とはずがたり
巻1 15 さても大納言たびたび大宮院新院の御方へ出家のいとまを申さるるに・・・
校訂本文
さても大納言1)、たびたび大宮院・新院の御方へ、出家のいとまを申さるるに、「思し召す子細あり」とて、御許されなし。人よりことに侍る歎きのあまりにや、日ごとに御墓に参りなどしつつ、重ねて実定2)の大納言をもちて、新院3)へ申さる。
「九歳して初めて君に知られ奉りて、朝廷にひざまづきしよりこのかた、時に従ひ折りに触れ、恵みならずといふことなし。ことに父におくれ、母の不孝(ふけう)をかうぶりても、なほ君の恩分を重くして、奉公の忠をいたす。されば、官位昇進、理運を過ぎて、なほ面目(めんぼく)をほどこししかば、叙位・除目の朝(あした)には、聞き書きを開きて笑みをふくみ、内外に恨みなければ、公事(くじ)に仕ふるに物憂からず。蓬莱宮の月をもてあそんで4)、豊明(とよのあかり)の夜な夜なは、淵酔(ゑんずい)・舞楽に袖を連ねて、あまた年、臨時調楽(りむひてうがく)の折り折りは、小忌(をみ)の衣に立ち馴れて、御手洗河(みたらしがは)に影を映す。すでに身正二位、大納言一臈5)、氏の長者を兼(けむ)ず。すでに大臣の位を授け給ひしを、近衛大将を経(ふ)べきよしを、通忠右大将6)書き置く状を申し入れて、この位を辞退申すところに、君すでに隠れましましぬ。われ、世にありとも、頼む陰(かげ)枯れ果てて、立ち宿るべき方なく、何の職に居ても、そのかひなく思え侍り。齢(よはひ)すでに五十(いそぢ)に満ちぬ。残り幾年(いくとせ)か侍らん。恩を捨てて無為に入るは、真実(しんじち)の報恩なり。御許されをかうぶりて、本意をとげ、聖霊(しやうりやう)の御跡をもとぶらひ申すべき」よし、ねんごろに申されしを、重ねて、かなうまじきよし仰せられ、また、直(ぢき)にもさまざま仰せらるることもありしかば、一日二日過ぎ行くほどに、忘るる草の種を得けるにはあらねども、自然7)に過ぎつつ、御仏事何かの営みに明かし暮らしつつ、御四十九日にもなりぬれば、御仏事など果てて、みな都へ帰り入らせおはしますほどより、御政務のことに、関東へ御使(つかひ)下されなどすることもわづらはしくなり行くほどに、あはれはつきに8)なりぬ。
翻刻
わきそめすともと院の御かた御けしきありさても大納言/s19r k1-28
たひたひ大宮院新院の御かたへ出家のいとまを申さるるにおほし めすしさいありとて御ゆるされなし人よりことに侍なけき のあまりにや日ことに御はかにまいりなとしつつかさねて さね(た)さた(ね歟)の大納言をもちて新院へ申さる九さいにしてはし めて君にしられたてまつりて朝ていにひさまつきしより このかた時にしたかひをりにふれめくみならすといふ事 なしことにちちにをくれははのふけうをかうふりてもなを 君のをんふんををもくしてほうこうのちうをいたすされ は官位せうしんりうむをすきて猶めんほくをほとこしし かはしよ位ちもくの朝にはききかきをひらきてゑみをふ くみ内外にうらみなけれはくしにつかうるに物うからす/s19r k1-29
http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/19
ほうらいきうの月をもてあか(そ歟)んてとよのあかりのよなよなは ゑんすいふかくに袖をつらねてあまたとしりむし てうかくのおりおりはをみの衣にたちなれてみたらし 河にかけをうつすすてに身正二位大納言つらう氏の長者 をけむすすてに大臣のくらゐをさつけ給しを近衛大将 をふへきよしを道□右大将かきをく状を申入てこの 位をしたい申ところに君すてにかくれましましぬ我よに ありともたのむかけかれはてて立やとるへきかたなくなにの しよくにゐてもそのかひなくおほえ侍よはひすてにいそちに みちぬのこりいくとせか侍らんをんをすててむいに入はしん しちのほうをん也御ゆるされをかうふりて本意をとけ/s20r k1-30
聖霊の御跡をもとふらひ申へきよしねんころに申さ れしをかさねてかなうましきよしおほせられ又ちきにも さまさまおほせらるることもありしかは一日二日すき行程に わするる草のたねをえけるにはあらねともしせ(を)むにすきつつ 御仏事なにかのいとなみにあかしくらしつつ御四十九日にも なりぬれは御仏事なとはててみな都へかへりいらせおはし ますほとより御せいむのことに関東へ御使下されなとする こともわつらはしくなり行ほとにあはれはつきになりぬ正(五歟)月/s20l k1-31