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醒睡笑 巻3 清僧
8 天竺に一寺あり住僧多し達磨和尚僧どもの行ひを見給ふに念仏するあり・・・
校訂本文
天竺に一寺あり。住僧多し。達磨和尚、僧どもの行ひを見給ふに、念仏するあり。ある房に八・九十ばかりなる僧、ただ二人碁を打つほかは他事なし。達磨、件(くだん)の房を出で、ほかの僧に問ふ。答へていはく、「この二人、若きより囲碁のほかすることなし。よつて、寺僧いやしみ、外道(げだう)のごとく思へり」と言ふ。
和尚聞て、「さだめてやうあらん」と思ひ、かの老僧の傍らにて、碁打つ様を見れば、一人は立ち一人は居ると見るに、忽然(こつぜん)として失せぬ。怪しく思ふほどに、立てるは帰り居ると見れば、また居たる僧失せぬ。
「さればこそ」と思ひ、「囲碁のほか他事なしと承る。そのゆゑを聞き奉らん」とのたまふに、答へていはく、「年来このことよりほかはなし。ただ黒勝つ時は、『わが煩悩勝ちぬ』と悲しみ、白勝つ時は『菩提勝ちぬ』と悦ぶ。打つにしたがひて、煩悩の黒を失ひ、たちまちに証果(しようくわ)の身となり侍るなり」と云々。
山の端(は)にさそはば入らんわれもただ憂き世の空に秋の夜の月
解脱上人1)の、「世に随へば望みあるに似たり。俗にそむけば狂人のごとし。あな憂(う)の世の中や。一身(いつしん)いづれの処にか隠さん」と書かれしを、右の歌に引き合はせて、衣の袖をしぼりにき。
翻刻
一 天竺に一寺あり住僧おほし達磨(たるま)和尚僧 どもの行(おこな)ひを見給ふに念仏するあり或(ある) 房に八九十斗なる僧只二人碁を打外は 他事なし達磨件の房を出他の僧に 問答云此二人若より囲碁(いき)の外する事/n3-52l
なし仍(よつて)寺僧いやしみ外道(けたう)のことく思へりと云 和尚聞て定て様あらんと思ひ彼老僧の 傍にて碁打様を見れは一人は立一人は 居と見に忽然(こつせん)として失ぬあやしく思程に たてるは帰りゐると見れは又居たる僧失 ぬされはこそと思ひ囲碁の外他事なし と承る其故を聞奉らんとの給ふに答 云年来此事より外はなし但(たた)黒勝(くろかや) ときは我煩悩(ぼんなう)勝ぬとかなしみ白勝(しろかつ)時は/n3-53r
菩提(ほたい)勝ぬと悦打に随て煩悩の黒を 失ひ忽(たちまち)に証果(せうくは)の身と成侍也と云々 山のはにさそはば入らん我もたた うきよの空に秋の夜の月 解脱(げたつ)上人の世に随へば望あるににたり 俗にそむけは狂人のことしあなうの 世中や一身いつれの処にかかくさんと かかれしを右の哥に引合て衣の 袖をしほりにき/n3-53l
1)
貞慶
text/sesuisho/n_sesuisho3-107.txt · 最終更新: 2021/11/07 23:27 by Satoshi Nakagawa