とはずがたり
巻1 28 勝倶胝院の真願房はゆかりある人なれば・・・
校訂本文
勝倶胝院(せうくていゐん)の真願房は、ゆかりある人なれば、「まかりて法文をも聞きて」など思ひて侍れば、「煙(けぶり)をだにも1)」とて、柴折りくべたる冬の住まひ、懸樋(かけひ)の水の訪れも途絶えがちなるに、年暮るる営みもあらぬさまなる急ぎにて過ぎ行くに、二十日あまりの月の出づるころ、いと忍びて御幸あり。網代車(あじろぐるま)のうちやつれ給へるものから、御車の後(しり)に善勝寺2)ぞ参りたる。
「伏見の御所の御ほどなるが、ただ今しも思し召し出づることありて」と聞くも、「いつあらはれて」と思ゆるに、今宵はことさら細やかに語らひ給ひつつ、明け行く鐘に催されて、立ち出でさせおはします。
有明は西に残り、東(ひむがし)の山の端にぞ横雲渡るに、むら消えたる雪の上に、また散りかかる花の白雪(しらゆき)も折り知り顔なるに、無紋の御直衣に同じ色の御指貫の御姿も、わが鈍(にぶ)める色にかよひて、あはれに悲しく見奉るに、暁の行ひに出づる尼どもの、何としも思ひ分かぬが、あやしげなる衣(ころも)に真袈裟(まげさ)なとやうのもの、気色はかり引き掛けて、「晨朝(じんでう)下(さが)り侍りぬ。誰(たれ)がし房は。何阿弥陀仏」など呼び歩(あり)くも、うらやましく見ゐたるに、北面の下臈どもも、みな鈍める3)狩衣にて、御車さし寄するを見付けて、今しもことあり顔に逃げ隠るる尼どももあるべし。
「またよ」とて、出で給ひぬる御名残は、袖の涙に残り、うちかはし給へる御移り香は、わが衣手に染みかへる心地して、行ひの音をつくづくと聞き居たれば、「輪王、位高けれど、つひには三途4)に従ひぬ」といふ文(もん)を唱ふるさへ耳に付き、廻向(ゑかう)して果つるさへ名残惜しくて、明けぬれば文(ふみ)あり。「今朝の有明の名残は、わがまだ知らぬ心地して5)」などあれば、御返しには、
君だにもならはさりける有明の面影残る袖をみせばや
翻刻
いて侍ぬたいこのせうくてい院の真願房はゆかりある人 なれはまかりて法文をもききてなと思て侍れはけふり/s37r k1-64
をたにもとてしはおりくへたる冬のすまゐかけひの水の をとつれもとたえかちなるにとしくるるいとなみもあらぬ さまなるいそきにてすき行に廿日あまりの月のいつるころ いとしのひて御幸ありあしろくるまのうちやつれ給へる 物から御車のしりにせむ勝寺そまいりたるふしみの御所の 御程なるかたたいましもおほしめしいつる事ありてときくも いつあらはれてとおほゆるにこよひはことさらこまやかにかた らひ給つつあけ行かねにもよほされてたち出させおはし ますあり明はにしにのこりひむかしの山の葉にそよこ雲 わたるにむらきえたる雪のうへに又ちりかかる花のし ら雪もおりしりかほなるにむもんの御なをしにおなし色の/s37l k1-65
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/37
御さしぬきの御すかたも我にふめる色にかよひてあはれに かなしく見たてまつるにあかつきのをこなひに出るあまとも のなにとしも思わかぬかあやしけなるころもにまけさ なとやうの物けしきはかりひきかけてしんてうさかり侍ぬ たれかし房はなにあみた仏なとよひありくもうらやまし く見ゐたるに北面の下らうとももみなわふめるかり衣にて 御くるまさしよするをみつけていましもことありかほににけ かくるるあまとももあるへし又よとていて給ぬる御なこりは 袖の涙にのこりうちかはし給へる御うつりかはわか衣てに しみかへる心ちしてをこなひのをとをつくつくとききゐたれは りんわうくらゐたかけれとつゐにはみつにしたかひぬと/s38r k1-66
いふもんをとなふるさへみみにつきゑかうしてはつるさへ名 こりおしくてあけぬれは文ありけさのあり明のなこ りはわかまたしらぬ心ちしてなとあれは御返には 君たにもならはさりける有明のおもかけのこる袖をみせはや/s38l k1-67