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text:karakagami:m_karakagami6-14

唐鏡 第六 魏蜀呉より余晋恭帝にいたる

14 東晋 明帝

校訂本文

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次をば明皇帝1)と申しき。諱(いみな)は紹、字は道畿、元帝2)の長子なり。幼にして聡敏なり。

元帝愛し奉りて、常には御膝の前におはします。ある時に、長安より使(つかひ)参れり。元 帝、問ひてのたまはく、「日と長安といづれか遠き」と。この帝答へて、「日辺より人の来たることを聞かず」と申し給へば、元帝めで奉らる。

次の日、群臣多く参りて、宴会の座にて、また問ひ奉らるるに、対(こた)へたまはく、「日は近し」と。元帝、色を失ひて、「昨日3)には、いかに変はりての給ふ」に、対へたまはく「目を上ぐれば日をば見ゆ。長安をばみず」と申し給へば、元帝いよいよあやしみ奉らる。

元帝崩じ給ひて、年二十四にて位に即き給ふ。

大寧元年夏六月、王敦(わうとん)兵を挙げて謀叛の心あり。帝、密(ひそ)かに知り給ひて、駿馬に乗りて、潜(ひそ)かに行きて湖陰に至り給ふ。王敦、兵五騎をもて追はしむる。

帝、また馳せ去り給ふに、馬糞の留りて怪しむべき事を怖れて、水を求めてすすがしめ給ひぬ。道のほとりに飯を売る嫗のありけるには、宝の鞭を与へ賜びてのたまはく、「後に追ひ来る者あらば、これを見せよ」とて過ぎ給ひぬ。

しばらくありて、五騎来たりて、「人や通りつる」と問ふに、嫗、「さること、やや遠くなりぬ」と答ふ。その者ども、この鞭を見て翫(もてあそ)ぶほどに、とどこほりぬ。馬の糞を見るに冷えたり。「まことに遠くも去りぬらん」とてとどまりぬれば、帝逃れ給ひぬ。

七月に、王敦、誅せられぬ。

三年閏八月に、帝、東堂にて崩じ給ひぬ。御年二十七、在位六年なり。

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翻刻

次ヲハ明皇帝ト申キ諱ハ紹(セウ)字ハ道畿(タウキ)元帝ノ長子也幼ニシテ聡敏也
元帝愛シ奉テ常ニハ御膝ノ前ニヲハシマス或時ニ長安ヨリ使マイレリ元
帝問テノ玉ハク日ト長安ト何カトヲキト此帝答テ日辺ヨリ人ノキタル
事ヲキカスト申給ヘハ元帝メテ奉ラル次ノ日群臣多参テ宴会ノ
座ニテ又問奉ラルルニ対タマハク日ハ近シト元帝色ヲ失テ作日ニハイカニ/s166r・m294
カハリテノ給フニ対タマハク目ヲアクレハ日ヲハ見長安ヲハミスト申タマヘハ
元帝弥アヤシミ奉ラル元帝崩給テ年廿四ニテ位ニ即玉フ大寧元
年夏六月王敦兵ヲアケテ謀叛ノ心アリ帝密ニ知給テ駿馬ニ乗テ
潜ニ行テ湖陰ニイタリ給王敦兵五騎ヲモテ追シムル帝又馳
去給ニ馬糞ノ留テアヤシムヘキ事ヲ怖テ水ヲ求テススカシメ給ヒヌ道ノホトリニ
飯ヲ売嫗ノアリケルニハ宝ノ鞭ヲ与タヒテノ給ハク後ニ追来者アラハ是ヲ
ミセヨトテ過給ヌシハラクアリテ五騎来テ人ヤトヲリツルト問ニ嫗
去事ヤヤ遠ク成ヌト答其者共此鞭ヲ見テ翫ホトニトトコホリヌ馬ノ
糞ヲミルニ冷タリ誠ニ遠モサリヌラントテトトマリヌレハ帝ノカレ給ヌ七月ニ
王敦誅セラレヌ 三年閏八月ニ帝東堂ニテ崩給ヌ御年廿/s166l・m295

https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100182414/166?ln=ja

七在位六年也/s167r・m296

https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100182414/167?ln=ja

1)
明帝・司馬紹
2)
司馬睿
3)
底本「作日」
text/karakagami/m_karakagami6-14.txt · 最終更新: 2023/07/25 12:37 by Satoshi Nakagawa