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text:karakagami:m_karakagami3-03

唐鏡 第三 漢高祖より景帝にいたる

3 漢 高祖(3 睢水の戦い)

校訂本文

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その後、たびたび戦(いくさ)あり。京索(けいさく)に戦ふほどに、高祖1)、危ふくなりて、叢薄(そうはく)の中に遁れて、井に入りぬ。項羽、追ひ求むるに、鳩鳥2)その上に並びゐて鳴きければ、追兵3)、「鳥あれば、人あらじ」と思ひて過ぎぬれば、高祖のがれ給ひぬ。後の人は、免井の鳩4)とぞ申しける。

また睢水(すいすい)といふ所にて戦(いくさ)をするほどに、高祖の方の軍5)、四十万人までみな殺されて、水に入りたれば、水せかれて流れず。わづかに残りたる軍(いくさ)を、項羽、大勢にて三辺まで巻き籠めたり。高祖、「今は限り」と思ひて、大いに歎き給ふ間に、西北の方より大きなる風出で来たりて、木どもみな吹き折れ、人の家も吹き破られ、石・瓦も飛び上がるほどなり。昼中に暮れゆきて、何も見えぬほどなり。項羽が軍(いくさ)、「天道の罸なり」と思ひて、怖ぢ恐れつつ、厳しく巻き籠めむと思ふ心なし。高祖、少々の者ばかりを具して逃げ給ふ。

その道、わが家を過ぎ給へば、孝恵6)・魯元7)といふ男女の子ども二人を乗せ具して行くに、「項羽が軍(いくさ)追ふらむ」と思(おぼ)して、男女の子を車の後ろより押し落しつつ、滕公(とうこう)8)9)いふ者、「いかに急ぐとても、捨つべからず」と言ひて、三度まで乗せ奉りつ。高祖、つひに逃げ給ひぬ。

また高祖の臣に審食其(しんいき)といふ者、高祖の父太公・呂后10)などを具し奉りて、あちこち逃げ歩(あり)きて、高祖を求め奉るほどに、悪しくして項羽が軍(いくさ)に合ひぬ。項羽、これを質として城の中に置けり。広武(くわうぶ)といふ所にて、戦合(いくさあは)せするに、項羽、高き俎(まないた)を作りて、高祖の父太公をその上に伏せて、高祖を呼びて見せ奉りていはく、「なんぢ、われに従はずは、この父を煮食らはむ」と言ふ。高祖の曰く、「秦の国の滅びんとせし折に、君、われと兄弟の約をなして、天下を治めむと言ひき。わが父は、すなはち君の父なり。その父を殺さんとならば、われにも一盃の羹(あつもの)を与ふべし。すすり食はん」と言ふ。

あへて怖ぢたる気色(きそく)なきに、項羽、いたう怒りて、すでに殺さむとす。項伯そばにていはく、「天下のこと、ただ今いかなるべしとも覚えず。大事を思ひ立つものは、家をもしらぬものなり。その翁を殺したりても、高祖歎くべからず。君の御科(とが)こそ、いよいよまさらむずれ」と言へば、項羽、「さも」とや思ひけん、そのことをとどめつ。

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翻刻

にて閑道よりにけさりぬそののちたひたひいくさ
あり京索(ケイサク)に戦ほとに高祖あやうくなりて
叢薄(ソウハク)の中に遁(ノカレ)て井に入ぬ項羽追求(ヲイモトムル)に鳩(ハト)鳥そ
の上にならひゐて鳴けれは追兵(オフツハモノ)鳥あれは人あら
しと思てすきぬれは高祖のかれ給ぬのちの
人は免井(ヘンセイ/マヌク)の鳩とそ申ける又睢(スイ)水と云所にてい/s68l・m121

https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/68

くさ(イヲスルホトニ高祖ノ方ノ軍)四十万人まてみなころされて水に入たれは
水せかれてなかれすわつかに残りたるいくさを
項羽大勢にて三辺まてまきこめたり高祖今
はかきりとおもひて大になけき給ふあひたに西北
の方より大なる風出来たりて木ともみな吹を
れ人の家もふきやふられ石瓦もとひあかる
ほとなりひるなかにくれゆきてなにもみえぬ
ほと也項羽かいくさ天道の罸(ハツ)なりとおもひて
おちおそれつつきひしくまきこめむとおも
ふ心なし高祖せうせうのものはかりをくして/s69r・m122
にけ給ふそのみちわか家をすき給へは孝恵魯元(カウクヱイロクエム)と
云男女の子ともふたりをのせくしてゆくに項羽
かいくさおふらむとおほして男女の子を車のう
しろよりをしおとしつつ滕公(トウコウ)に(イニト)いふものいかにいそく
とてもすつへからすといひて三度まてのせたてま
つりつ高祖遂ににけ給ぬ又高祖の臣に審食其(シンイキ)
と云もの高祖の父太公(タイコウ)呂后(リヨコウ)なとをくしたてまつり
てあちこちにけありきて高祖をもとめたてま
つるほとにあしくして項羽かいくさにあひぬ項羽こ
れを質(シチ)として城の中にをけり広武(クワウフ)と云所にてい/s69l・m123

https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/69

くさあはせするに項羽たかき俎(マナイタ)をつくりて高
祖の父太公をその上にふせて高祖を呼てみせた
てまつりていはく汝我にしたかはすはこの父を煮(ニ)
くらはむと云高祖の曰秦の国のほろひんとせし折
に君われと兄弟の約をなして天下をおさめむとい
ひきわか父はすなはち君の父なりその父をころさん
とならはわれにも一盃のあつ物をあたふへしすす
りくはんと云あへておちたるきそ(イニ色)くなきに項
羽いとういかりてすてにころさむとす項伯そは
にていはく天下の事たた今いかなるへしともおほ/s70r・m124
えす大事をおもひ立ものは家をもしらぬもの(イ事)也その
翁(ヲキナ)をころしたりても高祖なけくへからす君の御
とかこそ弥まさらむすれといへは項羽さもとやおも
ひけんその事をととめつ高祖かたく項羽をせむるほと/s70l・m125

https://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100182414/viewer/70

1)
劉邦
2)
底本「鳩」に「ハト」と読み仮名。
3)
底本「追兵」に「オフツハモノ」と読み仮名。
4)
底本「免井」に「ヘンセイ」と読み仮名。また「免」に「マヌク」と注。
5)
底本、「をするほどに、高祖の方の軍」なし。底本の異本注記により補う。
6)
恵帝
7)
魯元公主
8)
夏侯嬰
9)
「と」は底本「に」。底本の異本注記により訂正。
10)
呂雉
text/karakagami/m_karakagami3-03.txt · 最終更新: 2023/01/09 23:28 by Satoshi Nakagawa