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text:towazu:towazu5-25

とはずがたり

巻5 25 その後いぶせからぬほどに申し承りけるも昔ながらの心地するに・・・

校訂本文

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その後、いぶせからぬ1)ほどに、申し承りけるも、昔ながらの心地するに、七月の初めのころより、過ぎにし御所2)の御三めぐりにならせおはしますとて、伏見の御所に渡らせおはしませば、何となく御あはれも承りたく、今は残る形見もなければ、書くべき経は今一部なほ残り侍れども、今年はかなはぬも心憂ければ、御所の御あたり近く候ひて、「よそながらも見参らせん」など候ひしに、十五日のつとめては、深草の法華堂3)へ参りたるに、「御影の新しく作られさせおはします」とて、据ゑ参らせたるを拝み参らするにも、いかでか浅く思えさせおはしまさむ。袖の涙も包みあへぬさまなりしを、供僧(ぐそう)などにや、並びたる人々、あやしく思ひけるにや、「近く寄りて見奉れ」と言ふも嬉しくて、参りて拝み参らするにつけても、「涙の残りはなほありけり」と思えて、

  露消えし後(のち)の形見の面影にまたあらたまる袖の露かな

十五日の月いと隈(くま)なきに、兵衛佐4)の局に立ち入りて、昔今(むかしいま)のこと思ひ続くるも、なほ飽かぬ心地して、立ち出でて、明静院殿(みやうじやうゐんどの)の方ざまにたたずむほどに、「すでに入らせおはします」など言ふを、「何事ぞ」と思ふほどに、今朝、深草の御所にて見参らせつる御影、入らせおはしますなりけり。案(あん)とかやいふものに据ゑ参らせて、召次(めしつぎ)めきたる者四人してかき参らせたり。仏師にや、墨染の衣(ころも)着たる者、奉行して二人あり。また、預(あづかり)一人、御所侍一・二人ばかりにて、継紙(つぎがみ)覆ひ参らせて、入らせおはしましたるさま、夢の心地して侍りき。

「十善万乗(じふぜんばんじよう)の主(あるじ)として、百官にいつかれましましける昔は、覚えずして過ぎぬ。太上天皇の尊号をかうぶりましまして後、仕へ奉りしいにしへを思へば、忍びたる御歩(あり)きと申すにも、御車寄せの公卿・供奉の殿上人などはありしぞかし」と思ふにも、「まして、いかなる道に、一人迷ひおはしますらん」など思ひやり奉るも、今初めたるさまに、悲しく思え侍るに、つとめて万里小路の大納言師重5)のもとより、「近きほどにこそ。夜べの御あはれ、いかが聞きし」と申したりし返事に、

  虫の音(ね)も月も一つに悲しさの残る隈なき夜半の面影

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翻刻

そののちいませからぬほとに申うけ給けるもむかしなからの
心ちするに七月のはしめのころよりすきにし御所の御三
めくりにならせおはしますとてふし見の御所にわたらせお
はしませは何となく御あはれもうけ給はりたくいまはのこる/s236l k5-57

http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/236

かた見もなけれはかくへき経はいま一部なを残り侍れ
ともことしはかなはぬも心うけれは御所の御あたりちかく
候てよそなからも見まいらせんなと候しに十五日のつと
めてはふかくさの法花たうへまいりたるに御影の新く
つくられさせおはしますとてすゑまいらせたるををかみまいら
するにもいかてかあさくおほえさせおはしまさむ袖の涙も
つつみあへぬさまなりしを供僧なとにやならひたる人々
あやしくおもひけるにやちかくよりてみたてまつれと
いふもうれしくてまいりてをかみまいらするにつけても
涙の残りはなをありけりとおほえて
   露消し後のかた見のおもかけに又あらたまる袖の露哉/s237r k5-58
十五日の月いとくまなきに兵衛佐のつほねにたち入て
むかしいまのことおもひつつくるもなをあかぬ心ちしてたち
いててみやうしやう院とののかたさまにたたすむほとにすてに
いらせおはしますなといふを何事そと思ふほとにけさ
深草の御所にてみまいらせつる御影いらせおはしますなり
けりあんとかやいふ物にすゑまいらせてめしつきめきたる
もの四人してかきまいらせたり仏師にや墨染のころも
きたるもの奉行して二人あり又あつかり一人御所さふらひ
一二人はかりにてつきかみおほひまいらせて入せおはしまし
たるさま夢の心地して侍き十せん万せうのあるしと
して百官にいつかれましましけるむかしはおほえすして過/s237l k5-59

http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/237

ぬ太上天皇のそん号をかうふりましましてのちつかへたて
まつりしいにしへをおもへはしのひたる御ありきと申す
にも御くるまよせの公卿くふの殿上人なとはありしそかし
とおもふにもましていかなる道にひとりまよひおはしますらん
なとおもひやりたてまつるもいまはしめたるさまに
かなしくおほえ侍につとめてまての小路の大納言もろしけ
のもとよりちかきほとにこそよへの御あはれいかかききしと
申たりし返事に
   虫のねも月もひとつにかなしさの残るくまなき夜半の面かけ/s238r k5-60

http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/238

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1)
「いぶせからぬ」は底本「いませからぬ」。
2)
後深草院
3)
深草法華堂。後深草院の墓所。
4)
女房名。5-24参照。
5)
北畠師重
text/towazu/towazu5-25.txt · 最終更新: 2019/11/16 11:58 by Satoshi Nakagawa