梁塵秘抄
りょうじんひしょう
成立
題名については、梁塵秘抄巻一の末尾に、次のように注記されている。
梁塵秘抄と名づくる事。
虞公・韓娥といひけり。声よく妙にして、他人の声及ばざりけり。聞く者愛で感じて、涙おさへぬばかりなり。歌ひける声の響きに、梁(うつばり)の塵たちて、三日居ざりければ、梁の塵の秘抄とはいふなるべしと、云々。
しかし、虞公と韓娥の話は別であり、梁塵の故事は虞公の方のもので「漢代に魯の国の虞公が歌を歌うと、その声があまりに清く哀しかったので、梁の塵さえも動いた(劉向『別録』)」というのである。
ちなみに、韓娥の故事は、「韓娥が齊の国に行ったときに、食料が乏しくなり、歌を歌って食料を得た。韓娥の歌の余韻は、韓娥がその場を去ってのちも、梁をめぐって三日間絶えず、みんなはまだそこにいると思っていた。(『列子』湯問篇)」というもの。
内容
本来、今様とよばれる歌謡を集成した「梁塵秘抄」10巻と、その口伝「梁塵秘抄口伝集」10巻からなるが、現存するのは、前者の「梁塵秘抄」巻一の抄出と巻二、後者「口伝集」巻一の巻首と巻十のみ。
巻一
長歌
短歌の冒頭に「そよ」という囃し詞の加わったもの。10首。
古柳
囃し詞が非常に多い。目録に34首とあるが、1首のみ。
今様
目録には部立があり、全部で265首とあるが、10首しかない。しかもうち4首は巻二の法文歌と重複している。
巻二
法文歌
四句神歌
雑多な内容。目録には170首だが、実際には204首。
二句神歌
短歌体の歌詞が多い。目録にはない。標題には118首とあるが、実際には121首。
口伝
巻一
巻十
諸本
梁塵秘抄は『徒然草』14段に「梁塵秘抄の郢曲の言葉こそ、また、あはれなることは多かんめれ。」と見えるものの、早くに散佚し、わずかに「梁塵秘抄口伝集巻十」のみが『群書類従』に収録されるのみだった。
明治44年に和田英松が東京下谷の古本屋で巻二の写本を発見し、その後、綾小路家から巻一の断簡と、口伝集巻一の断簡が発見された。
また、近年(2001年)後白河院の自筆といわれる断簡が上野学園日本音楽資料室に存することが分かった。
上野学園日本音楽資料室蔵 『梁塵秘抄』断簡の本文
けれは ・・・ければ よるひるあけこしたまくらは 夜昼明け越し手枕は あけてもひさしくなりにけり 明けても久しくなりにけり なにとてよるひるむつれけん 何とて夜昼睦れけん なからへさりけるものゆへに ながらへざりけるものゆへに
参考
注釈書
- 日本古典全書『梁塵秘抄』(小西甚一・朝日新聞社・昭和28年1月)
- 岩波文庫『新訂梁塵秘抄』(佐々木信綱・岩波書店・58/08/30)
- 日本古典文学大系『和漢朗詠集・梁塵秘抄』(志田延義・岩波書店・65/01/06)
- 新潮日本古典集成『梁塵秘抄』(榎克朗・新潮社・昭和54年10月10日)
研究書・鑑賞
- 『梁塵秘抄の風俗と文芸』(渡辺昭五・三弥井選書・昭和54年1月)
- 『梁塵秘抄』(西郷信綱・ちくま学芸文庫・2004年10月)