今昔物語集
巻19第26話 下野公助為父敦行被打不逃語 第廿六
今昔、右近の馬場にして手番行ひけるに、中少将、数(あまた)馬場に着たり。其の日、下野の公助1)と云ふ舎人、前の□□2)にて、馬弓射けるに、極たる上手にて、例は吉く射る者の、何にしける事にか有けむ、今日三の的を皆射□3)しつ。
公助が父、敦行4)は、政の将監として馬場の大臣に居たるが、我が極て愛する子の、的を□□5)つるを見て、色形も無く成て、沓をも履き敢へずして、馬留の方様に走せ行く。
将(すけ)達、此れを見て、「彼は何に為るぞ」と云て、見遣て見れば、公助は馬より下て、調度解など為る所に、敦行、走り懸りて、埒の□□6)の一節抜たりけるを取て、公助に走り懸りて打むと為るに、公助は若く盛り也。父敦行は八十余の者也。公助逃むには、老ひ付くべくも非ず。然れば、逃て行ぬべきに、公助、突居て低(うつぶし)たり。其の背を、十廿度許り打つ。此れを見る人、「公助は白物(しれもの)かな。然(さ)打たれて居るよ」と咲けり。
敦行、畢て7)、杖を棄てて、馬場の大臣に返り行て、将の前の庭にして、臥し丸びて、泣く事限無し。将達も或は泣ぬ。糸惜しがりて、手をも下さずして同じ所に断たりけり。
後に、公助を召して、「何で的は8)はづしたるぞ」と問はれければ、目の□暗に罷成て、的の見えず候ひつる成」とぞ答ける。且、「何に□□の打つには逃げずして、然かは打たれ臥たりつるぞ」と問はれければ、公助、「父の年、八十に罷り余たれば、『痛う腹を立て、逃むを追ひ候はむ程に、倒れもこそ仕れ』と思ひ給て、打たれ臥して候ひつる也」と答へつれば、将共、哀がりて9)泣にけり。
後に脇なる者有て、「□□10)の的□□□11)たるを下し給はずして、己れを同じ脇に立てられたるは、安からぬ事也」と、□□方の大将にて御けるに、愁へ申しければ、大将、将共12)の許に、「然々の訴へ有るは、尤も道理也。何に行はれたりける事ぞ」と問ひに遣はせければ、将共、有し様を委く申ければ、大将も目を巾(のご)ひて、「哀れなりける事かな」とて、下されずに、「尤も理也」とて、止にけり。
後に公助が云けるは、「父の我れを打は、尤も理也。此れ、我を悪13)て打には非ず。其れを咎めて、我れ悪しと思はば、定めて天の責を蒙らむ」と云ければ、智り有る止事無き僧、此れを聞て、関白殿に参たりけるに、「公助は只者には候はざりけり。菩薩の行こそ、我が身を棄てて、四恩には孝養すれ。此様の者は、然は候はぬ事也」と申されければ、殿も、「有難き者の心也けり」とて、感ぜさせ給ひけり。
其より思え増(まさり)てぞ有ける。世に広く此の事聞えて、讃め貴びけり。公助、然れば、我も思え有り、止事無き舎人として、子孫も繁昌して有りとなむ、語り伝へたるとや。