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text:k_konjaku:k_konjaku3-8

今昔物語集

巻3第8話 瞿婆羅竜語 第(八)

今昔、天竺に一人の牛飼ふ人有り。国王に乳酪を奉るを以て伇とせり。

然る間、乳酪絶たる時有て、心より外に乳酪奉る事を欠つ。其の時に、国王、大に嗔り給て、使を彼の牛飼ふ者の許に遣して、責むること限無し。此の牛飼ふ者、責の堪へ難きに依て、大に怨を成て、金の銭を以て花を買て、率堵婆に供養して、誓を発して云く、「我れ、咎無して責を蒙るに、堪へ難し。我れ、悪竜と成て、国を破り、国王を害せむ」と誓て、巌の高き所に昇て、身を投て死ぬ。

願の如く悪竜と成て、□□寺の坤に深き谷有り。峻(さかし)く嶮(けはし)くして、恐し気なる事限無し。其の谷の東の岸に、壁を塗たる様なる、高き石有り。其の石に大なる峒(ほら)の穴有り。峒の口、狭くして、内、極めて暗し。其の峒、常に潤ひ□□て、水滴り、此の大竜、其の峒を栖(すみか)とす。竜、本の悪願を遂る故に、「其の国を亡し、亦、国王を害せむ」と思ふ。

爰に釈迦如来、神通の力を以て、遥に此の竜の心を知給て、中天竺より、此の峒に来給ふ。竜、仏を見奉て、毒の心、忽に止て、不殺生戒を受て、「永く法を護らむ」と誓ふ。竜、仏に向ひ奉て、白して言さく、「仏、願くは、常に此の峒に在ませ。亦、諸の御弟子の比丘を勧給て、我が供養を受けしめ給へ」と。仏、竜に告て宣く、「我れ、久からずして涅槃に入なむとす。汝が為に、我が影を此の峒に留め置かむ。亦、五人の羅漢を遣しつつ、常に汝が供養を受けしめむ。汝ぢ、努め其の事忘るるべからず。亦、若し汝が本の毒心発る時有らば、我が此の留め置たる影の像を見るべし。然らば、其の毒心、自然(おのづから)止なむ。亦、此より後、世に出給はむ仏も、汝を哀び給ふべし」と契り置給て、還り給ぬ。

然れば、其の峒の仏の御影、于今失せずして在ます。其の竜の名を瞿婆羅と云ふ。唐の玄奘三蔵の天竺に渡て、此の峒に行て、其の影像を見奉て、記し置給へる也となむ、語り伝へたるとや。

text/k_konjaku/k_konjaku3-8.txt · 最終更新: 2016/06/25 21:52 by Satoshi Nakagawa