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text:kohon:kohon066

古本説話集

第66話 賀茂の社より、御幣紙・米等を用途に減ふ程を給はるる僧の事

自賀茂社給御幣滅程用途僧事

賀茂の社より、御幣紙・米等を用途に減(つか)ふ程を給はるる僧の事1)

校訂本文

今は昔、比叡(ひえ)の山に僧ありけり。いと頼りなかりけるが、「鞍馬に七日ばかり参らん」とて、参りけり。「夢などや見ゆる」とて参りけれど、見えざりければ、「いま七日」とて参りけれど、なほ見えざりければ、また七日延べて参りけれど、なほ見えねば。七日を延べ延べして百日参りけり。

その百日といふ夜の夢に見るやう、「我はえ知らず。清水へ参れ」と仰せられければ、明くるより京に下りて、清水へ参り歩(あり)く。

百日参りて後に、「えこそ己に頼り付くまじけれ。賀茂に参りて申せ」と仰せられければ、また賀茂に参りて、七日ばかりと思ふと、「例の夢、見ん見ん」と参り歩きけるほどに、百日といふ夜の夢に、「わ僧がかく参るもいとほしくて、歩きてただにあらん、いとほし。御幣紙(ごへいがみ)、打撒(うちまき)の米ほどの物、たしかに取らせむ」と見て、うち驚きたる心地、いといと心憂く、あはれに悲し。

「所々かくのみ仰せらるる。打撒の米の代りばかり給ひて、何にかせん。我、京へ帰らで、山へ登らんも人目恥かし。賀茂川にや落ち入りなまし」と思へど、また、さすがに、「いかやうにせさせ給べきにか」と、ゆかしくおぼえけり。

さりとて、あるべきならねば、もとの所に帰りてゐたるほどに、我、知りたる所より、「物申し候はん」と言ふ人あり。「誰(た)そ」とて見れば、白き長櫃を担(にな)はせて、縁に置きて帰りぬ。「いとあやし」と思ひて、使ひ尋ぬれど、おほかたなし。これを開けて見れば、白き米と、よき紙とを、一長櫃入れたり。

「これは見し夢のままなりけり。さりと、おのづから『異(こと)頼りもや』とこそ思ひつれ。ただこればかりを、まことに返し賜びたる」と、いと心憂く思へど、「いかがはせん」とて、この米をよろづに使ふに、たた同じ多さにて、失することゆめになし。されば、紙も米も、おぼしきに取りつかへど、失することなく、同じ多さなれば、別(べち)にいときらきらしからねど、いと楽しき法師にてそありける。

なほ、物詣ではすべきなり。

翻刻

いまはむかしひえのやまに僧ありけりいとたよ
りなかりけるかくらまに七日はかりまいらんとてまいり
けりゆめなとやみゆるとてまいりけれと見えさり
けれはいま七日とてまいりけれとなをみえさりけれは
又七日のへてまいりけれとなをみえねは七日をのへのへ
して百日まいりけりその百日といふよの夢に
みるやう我はえしらすきよみつへまいれとおほせられ/b248 e127
けれはあくるより京にをりてきよみつへまいりあり
く百日まいりてのちにえこそをのれにたよりつく
ましけれかもにまいりて申せとおほせられけれは
又かもにまいりて七日はかりと思とれいのゆめみんみんと
まいりありきけるほとに百日といふよのゆめに
わそうかかくまいるもいとをしくてありきてたた
にあらんいとをしこへいかみうちまきのこめ
ほとの物たしかにとらせむとみてうちをとろ
きたる心ちいといと心うくあはれにかなしところ
ところかくのみおほせらるるうちまきのこめのかはり/b249 e127
はかり給てなににかせん我京へかへらてやまへのほら
んも人めはつかしかもかはにやをちいりなましと
おもへと又さすかにいかやうにせさせ給へきにかと
ゆかしくおほえけりさりとてあるへきならねはもとの
所にかへりてゐたるほとに我しりたる所より物申
候はんといふひとありたそとてみれはしろきなかひつ
をになはせてえんにをきてかへりぬいとあやし
と思ひてつかひたつぬれとおほかたなしこれをあけ
てみれはしろきこめとよきかみとをひとなかひつ
いれたりこれはみしゆめのままなりけりさりと/b250 e128
をのつからことたよりもやとこそ思ひつれたたこ
れはかりをまことにかへしたひたるといと心うく
思へといかかはせんとてこのこめをよろつにつかふ
にたたおなしおほさにてうすることゆめになし
されはかみもこめもをほしきにとりつかへとう
することなくおなしおほさなれはへちにいときらきら
しからねといとたのしきほうしにてそ有ける
なを物まうてはすへきなり/b251 e128
1)
底本の標題が意味不明のため、朝日古典全書による。
text/kohon/kohon066.txt · 最終更新: 2014/09/21 13:30 by Satoshi Nakagawa