成尋阿闍梨母集
二巻(15) されどなほこの世のおぼつかなさの慰むかたなく思ゆるままに・・・
校訂本文
されど1)、なほ、この世のおぼつかなさの慰むかたなく思ゆるままに、六月十余日にぞ、文おこせ給へる。見れば、「三月十余日ぞ、唐の船には乗りて渡りぬる。今は心安く、『必ず極楽に参るべき』と思ゆるを、そこにも必ず会ひ給ふべきなり」とあり。
げに、この思ひ給へる心ばかりは本意(ほい)あれど、この世のおぼつかなさは、慰む方なく、「対面(たいめ)すべき命のほどならず」とのみ言ひ尽すかたなくて、ものも言はれず。
蓮(はちす)の上の一つの居所、待つほどの目は紅(くれなゐ)の涙にくもり、袖は池の堤(つつみ)に余りて隙(ひま)もなく、色々の蓮の光満ちたらむ、いみじうゆかしく思えながら、この夢に惑ふほどのあはれをば、
この世にて見えずなりなば夢の内の惑ひも覚めぬ身とやなりなん
と言へども、涙にぞ身にはつけぬたぐひなりけれ。
敷島を厭ふたぐひをありと言はば人に問ひても慰めてまし
薬採る昔の人2)にあらずともこの敷島をめぐり会はばや
なほ、堪へむかたなし。「蓮の上に会へ」とあるこそ、
この池に並ぶ蓮の露ならばさ言はんことも嬉しからまし
会ふことを蓮の上と契れどもこの世はなほぞ忘れざりける
やまとなるわが歎きのみ茂りつつからき思ひぞやるかたもなき
とのみ、独りごちつつ、明かし暮せど、かの正月のつごもりの日、仁和寺(にわじ)に渡りし折りのみ、ただ今のやうに思えて、別れ悲しく、
東路(あつまぢ)の別れなりせばわが恋(こひ)を富士の煙(けぶり)によそへてましを
一人のみ思ひ焦がるるわが恋(こひ)は心づくしの竃山(かまどやま)かな
など思ゆるほどに、はかなく月日も過ぎて、七月にもなりぬ。
もののみあはれにて、うち臥したる枕のもとにて、近く蛬(きりぎりす)の鳴くに、
めぐり来る秋の枕のつゆけさをたづね来て鳴くきりぎりすかな
とのみ、うち泣きつつ過ぐるに、七月二十九日、雨のいたう降りて、西に向ひたる方の、かき暗したるやなれば、
夜な夜なに降るは憂けれどあめの下雲居の方をながめこそすれ
よもの浦に塩焼くあまのありといふをわれしもなどかからき思ひぞ
風の音(おと)の身にしむ秋のあまたたび会はむものとは思はざりしを
雲居にも同じ月日の過ぎ行かば思ひこそやれ秋の夕暮れ
など、独りごちつつある。
翻刻
こころなりされと猶このよのおほつかなさの なくさむかたなくおほゆるままに六月十 よ日にそ文おこせたまへる見れは三月/s55l
十よ日そたうのふねにはのりてわたり ぬるいまはこころやすくかならすこくら くにまいるへきとおほゆるをそこにも かならすあひたまふへきなりとありけ にこのおもひたまへるこころはかりは ほいあれとこの世のおほつかなさはなく さむかたなくたいめすへきいのちのほと ならすとのみいひつくすかたなくて物も いはれすはちすのうへのひとつのゐ所まつ ほとのめはくれなゐのなみたにくもり そてはいけのつつみにあまりてひまもなく/s56r
いろいろのはちすのひかりみちたらんい みしうゆかしくおほえなからこのゆめ にまとふほとのあはれをは この世にて見えすなりなはゆめのうちの まとひもさめぬみとやなりなん といへともなみたにそみにはつけぬたくひなりけれ しきしまをいとふたくひをありといはは 人にとひてもなくさめてまし くすりとるむかしの人にあらすとも このしきしまをめくりあははや 猶たへむかたなしはちすのうへにあへとあるこそ/s56l
このいけにならふはちすのつゆならは さいはんこともうれしからまし あふことをはちすのうへとちきれとも この世は猶そわすれさりける やまとなるわかなけきのみしけりつつ からきおもひそやるかたもなき とのみひとりこちつつあかしくらせとかの正月 のつこもりの日にわしにわたりしをりのみ たたいまのやうにおほえてわかれかなしく あつまちのわかれなりせはわかこひを ふしのけふりによそへてましを/s57r
ひとりのみおもひこかるるわかこひは こころつくしのかまとやまかな なとおほゆるほとにはかなく月日もすき て七月にもなりぬもののみあはれにてうち ふしたるまくらのもとにてちかく蛬のなくに めくりくる秋のまくらのつゆけさを たつねきてなくきりきりすかな とのみうちなきつつすくるに七月廿九日 あめのいたうふりてにしにむかひたる方の かきくらしたるやなれは/s57l
よなよなにふるはうけれとあめのした くもゐのかたをなかめこそすれ よものうらにしほやくあまのありといふを 我しもなとかからきおもひそ 風のおとのみにしむ秋のあまたたひ あはんものとはおもはさりしを くもゐにもおなし月日のすきゆかは 思ひこそやれ秋のゆふくれ なとひとりこちつつある八月十一日のゆめに/s58r