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醒睡笑 巻1 ふはとのる
5 足利にてのことなるに塩は塩はと呼んでいかにもいつくしく若き商人来たれり・・・
校訂本文
足利にてのことなるに、「塩は、塩は」と呼んで、いかにもいつくしく若き商人来たれり。こざかしき学侶一人出で合ひ言ひけるは、「たださへも道を二里・三里とは、たやすく歩行(ほかう)なりさうもなき、優に育ちの姿なるが、この重き物を持ちては、何として歩(あり)かれ候ふや」など語り、時刻移り、やうやう帰らんとする時、升(ます)に塩を量り、僧に与へぬ。「こは何(なん)のゆゑぞ」と問ふ。「『親(しん)は泣き寄り』と言へり。われならで誰とはん。次信1)が日なり。心ざしに参らする」。
翻刻
一 足利にての事なるに塩は塩はとよんてい かにもいつくしくわかき商人来れりこざか しき学侶一人出合いひけるはたたさへも道 を二里三里とはたやすく歩行(ほかう)なりさうも なきゆうにそだちのすかたなるが此をもき 物をもちてはなにとしてありかれ候やなと/n1-41l
かたり時刻うつりやうやうかへらんとする時 舛にしほをはかり僧にあたへぬこは なんの故そととふしんはなきよりといへり われならて誰とはん次信か日なりこころ ざしに参らする/n1-42r
1)
佐藤継信
text/sesuisho/n_sesuisho1-092.txt · 最終更新: 2021/05/06 18:43 by Satoshi Nakagawa