醒睡笑 巻4 聞こえた批判
5 従一位の右大臣征夷将軍源家康公天下を治め給ふ・・・
校訂本文
従一位の右大臣征夷将軍源家康公1)天下を治め給ふ。この御代に賢臣・義士多き中に、板倉伊賀守2)、京都の所司代(しよしだい)として訟(うつた)へを聞き、理非を決断せらるるに、富貴の人とてもへつらふ色もなく、貧賤の者とてもくだせる体(てい)なし。しかる間、上下万民裁許(さいきよ)を悦びて、「奇なるかな、妙なるかな」と讃嘆(さんだん)する人、ちまたに満てり。「一滴舌上(いつてきぜつじやう)に通じて、大海の塩味(えんみ)を知る」とあれば、その金語(きんご)の端を言ふに、餘は知りぬべきや。
しかる時、越後にて、山伏宿を借りぬ。その節、国主(こくしゆ)の迎へに亭もまかり出でるに、かの山伏のさしたる刀、こしらへといひ作りといひ、世にすぐれたる物なるを借りて行き、いまだ宿に帰らざる間に、一国徳政の札立ちけり。
さるほどに、亭主帰りても刀を返すことなし。山伏こらへかね、しきりに乞ふ。宿主、返事するやう、「そちの刀借りたるところ実正(じつしやう)なり。されども、徳政の札立ちたる上は、この刀も流れたるなり。さらさら返すまじき」といふ。出入りになりければ、双方江戸に参り、大相国(だいしやうこく)3)御前の沙汰になれり。
そのみぎり、板倉伊賀守、下向あり。御前にはんべられし。「この裁許(さいきよ)いかに」と、御諚(ごぢやう)あるに、謹しんで、「造作(ざうさ)もなき儀と存じ候ふ。幸ひ札の上にて亭主が借りたる刀を流し候はば、また山伏が借りたる家をも、みな山伏がにつかまつるべきものなり」と申し上げられしかば、大相国、御感(ぎよかん)はなはだしかりし。
当意即妙の下知なるかな。「以正理之薬4)、治訴訟之病、挑憲法之灯、照愁歎之闇。(正理の薬を以て、訴訟の病を治(ぢ)す、憲法の灯を挑(かか)げて、愁歎の闇を照らす)」といふ金言もよそならず。
さすがおくかと思ふ重家
一腰(ひとこし)の刀ならでは質(しち)もなし
翻刻
一 従一位の右大臣征夷将軍(せいいしやうくん)源家康(みなもといえやす)公天下を 治め給此御代に賢臣(けんしん)義士(きし)多(おふ)き中に板倉 伊賀守京都(きやうと)の所司代(しよしたい)として訟(うつたへ)をきき理非/n4-6r
を決断(けつたん)せらるるに冨貴の人とてもへつらふ 色もなく貧賤の者とてもくたせる体(てい)なし 然(しかる)間上下万民(はんみん)裁許(さいきよ)を悦て奇なるかな 妙なるかなと讃嘆(さんたん)する人地またにみてり 一滴(てき)舌上(せつしやう)に通して大海の塩味をしると あれは其金語(ご)のはしをいふに餘はしりぬへきや しかる時越(ゑち)後にて山伏(ふし)宿(やと)をかりぬ其節 国主の迎に亭も罷出るに彼山伏のさし たる刀こしらへといひつくりといひ世にすく/n4-6l
れたる物なるをかりて行いまた宿に帰ら さるあひたに一国(こく)徳政(とくせい)の札たちけり去程(ほと) に亭主(ていしゆ)かへりても刀をかへす事なし山伏こら へかねしきりにこふ宿主返事するやうそち の刀かりたる処実正(しづしやう)なりされとも徳政の 札立たる上は此刀もなかれたるなりさら さらかへすましきといふ出入になりけれは双 方江戸に参り大相国(たいしやうこく)御前の沙汰になれり 其砌(みきり)板倉伊賀守下向あり御まへにはんべ/n4-7r
られし此裁許(さいきよ)いかにと御諚(ぢやう)あるに謹(つつしん)て造(さう) 作もなき儀と存候幸(さいはい)札の上にて亭主がかり たる刀をなかし候はは又山臥かかりたる家をも みな山伏がに仕べき物なりと申上られしかば 大相国御感(かん)甚(はなはた)かりし当意即妙(たういそくめう)の下知(ち)なる かな以上理(しやうり)之薬(くすりを)治(ちす)訴訟(しやう)之病(やまいを)挑(かかけ)憲法(けんほう)之 灯(ともしひ)照(てらす)愁歎(しうたん)之闇(やみ)といふ金言もよそならす さすかをくかとおもふ重家 一腰の刀ならてはしちもなし/n4-7l