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打聞集

第23話 尊勝陀羅尼の事

校訂本文

昔、西三条大殿1)の御子君、若くおはしたり。後は大将にて、名をば経行2)となむ申しける。童(わらは)なれど、長大まで冠をもせでおはしけるが、夜這ひをなむ、いみじき色好みてし給ひける。

東の京に、思ふ女もちて、時々おはしけるに3)、美福門前4)のほどに、東大宮の方より、人、二・三百人、火炬(とも)して来たり。

「神泉の北門、開きて候ひつ。入りて戸立てておはせ5)」、ただ一人の小舎人童(こどねりわらは)申せば、すなはち入りて、御戸の柱のもとに、かがまり居給ひぬ。

火炬の物ども、過ぐるを見れば、手三つ付に□□□付物あり、面に目一つ付く物あり、目三つ付く物も有り6)。「はや、鬼なりけり」と思ふに、ものも思えずなるに、うつ伏して7)、怖るれば、あるにもあらぬに、鬼ども8)の言ふやう、「ここに9)、人の気配こそすれ10)。縛(から)め候へ」とて、物、一人走りかかりて、□□。

「今はわが身は限りぞ」と思ふに、近寄らず、走り帰りて去る。「などて縛(から)めぬ」と言へば、「え縛め候はぬなり」と言ふ。「など□、縛めざるべきぞ。たしかに縛人〓け11)」とて、また人おこす。先のごとく帰り去る。「いかにぞ、縛めたりや」。答へていはく、「縛めず」と言へば、「おのれ12)、縛めむ」と言ふ。おきつる物、走り懸けて来(く)。初めよりは近く来、無下に手懸くべう来。「今は限りぞ」と思ひてある間、また走り帰りて、「まことに、え縛(から)め候ふまじきなりけり」と言ふ。

「いかなれば」と主人だちたる人言ふなり。答へていはく、「尊勝陀羅尼のおはすなりけり」と言ふ。この音を聞きて、多くの炬火、一度に打ち消つ。東西に走り散る音(おと)して、なかなかその後に頭毛太りて、怖しきことかぎりなし。さ言ひて、あるべきことなれねば、あれにもあらで、馬に乗り、祖(おや)のもとに帰る。

曹司(ざうし)に行きて、心地のいみじく悪しければ、やをら臥しぬ。身熱くなりぬ。乳母いはく、「君はいづこにおはしましつるぞ。殿の上の、『かばかり夜歩きす』とて申し給ふにはと、『今宵、かうおはします』と聞き給はば、いかに申させ給ふ」と言ひて、近寄りて見るに、苦しげなれば、「など苦しげにはおはす」とて、身をかいさぐれば、いみじう熱ければ、「あないみじ。こはいかにおはすぞ」とて、乳母、迷(まど)ふ。

その折に、あやしう思ゆれば、ありさまを語る。乳母、「希有(けう)におはしけることかな。なにがしが兄(せうと)の阿闍梨に言ひてこそ、この真言書かせて、御首に入れ候ひしか。いみじく貴く候ひけることかな。あなあさまし。さらざらましかば、いかならまし」と言ひて、額(ひたひ)に手を当てて、泣くことかぎりなし。

かくて、三・四日ばかり、ぬるみ給ひければ、種々御祈りはじめられて、殿・上も騒ぎ給ひけり。暦を見給ひければ、夜行にその夜当りけるとぞ、人言ひける。なほ守(まもり)をなむ具し奉りける。今なほ具し奉るべきなり。

翻刻

昔西三条大殿ノ御子君若御タリ後ハ大将ニテ名ヲハ経行トナム申ケル童レト長大マテ
冠ヲモセテ御(ヲハ□)ケルカ夜這ヲナムイミシキ好色テシ給ケル東京ニ念女以時々ヲハ□ケルニワ美福
□前ノ程ニ東大宮方ヨリ人二三百人火炬シテ来神泉北門開候ツ入テ戸タテテ御
□只一人コトネリ童申ハ仍入御戸柱本ニ曲居給ヌ火炬物共過ヲ見ハ手三付ニ□
□□付物有面ニ目一ツ付物有目三付物モ有早鬼ナリケリト思ニ物モヲホエス成ニ/d34

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1192812/34

□□伏テ怖レハ有ニモ非有ニ共ノ云様□ニ人気ハヒコ□□レ縛(カラメ)候トテ物独走懸テ
□□今ハ我身ハカキリソト思ニ近ヨラス走帰テ去ナトテ縛ヌト云ハエ縛候ヌ也ト云ナト
□縛サルベキソ慥縛人〓ケトテ又人ヲコス如先帰去イカニソ縛タリヤ答云縛スト云ハ
□ノレ縛ムト云フオキツル物走懸来初ヨリハ近ク来無下ニ手懸ヘウ来今ハカキリソト思テ有
間又走帰テ実エカラメ候マシキ也ケリト云イカナレハト主人タチタル人云ナリ答云尊勝
陀羅尼ノ御也ケリト云此音ヲ聞テ多炬火一度打消ツ東西走チル音ヲトシテナカナカ
其後ニ頭毛フトリテ怖事限ナシサイヒテ有ヘキ事ナレネハアレニモアラテ馬乗祖許帰サウシ
ニイキテ心地ノイミシクアシケレハヤヲラフシヌ身アツク也ヌ乳母云君ハ何コニオハシマシツルソ
殿ノウヘノカハカリ夜ルアルキストテ申給ニハトコヨヒカウ御ト聞給ハハイカニ申セ給ト云テ
近ヨリテ見ルニ苦シケナレハナト苦ルシケニハ御トテ身ヲカイサクレハイミシウアツケレハアナイミシ
コハイカニ御ソトテ乳母ト迷ソノヲリニアヤシウオホユレハ有様ヲ語乳母ケウニ御ケル事
カナナニカシカセウトノ阿闍梨ニ云テコソ此真言書セテ御頸入候シカイミシク貴候ヒケル
事カナアナアサマシサラサラマシカハイカナラマシト云テヒタヒニ手ヲアテテ泣事限无カクテ三四日
許ヌルミ給ケレハ種々御祈初ラレテ殿ウヘモ騒給ヒケリ暦ヲ見給ケレハ夜行
ニ其夜当タリケルトソ人云ケル猶守ヲナム具奉ケル今ナホ具奉ヘキ也/d35

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1192812/35

1)
藤原良相
2)
藤原常行
3)
「おはしけるに」は底本「ヲハ□ケルニ」。一字破損。『古本説話集』51により補入。
4)
「美福門前」は底本「ワ美福□前」。一字破損。「ワ」を衍字とみて削除、文脈により「門」を補入
5)
「おはせ」は底本「御□」。一字程度破損。文脈により補う。
6)
『古本説話集』51「手三つ付きて、足一つ付きたるものあり。目一つ付きたるものあり」。
7)
「うつ伏して」は底本「□□伏テ」。二字程度破損。『古本説話集』51により補う。
8)
底本「鬼」なし。文脈により補う。
9)
「ここに」は底本「□に」。一字虫損。『古本説話集』51により補う。
10)
「人の気配こそすれ」は底本「人気ハヒコ□□レ」。二字程度虫損。『古本説話集』51により補う。
11)
「〓」判読不祥。
12)
「おのれ」は底本「□ノレ」。一字破損。『古本説話集』51「いで、おのれ搦めん」により補入。
text/uchigiki/uchigiki23.txt · 最終更新: 2018/05/27 23:01 by Satoshi Nakagawa
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