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text:k_konjaku:k_konjaku1-27

今昔物語集

巻1第27話 翁詣仏所出家語 第廿七

今昔、天竺に一人の翁有り。家貧くして、世を過すに、一塵の貯へ無し。然ば、妻子・眷属も皆捨て、随へる者一人無し。

翁、歎き悲て、自ら思ふ様、「我れ、家業を営むに、貧くして貯へ無し。如かじ、出家して、仏弟子と成む」と思て、忽に祇薗精舎に詣て、先づ舎利弗に遇て云く、「自ら出家して、戒を受む」と。舎利弗の云く、「暫く待て。汝が出家の業や有」と、「定に入て見む」とて、三日定に入て、定より出て云く、「汝が過去の八万劫を見るに、更に出家の業無し。一塵の善根を修せず。何を以てか、汝に出家を許さむ」と、擯(おひ)出しつ。

又、目連の許に行て、「出家せむ」と云ふ。其れも、「出家の善根無」とて、擯出しつ。富楼那・須菩提等の許に行て、「出家せむ」と云ども、上臈皆、「汝が出家を許さず。我等、何(いかで)か出家を許む」と云つつ擯出しつ。五百の弟子等、各杖木(つゑ)を取て打ち、瓦石を拾ひて、更に出家を許さず。然れば、翁、祇薗精舎の門に出て、啼泣して居たり。

其の時に、仏1)、此れを見給て、門に出給て、翁に問て宣はく、「何の故有てか、汝爰に哭(なき)居たるぞ。若し、願ひ思ふ事の有るか。我れ、願ひに随へむ」と。翁な、答て云く、「我れ、世を過すに、一塵の貯へ無くして、衣食に乏し。妻子・眷属も皆捨てて去にき。然れば、『我れ出家して、仏の御弟子と成む』と思て、此の精舎に詣て、『出家せむ』と申すに、舎利弗・目連等の五百の御弟子達、各『出家の業無し』とて打追て、出家せしめ給ふ事無し。然れば、此の門に哭居たる也」と。

其の時に、仏、立寄り給て、金色の御手を以て、翁の首を撫て宣はく、「我れ、願を発して、仏と成し事は、此の如き等の衆生に値遇して、利益せむと也。然れば、汝が本懐を遂(とげん)と思ふ」と宣て、翁を具して、祇園精舎の内に入給ぬ。

先づ、舎利弗を召して宣はく、「此の翁に出家せしめよ」と。舎利弗の云く、「過去の八万劫を見るに、此の翁、出家の業無し。仏、何に依て、此の翁に出家を許し給ぞ」と。仏の宣はく、「只出家せしむべし」と。

尊者2)、仏の教に随て、翁に出家せしめて、戒を授て後、仏に白して言さく、「衆生の善悪の果報、皆前世の業因に依て也。仏、何の故有てか、此の人に出家を許し給ぞ」と。仏け、説て宣はく、「汝、善く聴け。此の翁は過去に八万劫の土地を塵と成して、一劫に宛てて、3)其の数よりも前に人と生れて、猟師と有き。『鹿を射(いん)』と思て待ち立りし間、俄に虎来て、喰むと為し時、猟師、虎の難を免かれむが為めに、只一度、『南無仏』と申しき。其の猟師と云は、此の翁也。然れば、其の善根朽ちずして、于今有り。此れに依て、出家を許す也。汝は其れを知らずして、出家を許さざる也」と。

舎利弗、此れを聞て、答ふる事無し。翁は出家の功徳に依て、忽に羅漢果を証してけりとなむ、語り伝へたるとや。

1)
釈迦
2)
舎利弗
3)
底本頭注「宛テテノ下諸本一宛打テトアリ」
text/k_konjaku/k_konjaku1-27.txt · 最終更新: 2016/05/01 13:13 by Satoshi Nakagawa