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text:kohon:kohon058

古本説話集

第58話 長谷寺参詣の男、虻を以つて大柑子に替ふる事

長谷寺参詣男以蝱替大柑子事

長谷寺参詣の男、虻を以つて大柑子に替ふる事

校訂本文

今は昔、父も、母も、主(しう)も、妻(め)も、子も無くて、ただ一人ある青侍(さぶらひ)ありけり。

すべき方(はう)もなかりけるままに、「観音、助けさせ給へ」とて、長谷(はつせ)に参りて、御前(おまへ)にうつぶし伏して申しけるやう、「この世に、かくてあるべくは、やがてこの御前にて干死にに死なん。また、おのづからなる便りもあるべくは、そのよしの夢みざらん限りはまかり出づまじ」とて、うつぶし伏したりけるを、寺の僧見て、「こはいかなる物の、かくては候ふぞ。物食ふ所見えず。かくてうつぶし伏したれば、寺のため、穢(けがら)ひ出で来て大事なりなん。誰を師にはしたるぞ。いづこにてか物は食ふ」など問ひければ、「かく頼りなき人は、師取りもいかにしてかし侍らん。物食ぶる所もなく、『あはれ』と申す人も無ければ、仏の給はん物を賜べて、仏を師と頼み奉りて候ふなり」と答へければ、寺の僧ども集まりて、「この事、いと不便(ふび)のことなり。寺のために大事なり。観音をかこち申す人にこそあめれ。これ集りて、養ひてさぶらはせん」とて、かはるがはる物を食はせければ、持て来たる物を食ひつつ、御前に立ち去らず候ひけるほどに、三七日になりにけり。

三七日の果てて、明けんずる夜の夢に、御帳より人の出で来て、「この男の、己れが先の世の罪の報いをば知らで、観音かこち申して、かくて候ふこと、いとあやしきことなり。さはあれども、申すことのいとほしければ、いささかなること、はからひ給ひ終りぬ。まづ、すみやかにまかり出でね。まかり出でんに、何にまれ、彼(か)にまれ、手に当らん物を取りて、捨てで持たれ。それぞ、きうぢが給はりたる物。とくとくまかり出でよ」。終ると見て、「起きてあれ」と言ひける僧のもとによりて、物うち食ひて、かく蓑かけてまかり出でけるほどに、大門につまづきて、うつぶしに倒(たう)れにけり。

起き上がりたるに、手にあれにもあらず握られたる物を見れば、藁の筋という物のただ一筋が握られたるを、「賜ぶ物にてありけるにやあらん」と、いと物はかなく思へども、「仏の謀(たばか)らせ給ふやうあらん」、これを手まさぐりにしつつ行くほどに、虻の一つ、ぶめきて顔のめぐりにあるを、うるさければ、木の枝を取りてはらひ捨つれども、なほ、ただ同じ様にうるさくぶめきければ、手に捕へて、腰をこの藁の筋してひき括りて持たりければ、腰を括られて、他へはえ行かで、ぶめき飛みけるを、長谷に参りける女車の、前の簾をうちかつぎてゐたる児子(ちごこ)の、いとうつくしげなるが、「あの男の持ちたる物は何ぞ。かれ乞ひて、我に得させよ」と、馬に乗りて供にある侍(さぶらひ)に言ひければ、その侍、「かの男、その得たる物、若君の召すに、参らせよ」と言ひければ、「仏の賜びたる物に候へど、かく仰せごと候へは、参らせ候はん」とて、取らせたりければ、「この男、いとあはれなる男なり。若君の召す物を、心やすく参らせたること」と言ひて、大柑子(だいかうじ)を、「これ、喉渇くらん。食べよ」とて、三(み)つ、いと香ばしき陸奥紙(みちのくにがみ)に包みて取らせたりければ、取り伝へて、虻取りける侍、取らせたりければ、「藁一筋が大柑子三つになりぬること」と思ひて、木の枝に結ひ付けて、肩にうち懸けて行くほどに、「故(ゆえ)ある人の忍びて参るよ」と見えて、侍などあまた具して、徒歩(かち)より参る女房の、歩み困(こう)じて、ただ垂りに垂りゐたるが、「喉の渇けば、水飲ませよ」と、ゆき入りなんずる様にすれば、供の人々、手惑ひをして、「近く水やある」と、走り騒ぎ求むれども、水もなし。

「こは、いかがせんずる。御旅籠馬や入りにたる」と問へど、遥かに遅れたりとて見えず。ほとほとしき様(やう)に見ゆれば、まことに騒ぎ惑ひてし扱ふを見て、「喉渇きて騒ぐ人よ」と見えてければ、やをら歩み寄りたるに、「ここなる男こそ、水のあり所は知りたるらめ。この辺近く、水の清き所やある」と問ひければ、「この四五町がうちには、清き水候はじ。いかなることの候ふにか」と問ひければ、「歩み困ぜさせ給ひて、御喉の渇かせ給ひて、『水召さん』とおほせらるるに、水の無きが大事なれば、尋ぬるぞ」と言ひければ、「不便に候ふことかな。水候ふ所は遠きなり。汲みて帰り参らば、程経候ひなん。 これはいかが」とて、包みたる柑子を三つながら取らせたれば、喜び騒ぎて、食はせたれば、それを食ひてやうやう目を見開けて、「こはいかなりつることぞ」と言ふ。

「御喉渇かせ給ひければ、『水飲ませよ』と仰せられつるままに、御殿籠り入らせ給ひつれば、水求め候らひつれども清き水も候はざりつるに、ここに候ふ男の思ひがけぬに、その心を得て候ひけるにや、この柑子を三つ奉りたりつれば、参らせたりつるなり」と言ふに、この女房、「我は、さは、喉渇きて絶え入りたりけるにこそありけれ。『水飲ませよ』と言ひつるばかりは、おのづからおぼゆれど、その後の事はいかにもつゆおぼえず。この柑子得させざらましかば、この野中にて消え入りなまし。うれしかりける男かな。この男はまだあるか」と問へば、「かしこにまだ候ふ」と言へば、「その男、しばしあれと言へ。いみじからんことありとも、絶え入り果てなましかば、かひなくてこそやみなましか。この男のうれしと思ふばかりの事は、かかる旅にてはいかかせんずる」とて、「食ひ物などは持て来たるか。物など食はせてやれ」と言へば、「彼の男、しばし候らへ。御旅籠馬など参りたらんに、物など食べてまかれ」と言へば、「うけ給はりぬ」とて居たるほどに、旅籠馬や皮籠馬など来着きたり。

「などかく遥かに後れて遅くは参るぞ。御旅籠馬などは、常に先に立ち候ふこそ良けれ。とみのことなどもあるに、かく後るるは良きことか」など言ひて、やがてそこに屏幔(へいまん)引き、畳どもなと敷きて、「水ぞ遠かなれど、困うぜさせ給ひにたれば、人の召し物はここにて召すべきなり」とて、とまりぬ。

夫ども遣りなどして、水汲ませ食ひ物し出だしたれば、その男にいときよげに物して食はせたり。物を食ふ食ふ、「ありつる柑子を、何にならんずらむ。観音、導かせ給ふことなれば、よもむなしくてはやまじ」と思ひたるほどに、白く良き布を三疋(みむら)、取り出でて、「これ、あの男に取らせよ。この柑子の喜びは言ひ尽すべきかたもなけれども、かかる旅にては、「うれし」と思ふばかりの事はいかがはせむする。これはただ、心ざしの始めを見するなり。京のおはしまし所はそこそこになんおはします。かならず参れ。この柑子の代りの物は賜ばんするぞ」と言ひて、布三疋を取らせたれば、喜びて布を取りて、「藁筋一つが布三疋になりぬること」と思ひて、脇に挟みてまかるほどに、その日は暮れにけり。

道面(みちつら)なる人の家に泊まりて、明けぬれば、鶏(とり)とともに起きて行くほどに、日さし明かりて辰の時になるほどに、えもいはず良き馬に乗りたる人、この馬をあひしつつ、道をも行きやらず、ふるまはする男会ひたり。「まことにえもいはぬ馬かな。これを千段がけなどはいふにやあらん」と見るほどに、この馬のにはかに倒れて、たた死にに死ぬれば、主(ぬし)、我彼(われか)にもあらぬ気色にて、下りて立ちたり。惑ひて鞍下しつ。

「いかがせんずる」と言へども、かひなく死に果てぬれば、手を打ち、あさましがり、泣きぬばかりに思ひたれど、すべきかたなくて、あやしの馬のあるに鞍置き替へて、「かくてここにありとも、すべきやうもなし。我らは往なん。これ、ともかくもして、ひき隠せ」とて、下衆男一人を留めて往ぬれば、この男見て、「この馬は我が馬にならむとて、死ぬるにこそあめれ。藁筋一筋が柑子三つになりたりつ。柑子三つが布三疋になりたり。この布の、この馬になるべきなめり」と思ひて、歩みよりて、この男に言ふやう、「こは、いかなりつる馬ぞ」と問ひければ、「陸奥国(みちのくに)より、この馬をただ据ゑて上らせ給ひつる馬を、よろづの人の欲しがりて、『価(あたひも)限らず買はん』と申しつるをも、放ち給はざりつるほどに、今日かく死ぬればその価1)一疋をだに取らせ給はずなりぬ。己れも『皮をだに剥がばや』と思へど、『旅にてはいかがはせむずる』と思ひて、守り立ちて侍るなり」と言ひければ、「そのことなり。『いみじき馬かな』と見侍りつるほどに、はかなくかく死ぬることの、命ある物はあさましきなり。かはらにても、たちまちにえ干しえ給はじ。己はこの辺に侍れば、かはらにて使ひ侍らん。得させておはしね」とて、この布を一疋(ひとむら)取らせたれば、男、「思はずなる所得(せうとく)したり」と思ひて、「思ひもぞ返す」とや思ひけむらん、布を取るままに、見だにも返らず、走りて去ぬ。

男、よく遣り果てて後に、手かき洗ひて長谷(はせ)の御方に向ひて、「この馬、生けて給はらん」と念じ入りたるほどに、この馬、目を見開くるままに、首をもたげて起きむとしければ、やをら手をかけて起し立てつ。うれしき事限りなし。

「後れたる人もぞ来る。ありつる男もぞ返り来る」など、危ふくおぼえければ、やうやう隠れの方へ引き入れて、時変るまで休めて、もとのやうに心地もなりにければ、人のもとに引き持て行きて、その布一疋して、轡(くつは)やあやしの鞍に替へて、馬に置きて、京ざまに上るほどに、宇治辺(わた)りにて日暮れにければ、その夜、人のもとに泊まりて、いま一疋の布して馬の草や我が食ひ物などに替へて、その夜は泊まりぬ。

つとめて、いととく京ざまに上りければ、九条辺りなる人の家に、物へ行むずるやうにて、立ち騒ぐ所あり。「この馬、京に率て行きたらんに、見知り人ありて、『盗みたるか』など言はれんもよしなし。やをらこれを売りてばや」と思ひて、「かやうの所に馬など要する物ぞかし」とて、降り走りて寄りて、「もし、馬などや買はせ給ふ」と問ひければ、「馬をがな」と願ひ惑ひけるほどに、この馬を見て、「いかにせん」と騒ぎて、「ただ今衣などなむ無きを、この鳥羽の田や米(よね)などに替へてんや」と言ひければ、「中々、衣よりは大事のことなり」と思ひて、「衣・布こそ要には侍れ。己は旅なれば、田などは何にかはせんずると思ひ給ふれども、馬の御用あるべくは、ただ仰せにこそは従はめ」と言へば、この馬に乗り、試み馳せなどして、「ただ思ひつる様なり」と言ひて、この鳥羽の近き田三町、稲少し、米など取らせて、やがてこの家を預けて、「己、もし命ありて帰り上りたらば、その時に返し得させ給へ。上らざらむ限りは、かくて居給ひつれ。もし、また命絶えて亡くもなりなば、やがて我が家にし給へ。子も侍らねば、とかく言ふ人もよも侍らじ」と言ひて、預けて、やがて往にければ、その家は得たりける。

米・稲など取り置きて、替り居にけり。ただ一人なりけれど、食ひ物ありければ、傍(かたはら)なりける下衆など出で来て、使はれなどして、ただありつきにありつきけり。

二月ばかりの事なりければ、その得たりける田を、半らは人に作らせ、いま半らは我が料に作らせたりけるが、人の方にとて作りたりける良けれども、例のままにて、己が料と名付けたりける、ことのほかに多く出で来たりければ、多く刈り置きて、それうち始め、風の吹き付くるやうに徳付きて、いみじき人にてぞありける。

その家主も音せずなりにければ、その家も我が物にて、ことのほかに徳ある物にてぞありける。

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いまはむかしちちもははもしうもめもこ
もなくてたたひとりあるあをさふらひ
有けりすへきはうもなかりけるままに
観音たすけさせ給へとてはつせにまいり
ておまへにうつふしふして申けるやうこの/b181 e93
よにかくてあるへくはやかてこの御まへにて
ひしににしなん又をのつからなるたよりも
あるへくはそのよしのゆめみさらんかきり
はまかりいつましとてうつふしふしたり
けるを寺の僧みてこはいかなる物ゝかくては
候そ物くふ所みえすかくてうつふしふし
たれは寺のためけからひいてきて大事
なりなんたれを師にはしたるそいつこにてか
物はくふなととひけれはかくたよりなき人は
しとりもいかにしてかし侍らん物たふる所/b182 e94
もなくあはれと申人もなけれは仏の給はん
物をたへてほとけをしとたのみたてまつ
りて候也とこたへけれは寺の僧ともあつま
りてこの事いとふひのこと也寺のために
大事なり観音をかこち申人にこそあ
めれこれあつまりてやしなひてさふらはせんと
てかはるかはる物をくはせけれはもてきたる
物をくひつつ御まへにたちさらす候ける
ほとに三七日になりにけり三七日のはてて
あけんするよのゆめに御ちやうより人の/b183 e94
いてきてこのをのこのをのれかさきのよのつ
みのむくいをはしらて観音かこち申てかく
て候こといとあやしきこと也さはあれとも
申ことのいとをしけれはいささかなること
はからひ給をはりぬまつすみやかにまかり
いてねまかりいてんになににまれかにまれ
てにあたらん物をとりてすててもたれそ
れそきうちか給はりたる物とくとくまかりいて
よおはるとみておきてあれといひける僧のも
とによりて物うちくひてかくみのかけてまかり/b184 e95
いてけるほとに大門につまつきてうつふしに
たうれにけりおきあかりたるにてにあれに
もあらすにきられたる物をみれはわらの
すちという物ゝたたひとすちかにきられ
たるをたふ物にてありけるにやあらんと
いと物はかなく思へとも仏のたはからせ給やう
あらんこれをてまさくりにしつついくほと
にあふのひとつふめきてかほのめくりに
あるをうるさけれはきのえたをとりてはら
ひすつれともなをたたをなし様にうるさく/b185 e95
ふめきけれはてにとらへてこしをこのわら
のすちしてひきくくりてもたりけれは
こしをくくられてほかへはえいかてふめきと
みけるをはつせにまいりける女くるまのまへ
のすたれをうちかつきてゐたるちここのい
とうつくしけなるかあのおとこのもちたる物
はなにそかれこひて我にえさせよとむまに
のりてともにあるさふらひにいひけれはそ
のさふらひかのおとこそのえたる物わかき
みのめすにまいらせよといひけれは仏のたひた/b186 e96
る物に候へとかくおほせこと候へはまいらせ候はんと
てとらせたりけれはこのおとこいとあはれ
なるおとこ也わかきみのめす物を心やすく
まいらせたることといひてたいかうしをこれ
のとかはくらんたへよとてみついとかうはしき
みちのくにかみにつつみてとらせたりけれは
とりつたへてあふとりけるさふらひとらせ
たりけれはわらひとすちか大かうしみつに
なりぬることと思ひて木のえたにゆいつけ
てかたにうちかけてゆくほとにゆえあるひと/b187 e96
のしのひてまいるよとみえてさふらひなとあ
またくしてかちよりまいる女房のあゆみ
こうしてたたたりにたりゐたるかのと
のかはけはみつのませよとゆきいりなんす
る様にすれはともの人々てまとひをしてち
かくみつやあるとはしりさはきもとむれとも
みつもなしこはいかかせんする御はたこむま
やいりにたるととへとはるかにをくれたりと
てみえすほとほとしきやうにみゆれはまことに
さはきまとひてしあつかうをみてのとかはき/b188 e97
てさはく人よとみえてけれはやをらあゆみ
よりたるにここなるおとここそみつのあり所
はしりたるらめこのへんちかくみつのきよ
き所やあるととひけれはこの四五ちやうかうち
にはきよきみつ候はしいかなることの候にか
ととひけれはあゆみこうせさせ給て御のとの
かはかせ給てみつめさんとおほせらるるに
みつのなきか大事なれはたつぬるそといひ
けれはふひむにさふらふことかなみつ候所は
とをき也くみてかへりまいらはほとへ候なん/b189 e97
これはいかかとてつつみたるかうしをみつなからと
らせたれはよろこひさはきてくはせたれは
それをくひてやうやうめをみあけてこはいかなり
つることそといふ御のとかはかせ給けれはみつのま
せよとおほせられつるままに御とのこもりいらせ
給つれはみつもとめさふらひつれともきよきみ
つもさふらはさりつるにここに候おとこの思ひ
かけぬにその心をえて候けるにやこのかうし
をみつたてまつりたりつれはまいらせたりつる
也といふにこの女房我はさはのとかはきてたえいりた/b190 e98
りけるにこそ有けれみつのませよといひつるはか
りはおのつからおほゆれとそののちの事はいかに
もつゆおほえすこのかうしえさせさらましかは
このの中にてきえいりなましうれしかり
けるおとこかなこのをとこはまたあるかととへはか
しこにまた候といへはそのおとこしはしあれと
いへいみしからんことありともたえいりはてなま
しかはかひなくてこそやみなましかこのをと
このうれしと思ふはかりの事はかかるたひにては
いかかせんするとてくひ物なとはもてきたるか/b191 e98
ものなとくはせてやれといへはかのをとこしは
しさふらへ御はたこむまなとまいりたらんに物なと
たへてまかれといへはうけ給はりぬとていたるほとに
はたこむまやかはこむまなときつきたりなと
かくはるかにをくれてをそくはまいるそ御は
たこむまなとはつねにさきにたちさふらふこ
そよけれとみのことなともあるにかくをくる
るはよきことかなといひてやかてそこにへいまん
ひきたたみともなとしきてみつそとほかなれ
とこうせさせ給にたれは人のめし物はここにてめ/b192 e99
すへきなりとてとまりぬ夫ともやりなとして
みつくませくひ物しいたしたれはそのおとこ
にいときよけに物してくはせたり物をくふくふ
ありつるかうしをなににならんすらむくわん
をんみちひかせ給ことなれはよもむなしくてはや
ましと思ひたるほとにしろくよきぬのをみむら
とりいててこれあのおとこにとらせよこのかう
しのよろこひはいひつくすへきかたもなけれとも
かかるたひにてはうれしと思ふはかりの事はいかか
はせむするこれはたた心さしのはしめをみする也/b193 e99
京のおはしまし所はそこそこになんをはしますか
ならすまいれこのかうしのかはりの物はたはんするそと
いひてぬの三むらをとらせたれはよろこひてぬの
をとりてわらすちひとつかぬのみむらになりぬる
ことと思ひてわきにはさみてまかるほとにその日は
くれにけりみちつらなる人のいゑにとまりてあ
けぬれはとりとともにおきてゆくほとにひさし
あかりてたつの時になるほとにえもいはすよき
むまにのりたる人このむまをあひしつつみち
をもゆきやらすふるまはするおとこあひたりまことにえもいは/b194 e100
ぬむまかなこれを千段かけなとはいふにやあらん
とみる程にこのむまのにはかにたふれてたた
しににしぬれはぬしわれかにもあらぬけしき
にてをりてたちたりまとひてくらをろしつ
いかかせんするといへともかひなくしにはてぬれは
てをうちあさましかりなきぬはかりに思ひたれと
すへきかたなくてあやしのむまのあるにくらを
きかへてかくてここにありともすへきやうもなし
我らはいなんこれともかくもしてひきかくせとて
けすをとこひとりをととめていぬれはこのおとこ/b195 e100
見ゝてこのむまはわれかむまにならむとてしぬる
にこそあめれわらすち一すちかかうしみつに
なりたりつかうしみつかぬのみむらになりたり
このぬののこのむまになるへきなめりとおもひて
あゆみよりてこのおとこにいふやうこはいかなり
つるむまそととひけれはみちのくによりこのむ
まをたたすえてのほらせ給つるむまをよろつの人
のほしかりてあたひもかきらすかはんと申つるをも
はなち給はさりつるほとに今日かくしぬれはその
あひた一ひきをたにとらせ給はすなりぬをのれも/b196 e101
かはをたにはかはやとおもへとたひにてはいかかはせむ
すると思ひてまもりたちて侍なりといひけれはその
こと也いみしきむまかなとみ侍つるほとにはかなくかく
しぬることのいのちある物はあさましきなりかはら
にてもたちまちにえほしえ給はしをのれはこの辺
に侍れはかはらにてつかひ侍らんえさせてをはしねとて
このぬのをひとむらとらせたれはおとこおもはす
なるせうとくしたりとおもひて思ひもそかへすとや
おもひけむらんぬのをとるままにみたにもかへらすはしり
ていぬをとこよくやりはててのちにてかきあらひて/b197 e101
はせの御かたにむかひてこのむまいけて給はらんとねん
しいりたるほとにこのむまめをみあくるままにくひ
をもたけてをきむとしけれはやをらてをかけてをこ
したてつうれしき事かきりなしをくれたる人
もそくるありつるおとこもそかへりくるなとあやふ
くおほえけれはやうやうかくれのかたへひきいれてとき
かはるまてやすめてもとのやうに心ちもなりにけれは
人のもとにひきもてゆきてそのぬのひとむらして
くつはやあやしのくらにかへてむまにをきて京さ
まにのほるほとにうちわたりにて日くれにけれはその/b198 e102
よひとのもとにとまりていまひとむらのぬのして
むまのくさやわかくひ物なとにかへてその夜はとま
りぬつとめていととく京さまにのほりけれは九条
わたりなる人のいゑに物へいかむするやうにてたちさはく
ところありこのむま京にいてゆきたらんにみしり
人ありてぬすみたるかなといはれんもよしなし
やをらこれをうりてはやと思ひてかやうの所にむまな
とようする物そかしとてをりはしりてよりてもし
むまなとやかはせ給ふととひけれはむまをかなとねかひ
まとひけるほとにこのむまを見ていかにせんとさはき/b199 e102
てたたいまきぬなとなむなきをこのとはのたやよ
ねなとにかへてんやといひけれは中々きぬよりはた
いちのこと也と思ひてきぬぬのこそようには侍れ
をのれはたひなれはたなとはなににかはせんする
と思ひたまふれともむまの御ようあるへくはたたおほ
せにこそはしたかはめといへはこのむまにのり心み
はせなとしてたた思ひつるさまなりといひてこの
とはのちかき田三丁いねすこしよねなととらせて
やかてこのいゑをあつけてをのれもしいのちありて
かへりのほりたらはそのときにかへしえさせ給へのほ/b200 e103
らさらむかきりはかくてゐ給つれもし又いのちたえて
なくもなりなはやかてわかいゑにし給へこも侍らねは
とかくいふ人もよも侍らじといひてあつけてやかていに
けれはそのいゑはえたりけるよねいねなととりをきて
かはりゐにけりたたひとりなりけれとくひ物ありけ
れはかたはらなりけるけすなといてきてつかはれなと
してたたありつきにありつきけり二月はかりの
事なりけれはそのえたりけるたをなからは人につ
くらせいまなからは我かれうにつくらせたりけるか
ひとのかたにとてつくりたりけるよけれともれいの/b201 e103
ままにてをのれかれうとなつけたりけることのほか
におほくいてきたりけれはおほくかりをきてそれう
ちはしめかせのふきつくるやうにとくつきていみ
しき人にてそありけるそのいゑあるしもおとせ
すなりにけれはその家もわか物にてことのほかにとく
ある物にてそありける/b202 e104

以下、4行ぶん空白。次丁より第59話になる。

1)
底本「あひた」
text/kohon/kohon058.txt · 最終更新: 2014/09/21 13:28 by Satoshi Nakagawa