醒睡笑 巻4 聞こえた批判
8 慶長七年七月七日に背中に笈摺などいふ物をかけつる人足・・・
校訂本文
慶長七年七月七日に、背中に笈摺(おひずり)などいふ物をかけつる人足、痩せ黒み竹杖にすがり、京の町を通れば、見る人、「あな恐し。げにやらん、このごろは地獄の釜の蓋も開き、罪人聖霊(しやうりやう)となり来るなると聞くが、さやうの者にや」と言ひあへるに、この者、店に寄りて、「瓜を一つ、いかほど」と言へば、「二文」と答ふ。「腰にただ一文あり。盆の結縁(けちえん)とおぼして、給はらんや」と。「その分にもせん」とあり。すなはち瓜を取り、かしらよりかぶり食らひ、後、はさみたる銭を見れば、落ちて縄ばかりぞ候ひける。
瓜の主へ、「慈悲と思し召し許し給へかし」と歎くに、この人、天然(てんねん)と慳貪(けんどん)にて、「沙汰のかぎり、すりのたぐひと覚ゆるなり。出でさせ給へ」と、町の人をもよほし、痩せたる男を追つ立て、板倉殿1)坪(つぼ)の内に引きすゑ、右の様子つぶさに訟(うつた)へ申す。人足もありのまま言上(ごんじやう)す。
伊賀守2)聞き給ひ、「いづれもことの実否(じつぷ)を糺明(きうめい)すべし。まづ、この者を瓜売に預くるに、二時(ふたとき)の飯をそちあたへ、昼は町としてよきに番すべし。ゆるがせならば、われを恨むな」とて、帰されけり。「ただ一文のことに、いらぬ儀を言うて、造作(ざうさ)するもの」とは思ひながら、一間(ひとま)なる所に押しこめ、番をすゑ、毎日の食(めし)をぞ与へける。
六日・七日に及べども、糺明なければ、こらへかね、おのおの参りて、「御糺明あれかし」と申すに、伊賀守、「事の多さに忘れて候ふ。今思案するに、時は盂蘭盆(うらぼん)、科(とが)は瓜一つ、これほどの裁許(さいきよ)は初めにすべかりしかど、瓜売の慳貪なる心根が憎さに延べつるぞ。飢ゑにのぞみたる者を見ては、招きても与ゆべきに、せんかたなき者を捕らへ来て、銭一文のことに『頸をはねよ』とはなんぞ。慈悲をせさすべきために、この中(ぢう)は養はせたり。急ぎその者許し帰せ」と下知あれば、その席にありし人、みな頭(かうべ)をかたぶけ、感涙を流さぬはなかりし。
翻刻
一 慶長七年七月七日にせなかにおひずり なといふ物をかけつる人足やせくろみ竹杖(たけつへ) にすがり京の町をとをれは見る人あなおそ ろしけにやらん此比は地獄の釜のふたもあ き罪人聖霊(しやうりやう)となりくるなると聞かさやう/n4-10r
の者にやといひあへるに此者みせによりて 瓜(うり)を一ついかほとといへは二文とこたふ腰(こし)に 只一文あり盆(ぼん)の結縁(けちゑん)とおほして給はらんや と其分にもせんとあり即瓜をとりかしら よりかぶりくらひ後はさみたる銭をみれは おちて縄斗(なははかり)そ候ける瓜の主へ慈悲(じひ)とおほし めしゆるし給へかしと歎(なけ)くに此人天然と 慳貪(けんどん)にて沙汰の限すりの類とおほゆるなり 出させ給へと町の人を催(もよほ)しやせたる男を/n4-10l
追立(おつたて)板倉殿坪の内に引すへ右之様子具(つぶさ) に訟(うつたへ)申人足もありのまま言上(ごんじやう)す伊賀守 聞給ひ何れも事の実否を糺明(きうめい)すへし先 此者を瓜売(うり)に預(あつ)くるに二時の飯をそち あたへ昼は町としてよきにばんすへしゆるか せならは我をうらむなとて帰されけり只一 文の事にいらぬ儀をいふて造作(さうさ)する物とは 思ひながら一間なる所におしこめ番をすへ 毎日の食(めし)をぞあたへける六日七日に及へと/n4-11r
も糺明なけれはこらへかねをのをの参て御糺明(きうめい) あれかしと申に伊賀守事の多さに忘(わす)れて 候今思案するに時は盂蘭盆(うらほん)科(とが)は瓜一つ是(これ) ほとの裁許(さいきよ)は初(はしめ)にすへかりしかど瓜売の慳貪(けんどん) なる心ねがにくさにのへつるぞ飢(うへ)に望(のそみ)たる 者を見てはまねきてもあたゆへきにせん かたなき者をとらへきて銭一文の事にくびを はねよとはなむそ慈悲をせさすべきために 此中はやしなはせたりいそきその者ゆるしかへ/n4-11l
せと下知あれば其席(せき)に有し人みな頭(かうべ)を かたふけ感涙(かんるい)をなかさぬはなかりし/n4-12r