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text:k_konjaku:k_konjaku19-37

今昔物語集

巻19第37話 比叡山大智房檜皮葺語 第卅七

今昔、比叡の山の東谷の東塔に大智房と云ふ所有り。

其の房の上の檜皮(ひはだ)損じたりければ、房主の□□内供と云ける人、檜皮葺共を呼上て、其の檜皮を䟽(つくろ)はせけるに、檜皮葺四五人許、屋の上に登て檜皮を葺けるに、房主の内供は念誦をして、延(えん)に廻行て、此れを見ける程に、眠たり1)ければ、長押に枕をして、仮染に寄臥たりける程に、寝入にけり。

然て、内供、夢に、房の上に金色の仏、烏帽子を為給て、風の吹けば、紙捻を以て、烏帽子を頤に結付て、檜皮を葺給ふと見る程に、急(き)と驚ぬ。「怪き夢をも見つるかな」と思て、庭に下て、房の上を見上たれば、房の上に、檜皮葺四五人有る中に、年七十余許の翁の、烏帽子を折て、紙捻を以て頤に結付て、檜皮を葺く。内供、「奇異(あさまし)」と思て、翁を守れば、翁、阿弥陀仏を申すにや有らむ、檜皮を葺乍ら、口を動かし居たり。

内供、「此の事を問はむ」と思て、翁を呼下せば、翁、下に下たるに、内供、翁の口を動かすを、「念仏するか」と問へば、翁、「然也。念仏を申し候ふ也」と答ふ。内供、「何(いつ)より此く念仏は申すぞ。日に何(いく)ら許か申す。亦、異功徳や造る」と問へば、翁、「身貧しく候へば、指(させ)る功徳も否(え)造り候はず。只、十五歳より、檜皮を葺く事を業として、世の中を過候つる程に、年来の嫗に罷送れて、此の七年、世の中の無端(あぢきな)く思え候ままに、魚食ても口を漱て、念仏を申し候ふ。魚を食はぬ時、さら也。日に何らとも定め候はず。大便・小便仕り候ふ程、物食つる間、寝入などして候ふ程を除けば、申し付て候ふ事なれば、怠る事候はず」と答ふれば、内供、「□夢に見えつる也けり」と思て、翁に、「然々なむ、夢に見えつる。努々念仏怠たる事無かれ。此の定に念仏を申さば、疑ひ無く極楽に生れなむ」と教ければ、翁、手を摺て内供を礼て、亦、房の上に登て、檜皮を葺けり。

其の後、内供の人に語けるは、「彼の檜皮葺の翁なむ、夢に然々見し。実に檜皮葺は指る罪無き者にて有るに、念仏を口に付て、隙無く申さむには、疑ひ無く極楽に往生せむずる者也」とぞ云ける。

此れを思ふに、実に彼の翁、正しく金色の仏の身と見へけり。哀れに貴き事也。然れば、諸の功徳を造らむも、誠の心を至さむ事難し。只如かじ、偏に念仏を唱へて往生を願ふべき也。彼の檜皮葺の翁の、最後の有様を尋ね聞かずと云へども、内供の夢の如くには、必ず往生しにけむとぞ思ゆる。

此の事は、彼の内供の語けるを聞継て、此く語り伝へたるとや。

1)
底本頭注「眠タリハ眠タカリノ誤カ」
text/k_konjaku/k_konjaku19-37.txt · 最終更新: 2016/02/27 15:39 by Satoshi Nakagawa