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text:towazu:towazu1-06

とはずがたり

巻1 6 かくて日暮らし侍りて湯などをだに見入れ侍らざりしかば・・・

校訂本文

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かくて、日暮らし侍りて、湯などをだに見入れ侍らざりしかば、「別(べち)の病にや」など申しあひて、暮れぬと思ひしほどに、「御幸」と言ふ音すなり。

「また、いかならむ」と思ふほどもなく、引き開けつつ、いと馴れ顔に入りおはしまして、「悩ましくすらんは何事にかあらん」など、御尋ねあれども、御いらへ申すべき心地もせず。ただうち臥したるままにてあるに、添ひ臥し給ひて、「さまざま承はりつくすも、今やいかが」とのみ思ゆれば、「なき世なりせば1)」と言ひぬべきにうち添へて、「思ひ消えなん夕煙、一方にいつしかなびきぬ2)と知られんも、あまり色なくや」など、思ひわづらひて、つゆの御いらへも聞こえさせぬほどに、今宵はうたて情けなくのみあたり給ひて、薄き衣はいたくほころびてけるにや、残るかたなくなり行くにも、世に有明の名さへ恨めしき心地して、

  心よりほかにとけぬる下紐(したひぼ)のいかなる節に憂き名流さん

など、思ひ続けしも、心はなほありけると、われながらいと不思議なり。

「形は世々(よよ)に変るとも、契は絶えじ。あひ見る夜半(よは)は隔つとも、心の隔てはあらじな」と、数々承はるほどに、結ぶほどなき短か夜は、明けゆく鐘の音すれば、「さのみ明け過ぎて、もて悩まるるも所狭(ところせ)し」とて、起き出で給ふが、「明かぬ名残などはなくとも、見だに送れ」と、せちにいざなひ給ひしかば、これさへ、さのみつれなかるべきにもあらねば、夜もすがら泣き濡らしぬる袖の上に、薄き単(ひとへ)ばかりを引きかけて、立ち出でたれば、十七日の月、西に傾(かたぶ)きて、東は横雲わたるほどなるに、桜萌黄(さくらもよぎ)3)の甘(かん)の御衣(おんぞ)に、薄色の御衣、固文(かたもん)の御指貫、いつよりも目止まる心地せしも、「誰(た)が習はしにか」と、おぼつかなくこそ。

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侍きかくて日くらし侍てゆなとをたにみ入侍らさりし
かはへちのやまひにやなと申あひて暮ぬとおもひし
程に御幸といふをとす也又いかならむと思ふほともなくひき
あけつついとなれかほに入おはしましてなやましくすらんは
なに事にかあらんなと御たつねあれとも御いらへ申へき
心ちもせすたたうちふしたるままにてあるにそひふし給て
さまさまうけ給つくすもいまやいおかかとのみおほゆれはなき
世なりせはといひぬへきにうちそへて思きえなん夕煙
一かたにいつしかなひきぬとしられんもあまり色なくや
なと思わつらひてつゆの御いらへもきこえさせぬ程に/s11r k1-12
こよひはうたてなさけなくのみあたり給てうすき衣はい
たくほころひてけるにやのこるかたなくなり行にも世にあり
あけの名さへうらめしき心地して
 心よりほかにとけぬる下ひほのいかなるふしにうき名なかさん
なと思つつけしも心は猶ありけると我なからいとふしき
なりかたちはよよにかはるとも契はたえしあひみる夜はは
へたつとも心のへたてはあらしなと数々うけ給はるほとに
むすふ程なきみしか夜は明ゆく鐘のをとすれはさのみ明
すきてもてなやまるるも所せしとておきいて給ふか
あかぬなこりなとはなくとも見たにをくれとせちにいさ
なひ給しかはこれさへさのみつれなかるへきにもあらねは/s11l k1-13

http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/11

夜もすからなきぬらしぬる袖のうへにうすきひとへはかりを
ひきかけて立いてたれは十七日の月にしにかたふきて
東はよこ雲わたる程なるにまくらもよきのかんの御そに
うす色の御そかたもんの御さしぬきいつよりもめとまる心ち
せしもたかならはしにかとおほつかなくこそたかあきの大納言/s12r k1-14

http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/12

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1)
『古今和歌集』恋四 よみ人しらず「いつはりのなき世なりせばいかばかり人の言の葉うれしからまし」
2)
前ページの雪の曙の歌をふまえる。
3)
「桜」は底本「まくら」
text/towazu/towazu1-06.txt · 最終更新: 2019/03/18 21:14 by Satoshi Nakagawa