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text:sesuisho:n_sesuisho5-043q

醒睡笑 巻5 上戸

1-q

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俗云はく、「一朝の忿(いか)りに其身を忘れ人を殺し殺さるる事、時の中夭と云ふも、皆前世の酬ひなり。雑集論1)に、『明業に過去・現在・未来の三義有り。生業に順ひ、現業に順ひ、後業に順ふ。此因縁を弁ぜよ』。先の罪の禍を招くなれば、因果経2)に、『過去の因を知らんと欲せば、其(その)現在の果を見、未来の果を知らんと欲せば、其(その)現在の因を3)見る』。以てこの義を了せざるが故に、二十五有(う)に沈淪し、六趣四生惛々たり。分明なるかな。不昧なるかな。因果善悪倶(とも)に宿報遁れ難し。尓(しか)るを、唯だ酒の過に負はする事、謂はれ無し。布袋和尚は、弥勒4)の化身にして、常に市中に酒を飲み、楚屈大夫5)は、独醒を以つて放逐せらる。宋蘇大夫6)は、不飲を以つて不能為り。僧の独醒にして不飲なれば、則ち放逐の徒か、不能の徒か」。

僧云はく、「弟子某甲(ぼうかふ)は、別解別行無し。且つ天迦の指南に執し、星の如く月の如く焉(これ)を守る、所以は何(いかん)。智を論ずれば則ち義として達せざるは無く、断を語れば則ち習気余り無し。智断之を具せば、能く世間を利し、世に尊重せらる。故に曰はく、世尊7)の彼の金口正法念経に云はく、『仏所に於て癡を生じ、壊世して世事を出づ8)。解脱を焼くころ火の如くなるは、所謂酒一法なり』と云々。智覚禅師云はく、『若し飲酒を誡とせずんば、永く智恵の種を断たん』と」。

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 可堅俗云一朝ノ忿ニ忘其身ヲ殺シ人ヲ被殺事時ノ中夭ト
云モ皆前世酬也雑集論ニ明業ニ有過去現在未来ノ三
義順生業順現業順後業弁セヨ此因縁ヲ先罪ヲ招クナレハ禍ヲ
因果経ニ欲知過去因見其現在果欲知未来果ヲ見
其現在目以不了此義ヲ故沈淪廿五有六趣四生惛々タリ
分明哉不昧因果善悪倶ニ宿報難遁尓ルヲ唯酒過ニ負スル
事無謂レ布袋和尚者弥勒之化身常於市中ニ飲酒ヲ/n5-36l
楚屈大夫者以独醒被放逐宋蘇大夫者以不飲為
不能僧独醒而不飲則放逐之徒耶不能之徒耶
僧云弟子某甲無別解別行且執天迦之指南如
星如月守焉所以者何論智則義無不達語断則
習気無餘智断具之能利世間為世尊重故曰世
尊彼金口正法念経云於仏所生癡壊世幽世事
焼解脱如ルハ火所謂酒一法也云々智覚禅師云
若不誡飲酒永断智恵ノ種ノ俗云順セハ僧ノ指南ニ可飲/n5-37r
1)
大乗阿毘達磨雑集論
2)
過去現在因果経
3)
「因」は底本「目」。
4)
弥勒菩薩
5)
屈原
6)
蘇軾
7)
釈迦
8)
「出」は底本「幽」。
text/sesuisho/n_sesuisho5-043q.txt · 最終更新: 2023/08/16 15:17 by Satoshi Nakagawa