ユーザ用ツール

サイト用ツール


text:towazu:towazu1-42

とはずがたり

巻1 42 還御の夕方女院の御方より御使ひに中納言殿参らる・・・

校訂本文

<<PREV 『とはずがたり』TOP NEXT>>

還御の夕方、女院1)の御方より、御使ひに中納言殿2)参らる。「何事ぞ」と聞けば、

「二条殿が振舞のやう、心得ぬことのみ候ふ時に、この御方の御伺候(しこう)をとどめて候へば、ことさらもてなされて、三衣(みつぎぬ)を着て、御車に参り候へば、人のみな、『女院の御同車(どうしや)」と申し候ふなり。これ、詮なく覚え候ふ。よろづ面目なきことのみ候へば、暇(いとま)を給ひて、伏見などに引きこもりて、出家して候はんと思ひ候ふ」。

といふ御使なり。御返事には、

「承り候ひぬ。二条がこと、今さら承るべきやうも候はず。故大納言典侍3)あり。このほど、夜昼奉公し候へば、人よりすくれて不憫(ふびん)に覚え候ひしかば、『いかほども』と思ひしに、『あへなく失せ候ひし形見には、いかにも』と申し置き候ひしに、了承(りやうしやう)申しき。故大納言4)、また最期に申す子細候ひき。君(きみ)の君たるは臣下の心ざしにより、臣下の臣たることは君の恩によることに候ふ。最期終焉に申し置き候ひしを、心よく了承し候き。したがひて、後の世の障りなく、思ひ置くよしを申して、まかり候ひぬ。二度(ふたたび)返らざるは言の葉に候5)。さだめて草の陰にても見候ふらん。何事の身の咎(とが)も候はで、いかが御所をも出だし、行方も知らずも候ふべき。また、三衣を着候ふこと、今始めたることならず候ふ。四歳の年、初参(しよさむ)の折、『わが身6)、位浅く候ふ。祖父(おほぢ)久我太政大臣7)が子にて参らせ候はん』と申して、五つ緒の車・数袙(かずあこめ)8)・二重織物、ゆり候ひぬ。そのほか9)、また大納言の典侍は北山の入道太政大臣10)の猶子(いうし)とて候ひしかば、ついでこれも准后御猶子の儀にて、袴(はかま)を着初め候ひし折、腰を結(い)はせられ候ひし時、いづ方につけても、数衣(かずきぬ)11)、白き袴などは許すべしといふこと、古り候ひぬ。車寄などまでもゆり候ひて、年月になり候ふが、今さらかやうに承はり候ふ、心得ず候ふ。いふかひなき北面の下臈風情の者などに、「一つなる振舞などばし候ふ」など言ふことの候ふやらん。さやうにも候はば、細かに承り候ひて、はからひ沙汰し候ふべく候ふ。さりと言ふとも、御所を出だし、行方知らずなどは候ふまじければ、女官風情にても召し使ひ候はんずるに候ふ。大納言、二条といふ名を付きて候ひしを、返し参らせ候ひしことは、世隠れなく候ふ。されば、呼ぶ人候はず、呼ばせ候はず。『われ、位浅く候ふゆゑに、祖父(おほぢ)か子にて参り候ひぬる上は、小路名(こうぢな)を付くべきにあらず候ふ。詮じ候ふところ、ただしばしは、あが子にて候へかし。何さまにも、大臣は定まれる位に候へば、その折一度(いちど)に付け候はん』と申し候ひき。太政大臣の女(むすめ)にて、数衣は定まれることに候ふ上、家々面々に、『われも、われも』と申し候へども、花山・閑院ともに、淡海公12)の末より次々、また申すに及ばず候ふ。久我は村上の前帝(ぜんてい)13)の御子、冷泉(れんぜい)14)・円融院15)の御弟(おとと)、第七皇子具平親王よりこの方、家久しからず。されば、今までも、かの家、女子(をんなご)は宮仕ひなどは望まぬことにて候ふを、母、奉公の者なりとて、『その形見に』など、ねんごろに申して、幼少の昔より召し置きて侍るなり。『さだめて、そのやうは御心得候ふらむ』とこそ思え候ふに、今さらなる仰せごと、存(ぞむ)のほかに候ふ。御出家のことは、宿善内にもよほし、時至るばかりに候へば、何とよそよりはからひ申すによるまじきことに候ふ」

とばかり、御返事に申さる。

その後は、いとどこと悪しきやうなるもむつかしながら、ただ御一所(ひとところ)16)の御心ざし、なほざりならずさに、なぐさめてぞ侍る。

<<PREV 『とはずがたり』TOP NEXT>>

翻刻

つきの日そ京の御所へいらせおはしましぬる還御の
夕かた女院の御かたより御つかひに中納言殿まいらる
なに事そときけは二条殿かふるまひのやう心えぬ
事のみ候時にこの御かたの御しこうをととめて候へは
ことさらもてなされて三きぬをきて御くるまにまいり
候へは人のみな女院の御とうしやと申候なりこれせん
なく覚候よろつめむほくなき事のみ候へはいとまを給
てふしみなとにひきこもりて出家して候はんと思候/s56r k1-102
といふ御つかひなり御返事にはうけ給候ぬ二条か事
いまさらうけ給へきやうも候はす故大納言すけあり
この程よるひるほうこうし候へは人よりすくれてふひ
んにおほえ候しかはいか程もと思ひしにあへ
なくうせ候しかたみにはいかにもと申をき候しに
りやうしやう申き故大納言又さいこに申しさい候き
君のきみたるは臣下の心さしによりしんかの臣たることは
きみのおむによる事に候さいこしうゑんに申をき
候しを心よくりやうしやうし候きしたかひて
のちの世のさはりなく思をくよしを申てまかり候ぬ
二たひかへらさるはことの葉には(候歟)さためて草のかけにても/s56l k1-103

http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/56

み候らんなに事の身のとかも候はていかか御所をもい
たし行ゑもしらすも候へき又三きぬをき候事いま
はしめたることならす候四さいのとししよさむのをり
わか身位あさく候おほち久我太政大臣かこにてまいら
せ候はんと申て五をのくるまかすあこめふたへをり
物ゆり候ぬそのゆか又大納言のすけは北山の入道太政
大臣のいうしとて候しかはつゐてこれもしゆこう御
いうしのきにてはかまをきそめ候しおりこしを
いはせられ候し時いつかたにつけてもか(う歟)すきぬしろき
はかまなとはゆるすへしといふことふり候ぬくるまよせ
なとまてもゆり候てとし月になり候かいまさらかやうに/s57r k1-104
うけ給候心えす候いふかひなき北面の下らうふせいの
物なとに一なるふるまひなとはし候なといふ事の
候やらんさやうにも候ははこまかにうけ給候てはからひ
さたし候へく候さりといふとも御所をいたし行ゑしらす
なとは候ましけれは女官ふせいにてもめしつかひ候はん
するに候大納言二条といふ名をつきて候しを返し
まいらせ候し事は世かくれなく候されはよふ人候はす
よはせ候はす我くらゐあさく候ゆへにおほちか子にて
まいり候ぬるうへはこうち名をつくへきにあらす候せむ
し候所たたしはしはあかこにて候へかしなにさま
にも大臣はさたまれるくらゐに候へはそのおり一とに/s57l k1-105

http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/57

つけ候はんと申候き太政大臣のむすめにてかすきぬは
さたまれる事に候うへ家々めんめんに我も我もと申
候へとも花山かん院ともにたんかい公のすゑよりつきつき
又申におよはす候久我はむらかみの前ていの御子れん
せいゑんいう院の御おとと第七わうし具平親王
よりこのかた家ひさしからすされはいままてもかの家女
こは宮つかひなとはのそまぬ事にて候をははほうこう
のものなりとてそのかたみになとねんころに申て
ようせうのむかしよりめしをきて侍也さためてその
やうは御心え候らむとこそおほえ候にいまさらなる
おほせ事そむのほかに候御出家の事はしゆくせん/s58r k1-106
うちにもよほし時いたる斗に候へはなにとよそよりは
からひ申によるましきことに候とはかり御返事に
申さるそののちはいととことあしきやうなるもむつかし
なからたたか(御歟)ひところの御心さしなをさりならすさに
なくさめてそ侍/s58l k1-107

http://kotenseki.nijl.ac.jp/biblio/100218515/viewer/58

<<PREV 『とはずがたり』TOP NEXT>>

1)
東二条院・後深草院中宮西園寺公子
2)
東二条院女房
3)
作者母
4) , 6)
作者父、久我雅忠。
5)
「候」は底本「は(候歟)」。
7)
久我通光
8)
「薄袙(うすあこめ)」の誤写という説(角川文庫)もある。
9)
「ほか」は底本「ゆか」。
10)
西園寺実氏
11)
「数衣」は底本「か(う歟)すきぬ」。「か」に「う歟」と傍書。傍書を採用し、薄衣とする説もある。
12)
藤原不比等
13)
村上天皇
14)
冷泉天皇
15)
円融天皇
16)
「御一所」は底本「か(御歟)ひところ」。「か」に「御歟」と傍書。
text/towazu/towazu1-42.txt · 最終更新: 2019/09/03 15:09 by Satoshi Nakagawa