とはずがたり
巻2 28 今日は一筋に思ひ立ちぬる道もまた障り出で来ぬる心地するを・・・
校訂本文
今日は一筋に思ひ立ちぬる道も、また障り出で来ぬる心地するを、主(あるじ)の尼御前、「いかにも、この人々は申されぬと思ゆるに、たびたびの御使(つかひ)に心清くあらがひ申したりつるも憚りある心地するに、小林の方へ出でよかし」と言はる。さもありぬべきなれば、車のこと、善勝寺1)へ申すなどして、伏見の小林といふ所へまかりぬ。
今宵は何となく日も暮れぬ。御姆(はは)が母伊予殿、「あなめづらし。御所よりこそ、『これにや』とて、たびたび御尋ねありしか。清長(きよなが)2)も、たびたび詣で来し」など語るを聞くにも、「三界無安、猶如火宅(さんがいむあん、ゆによくわたく)」と言ひ給ひける人3)の面影浮かむ心地して、「とにかくに、さもぞもの思ふ身にてありける」と、われながらいと悲し。卯月の空の村雨がちなるに、音羽の山の青葉の梢に宿りけるにや4)、時鳥(ほととぎす)の初音を今聞き初むるにも、
わが袖の涙言問へ時鳥かかる思ひのあり明の空
いまだ夜深きに、尼たちの起き出でて後夜行ふに、即成院(そくじやうゐん)の鐘の音もうちおどろかすに、われも起き出でて経など読みて、日高くなるに、また雪の曙のより、茨(むばら)切りたりし人の文あり。
名残など書きて後、さても夢のやうなりし人5)、その後は面影も知らぬことにて、あれは何とかはと思ひて過ぐるに、「この春のころよりわづらひつるが、なのめならず大事なるを、道の者6)どもに尋ぬなれば、『御心にかかりたるゆゑ』など申す。まことに恩愛尽きぬことなれば、さもや侍らん。都のついでに見せ奉らん」とあり。
いざや、必ずしも、恋し、かなしとまではなけれども、「思はぬ山の峰にだに7)」といふことなれば、今年はいくらほどなど思ひ出づる折々は、一目見し夜半の面影をふたたび忍ぶ心も、などか無からん。さればまた、「逢はぬ思ひの片糸(かたいと)は、憂き節(ふし)にもや」と、われながらことはらるれば、「何よりもあさましくこそ。また、さりぬべき便りも侍らば」など言ひて、これさへ今日は心にかかりつつ、いかが聞きなさんと悲し。
翻刻
けふは一すちにおもひ立ぬるみちも又さはり出きぬる心ちするを あるしのあまこせんいかにもこの人々は申されぬとおほゆるに たひたひの御つかひに心きよくあらかひ申たりつるもははかりある心ちするに こはやしのかたへ出よかしといはるさも有ぬへきなれは車の事せんせう寺へ/s98r k2-66
申なとしてふしみのこはやしといふ所へまかりぬこよひはなにとなく ひもくれぬ御ははかははいよ殿あなめつらし御所よりこそこれにやとて たひたひ御尋有しかきよなかもたひたひまうてこしなとかたる をきくにも三かいむあんゆによくわたくといひ給ける人の おもかけうかむ心ちしてとにかくにさもそ物おもふ身にて 有けると我なからいとかなしう月のそらのむらさめかちなる にをとはの山のあをはの木すゑにやとりけるにや時鳥の はつねをいまききそむるにも 我袖の涙こととへほとときすかかるおもひのあり明のそら いまた夜ふかきにあまたちのおき出て後夜おこなふに そくしやう院のかねのをともうちおとろかすにわれも/s98l k2-67
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/98
おき出て経なとよみて日たかくなるに又雪のあけほ のよりむはらきりたりし人の文ありなこりなとかきて のちさても夢のやうなりし人そののちはおも影もしら ぬ事にてあれはなにとかはと思て過るにこの春のころ よりわつらひつるかなのめならす大事なるをみちのもの ともにたつぬなれは御心にかかりたるゆへなと申まことに おんあいつきぬ事なれはさもや侍らん宮このつゐてに みせたてまつらんとありいさやかならすしも恋しかなしと まてはなけれともおもはぬ山のみねにたにといふ事な れはことしはいくらほとなとおもひ出るおりおりは一めみしよはの おも影を二たひしのふ心もなとかなからんされは又あはぬ/s99r k2-68
おもひのかたいとはうきふしにもやと我なからことはらるれはな によりもあさましくこそ又さりぬへきたよりも侍らは なといひてこれさへけふは心にかかりつついかかききなさん とかなしくれぬれはれいのしよやおこなふつゐてにせうさ/s99l k2-69