古本説話集
第57話 清水寺二千度詣の者、双六に打入る事
清水寺二千度詣者打入双六事
清水寺二千度詣の者、双六に打入る事
校訂本文
今は昔、この四五年ばかりのほどのことなるべし。人のもとに、宮仕へしてある生侍(なまさぶらひ)ありけり。することの無きままに、清水に人真似して、千度詣で二たびぞしたりける。
其の後いくばくもなくて、主(しう)のもとにありける、同じやうなる侍と双六(すぐろく)をうち合ひにけり。多く負けて、渡すべき物無かりけるを、いたく責めければ、思ひわびて、「我が持たる物なし。ただ今貯へたる物とては、清水二千度参りたることのみなんある。それを渡さん」と言ひければ、傍(かたはら)にて聞く人々は、「うち謀るなり」と烏滸に思ひて笑ひけるを、この打ち敵(かたき)の侍、「いとよきことなり。渡さば得ん」と言ひければ、この負け侍、「さは、渡す」とほほ笑みて言ひければ、「いな、かくては受け取らじ。三日して、このよし申して、おのれに渡すよしの文(ふみ)書きて渡さばこそ、受け取らめ」と言ひければ、「よきことなり」と契りて、その日より精進(さうじ)して三日といひける日、「さは、いざ清水へ」と言ひければ、この負け侍、「烏滸の痴者(しれもの)に会ひたり」と思ひて、喜びて参りにけり。
言ひけるままに文書きて、御前にて師の僧呼びて、事のよし申させて、「二千度参りつること、それがしに双六に打ち入れつ」と書きて取らせたりければ、受け取り、喜びて、伏し拝みてまかり出でにけり。
其の後、いくほどもなくして、この打ち入れたる侍、思ひかけぬことにて捕へられて、獄(ひとや)に往(ゐ)にけり。打ち取りたる侍は、思ひかけぬたよりある妻(め)まうけて、いとよく徳付きて、司(つかさ)などなりて、楽しくてぞ有りける。
「目に見えぬ物なれども、まことの心を出だして受け取りたりければ、仏、あはれとおぼしめしたりけるなめり」とぞ、人言ふなる。このある人のことなり。
翻刻
いまはむかしこの四五年はかりのほとのこと/b177 e91
なるへしひとのもとにみやつかへしてあるな まさふらひありけりすることのなきまま にきよみつにひとまねして千度まうて二 たひそしたりける其後いくはくもなくて しうのもとにありけるをなしやうなるさふら ひとすくろくをうちあひにけりおほくまけて わたすへき物なかりけるをいたくせめけれ は思ひわひてわかもたる物なしたたいまた くはへたる物とてはきよみつ二千とまいり たることのみなんあるそれをわたさんと/b178 e92
いひけれはかたはらにてきく人々はうちはか るなりとおこに思ひてわらひけるをこのうち かたきのさふらひいとよきこと也わたさは えんといひけれはこのまけさふらひさはわた すとほほゑみていひけれはいなかくてはうけとら し三日してこのよし申てをのれにわた すよしのふみかきてわたさはこそうけとら めといひけれはよきことなりとちきりて その日よりさうしして三日といひける日さは いさきよみつへといひけれはこのまけさふらひ/b179 e92
おこのしれものにあひたりと思ひてよろこ ひてまいりにけりいひけるままにふみかきて 御まへにてしの僧よひてことのよし申さ せて二千とまいりつることそれかしにすく ろくにうちいれつとかきてとらせたりけれ はうけとりよろこひてふしをかみてまかり いてにけりそののちいくほともなくしてこ のうちいれたるさふらひ思ひかけぬことにて とらへられてひとやにゐにけりうちとりた るさふらひは思かけぬたよりあるめまうけ/b180 e93
ていとよくとくつきてつかさなとなりてた のしくてそ有けるめにみえぬものなれとも まことの心をいたしてうけとりたりけれは ほとけあはれとおほしめしたりけるなめり とそ人いふなるこのあるひとのこと也/b181 e93