とはずがたり
巻1 16 五月はなべて袖にも露のかかるころなればにや大納言の歎き・・・
校訂本文
五月1)はなべて袖にも露のかかるころなればにや、大納言2)の歎き、秋にも過ぎて露けく見ゆるに、さしも一夜もあだには寝じとするに、さやうのこともかけてもなく、酒などの遊びもかき絶えなきゆゑにや、「如法、痩せ衰へたる」など申すほどに、五月十四日の夜、大谷になる所にて念仏のありし、聴聞して帰る車にて、御前どもありしに、「あまりに色の黄に見え給ふ。いかなることぞ」など、申し出だしたりしを、「あやし」とて、医師(くすし)に見せたれば、「黄病(きやまひ)といふことなり。余りに物を思ひて付く病なり」と申して、灸治あまたするほどに、「いかなるべきことにか」とあさましきに、次第に重り行くさまなれば、思ふばかりなく思ゆるに、わが身さへ六月のころよりは心地も例ならず3)、いとわびしけれども、かかる中なれば、何とかは言ひ出づべき。
大納言は、「いかにも、かなうましきことと思ゆれば、『御所の御供に、いま一日もとく』と思ふ」とて、祈りなどもせず、しばしは六角櫛笥(ろつかくくしげ)4)の屋にてありしが、七月十四日の夜、河崎の宿所へ移ろひしに、幼き子どもは留め置きて、静かに臨終(りむじゆ)のことどもなど、思ひしたためたる5)心ちにて、おとなしき子の心地にて、ひとりまかりて侍りしに、心地例ざまならぬを、しばしは、「わがことを歎きて、物なども食はぬ」と思ひて、とかくなぐさめられしほどに、しるきことのありけるにや、「ただならずなりにけり」とて、いつしか、「わが命をも、このたびばかりは」と思ひなりて、初めて、中堂にて如法泰山府君(たいさんぶく)といふこと七日祭らせ、日吉にて七社(やしろ)の七番の芝田楽(しばでんがく)、八幡にて一日の大般若、河原6)にて石の塔、何くれと沙汰せらるるこそ、「わが命の惜しさにはあらで、この身のことの行く末の見たさにこそ」と思えしさま、罪深くこそ思え侍れ。
翻刻
こともわつらはしくなり行ほとにあはれはつきになりぬ正(五歟)月 はなへて袖にもつゆのかかる比なれはにや大納言のなけき 秋にもすきて露けくみゆるにさしも一夜もあたには ねしとするにさやうの事もかけてもなくさけなとの/s20l k1-31
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/20
あそひもかきたえなきゆへにや如法やせおとろへたるなと 申程に五月十四日の夜おほたになる所にて念仏のありし ちやうもむして帰る車にて御せむなともありしに あまりに色のきにみえ給いかなる事そなと申いたし たりしをあやしとてくすしにみせたれはきやまひと いふ事なりあまりに物を思てつくやまひなりと申 てきうちあまたする程にいかなるへき事にかとあさまし きにしたいにをもり行さまなれは思はかりなくおほゆるに わか身さへ六月のころよりは心ちもれいならすいとわひし けれともかかる中なれはなにとかはいひ出へき大納言は いかにもかなうましき事とおほゆれは御所の御ともに/s21r k1-32
いま一日もとくと思とていのりなともせすしはしは候いかか くしけの屋にてありしか七月十四日のよかはさきの宿所へ うつろひしにおさなきこともはととめをきてしつかに りむしゆのことともなと思したためたり心ちにておとなし きこの心ちにてひとりまかりて侍しにここちれいさまな らぬをしはしは我ことをなけきて物なともくはぬと思て とかくなくさめられし程にしるき事のありけるにやたた ならすなりにけりとていつしかわか命をも此たひはかりはと 思なりてはしめて中堂にて如法たいさんふくといふ事 七日まつらせ日吉にて七やしろの七はんのしはてんかく八幡 にて一日の大はんにやかはらにて石のたうなにくれとさたせ/s21l k1-33
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/21
らるるこそ我命のをしさにはあらてこの身の事の行末 のみたさにこそとおほえしさまつみふかくこそおほえ侍廿/s22r k1-34