唐鏡 第五 後漢光武より献帝にいたる
7 後漢 孝明帝(3 道教と仏教)
校訂本文
十四年正月一日、五岳諸山(ごがくしよざん)の道士ら、天子1)のわが道法を棄てて遠く胡教を求め給ふこと、表を抗(あ)げて曰く、「五岳十八山観太上三洞弟子褚善信等、死罪上言、臣聞く、陛下本(もと)を棄て末を逐(お)ひて教を西域に求め、胡神の説く所とす2)。華夏に交はらず3)。願くは陛下、虚妄を除き給へ、云々」。
今月十五日に白馬寺に集べきよし、勅宣を下さる。道士ら三壇を置くごとに二十四門を開く。帝、幸して寺の南門にまします。仏舎利(ぶつしやり)・経・像を道の西に置く。十五日、斎(さい)終はりて、道士ら柴荻(さいてき)をもて檀(だん)・沈香に和(くわ)して、炬(ともしび)として、太極・太道・元始天尊(げんしてんそんン)・衆仙(しゆせん)・百霊に啓(ケイ)す。
「今、胡神(こしん)国を乱り、人主、邪を信じ給ふ。火をもて験(げん)をとるべし」とて、火を縦(はな)ちて、経を焚(や)くに、道経は火にしたがひて灰燼となる。道士ら、色を失ひて、あるいは哭し4)、あるいは死ぬ。仏舎利は光明赫奕(くわうみやうかくやく)として、空の中に旋環し5)、蓋のごとくして日光を映蔽す。
摩騰法師6)身を踊(ほとばし)らしめて、高飛す。この時に、天より宝花降(ふ)りて、天の楽人の情を動かす。大衆感悦して、「未曾有なり」と讃嘆す。法蘭(ほうらん)7)、説法して大梵音(ぼんおん)を出だして、仏の功徳を讃嘆す。
時に司陽城侯劉峻もろもろの官人士庶ら、千余人出家。また四岳諸山の道士ら六百二十人出家。陰夫人・王婕妤らもろもろの宮人婦女ら、二百三十人出家。日々に供養し、種々に施し行ふ。
十七年に甘露(かんろ)しきりに降(くだ)る。五月戊子に、公卿百官、帝の威徳の遠きをなつけ給ひ8)、瑞祥(ずいしやう)のめでたきを賀して、朝堂に宴して盃(さかづき)をあけて、寿(ことむき)を奉る。
翻刻
十四年正月一日五岳(カク)諸(シヨ)山の道士(タウシ)等天子の我(ワカ)道法(タウハウ)を棄 てて遠(ク)胡教(コキヤウ)を求たまふこと表を抗(アケ)て曰く五岳十八 山観太上(クワンタイシヤウ)三洞(トウ)弟子褚善信(シヨセンシン)等死罪上言臣聞陛下(ヘイカ)本(モト) を棄(ステ)末を逐(ヲヒ)て教(ケウ)を西域(サイヰキ)に求め胡神の説(トク)(所イ)とす華/s134r・m238
夏に参(交イ)はらす願は陛下虚(コ)妄を除き給へ云々今月十 五日に白馬寺に集へきよし勅宣を下さる道士等 三壇(タン)を置ことに二十四門を開く帝幸して寺の南門 にまします仏舎利(シヤリ)経像を道の西に置く十五日斎(サイ) をはりて道士等柴荻(サイテキ)をもて檀(タン)沈香(チンカウ)に和(クワシ)て炬(トモシヒ)と して太極(タキヨク)太道(タウ)元始天尊(クエンシテンソン)衆仙(シユセン)百霊に啓(ケイ)す今胡神(コシン) 国(クニ)を乱(ミタ)り人主邪を信給火をもて験(ケン)をとるへし とて火を縦(ハナチ)て経を焚(ヤク)に道経は火にしたかひて 灰燼(クワイシン)となる道士等色を失て或は哭(コク/ナケク)し或は死ぬ 仏舎利は光明赫奕として空の中に旋環(セムクワン/メクル)し蓋の/s134l・m239
https://kokusho.nijl.ac.jp/biblio/100182414/134?ln=ja
ことくして日光を映蔽(ヘイ)す摩騰(マトウ)法師身を踊(ホトハシラ)し めて高飛この時に天より宝花ふりて天の楽人 の情を動す大衆感悦して未曾有なりと讃嘆(サンタン) す法蘭(ホウラン)説(セツ)法して大梵音(ホンヲン)をいたして仏の功徳を 讃嘆す時に司陽城侯劉峻(シヤウセイコウリウシユン)諸(モロモロ)の官人士庶等千餘 人出家又四岳(シカク)諸山道士等六百二十人出家陰夫人(インフシン)王(ワウ) 婕妤(セウフ)等諸の宮人婦女等二百卅人出家日日に供 養し種々に施行ふ 十七年に甘露(カンロ)しきりにくたる五月戊子に公卿百官 みかとの威徳の遠をなつけ給ひ瑞祥(スイシヤウ)のめてたき/s135r・m240
を賀(カシ)て朝堂(テウタウ)に宴してさかつきをあけて寿(コトムキ)を たてまつる/s135l・m241