代のかざしに』と詠まれたりしは、ことわりにおもしろく聞こえしに劣らず」など、沙汰ありしにや。
この後、御鞠とて、色々の袖を出だせる、内・春宮・新院・関白殿・内の大臣より、思ひ思ひの御姿、見所多かりき。後鳥羽の院60)建仁 のころの例とて、新院、御上鞠(あげまり)なり。
御鞠果てぬれば、御幸は今宵還御なり。飽かず思し召さるる御旅なれども、「春の司召(つかさめし)あるべし」とて、急がるるとぞ聞こえ侍りし。
翻刻
しゆこうのはいせん四条宰相やくそう左衛門督なりつき の日はやよひのついたちなり内春宮両院御せんまいる ふたいとりのけてもやの四めんにかへしろをかけたるにしの すみに御ひやうふをたててなかのまにうけん二てうしきてから にしきのしとねをしきておほやけの御さ両院の御さもやに まうけたり東のたい一まにうけんをしきてとうきやうのにしき のしとねをしきて春宮の御さとみえたり内両院御れん/s153r k3-80
関白殿春宮にはふのをととちさんにてたいふ御れんに参 たまふなりけり主上つねの御なをしくれなゐのうち御そわた いれていたさる一院かたおり物のうす色御さしぬき新院うきおり 物の御なをしおなし御さしぬきこれもくれないのうち御そわた いりたるをいたさる春宮ふせんれうの御指貫うち御そ綿いら ぬをいたさる御せんまいるうちの御方はいせん花山院大納言 やくそう四条宰相三条の宰相中将一院はいせん大炊御か との大納言新院春宮大夫春宮三条宰相中将春宮のや くそうたるよしさくらのなをしうす色のきぬおなし指ぬきくれ なゐのひとへつほをひかけまてもけふをはれとみゆ御せん はててのち御遊うちの御ふえかていといふ御ふえはこに入て/s153l k3-81
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たたよまいる関白とりて御せんにをかる春宮御ひはけ むしやうなり権のすけちかさたもちてまいるを大夫御 まへにをかるしんかのふえのはこへちにありしやうつち 御かとの大納言しやう左衛門督ひちりきかね行わこん 大炊御門の大納言こと左大将ひわ春宮大夫権大納言ひや うしとく大しの大納言かん院三位中将ことむねふゆ つけうたむね冬 りよの歌(あなたと/むしろた) かくと舟のは(きうりつ/あをやなき) まんさいらくこれにて侍しやらむさんたいのきうきよいう 御遊はてぬれは和かの御くわいあり六位殿上人ふんたいゑん さををく下らうよりくはいしををく為道もとをしのはう/s154r k3-82
にかはをのたちつほなりゆみにくはいしをとりくしてのほ りてふんたいにをくのこりの殿上人のをはとりあつ めてのふすけふんたいにをくため道よりさきに春宮 権大進あきいゑ春宮の御ゑんさをふんたいの東にしき てひかうのほと御さありしふるきためしもいまめかしくそ人々 申侍し公卿関白左右大臣きとう三司兵部卿前とう大納言 花山院大納言右大将土御門大納言春宮大夫大炊御かと の大納言とく大し大納言前とう大納言三条中納言花山院 中納言左衛門督四条宰相右兵衛督九条侍従三位とそきこえし みなくきやうなをしなる中に右大将通もとをもてききよれう の山ふきのきぬをいたしてたちをはきたりしやくにくわ/s154l k3-83
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いしをもちくしたり此ほかのようのくきやうはゆみにやを をへり花山院中納言かうしをめすきんあつまいるとくし左 のおととに仰らるるこしやうにて右大臣まいり給兵部卿 とう中納言なとめしにてまいる権中納言のつほねのうたくれ ないのうすやうにかきてれん中よりいたさるるに新院雅忠卿 むすめのうたはなとみえ候はぬそと申されけるにいたはりなと にて候やらんすんしうてと御返事あるなとうたをたにまいら せぬそと春宮大夫いはるれは東二条院よりうたはしめさる なとすこうへ申されけるよしうけ給しなと申て かねてより数にもれぬとききしかはおもひもよらぬわかのうら波 なとそ心ひとつにおもひつつけて侍しうち新院の御うたは殿下/s155r k3-84
たまはりたまふ春宮のはなをしんかのつらにておなしかうしよ みたてまつるうち院のをは左衛門督とくし殿下たひたひかたせらる ひかうはてぬれはまつ春宮いらせ給そのほともくきやうろく ありうちの御せいは殿かき給ける(いまの大かく寺の/法わうの御事也)せんちやうせんゐん 従一位藤はらのあそんていし九十のよはひをかするうた 行末をなをなかきよとよする哉やよひにうつるけふの春日に 新院の御うたはうちのおととかき給はしかきおなしさま なからていしのふたしをととめらる もも色といまやなくらむ鶯のここのかへりの君かはるへて 春宮のは左大将かき給ふ春の日きた山のていにて行 幸するに侍て従一位藤はらのあそん九十のさんをかしてせいに/s155l k3-85
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をうするうたとて堂上のもしをそへられたるはふるきため しにや かきりなきよはひはいまは九そちなを千世とをき春にも有かな このほかのをはへちにしるしをくさても春宮の大夫の よよのあとになを立のほる老のなみよりけん年はけふのためかも まことにとおもしろきよしおほやけわたくし申けるとかやさね うちのおととの一さいきやうのくやうのおりの御くわいに後 さかの院花も我身もけふさかりかもとあそはしおととの 我宿々のちよのかさしにとよまれたりしはことはりにおもし ろくきこえしにおとらすなとさたありしにやこののち御まり とて色々の袖をいたせる内春宮新院関白殿内のおとと/s156r k3-86
よりおもひおもひの御すかた見ところおほかりきとはの院建仁 の比のためしとて新院御あけまりなり御まりはてぬれは 御かうはこよひ還御なりあかすおほしめさるる御たひなれとも 春のつかさめしあるへしとていそかるるとそきこえ侍し又/s156l k3-87