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沙石集

巻8第4話(97) 畜生の霊の事

校訂本文

寛元年中のことにや、洛陽に騒ぐことありて、坂東の武士、馳せ上ること侍りき。あひ知りたる武士、引かせたる馬の中に、ことに頼みたる馬に向ひて、「畜生も心あるものなれば聞け。今度、自然(じねん)のこともあらば、なんぢを頼みて、君の御大事にあふべし。されば、余の馬よりも物を別に増して飼ふべし。かへすがへす不覚すな。頼むぞよ」と言ひて、舎人に言ひ付けて、別に用途を下し賜びけるを、この舎人、馬には飼はずして、私に用ゐけり。

さて、京へ上り着きぬ。この舎人、にはかに物に狂ひて、口走りて言ふやう、「殿の仰せに、『なんぢを頼むなり。自然の大事もあらば不覚すな』とて、別に物を添へて下し賜べば、『いかにも御勢にあひ参らせん』と思ふに、おのれが物を取り食(くら)ひて、われにはくれねば、力もあらばこそ御大事にもあはめ、憎きやつなり」と言ひて、やうやうに狂ひけり。

とかく、すかしこしらへて治りてけり、かの子息の物語なり。畜生なれども、かやうに心あるにこそ。みだりに狂惑すべからず。

昔物語にも、ある人の女(むすめ)、情(なさけ)深く慈悲ありて、よろづの者のあはれみけるに、遣水(やりみづ)の中に小き蟹(かに)のありけるを、常に養ひけり。年久しく食物を与へけるほどに、この女、見目形よろしかりけるを、蛇、思ひかけて、男に変じて来たりて、親に乞ひて、妻にすべきよしを言ひつつ、隠すことなく蛇なるよしを言ふ。

父、このことを歎き悲しみて、女にこのやうを語る。女、心あるものにて、「力及ばぬ、わが身の業報にてこそ候ふらめ。『かなはじ』と仰せらるるならば、その御身も、わが身も、いたづらになりなんず。ただ許させ給へ。この身をこそいたづらになさめ。かつは孝養にこそ」と、うちくどき泣く泣く申しければ、父、悲しく思ひながら、ことわりに折れて、約束して日どりしてけり。

女、日ごろ養ひける蟹に、例の物食はせて言ひけるは、「年ごろ、おのれをあはれみ養ひつるに、今はその日数(ひかず)いくほどあるまじきこそあはれなれ。かかる不祥にあひて、蛇に思ひかけられて、その日、われはいづくへかとられて行かんずらん。またも養はずしてやみなんことこそ、いとほしけれ」とて、さめざめと泣く。人と物語らんやうに、言ひけるを聞きて、物も食はで這ひ去りぬ。

その後、かの約束の日、蛇ども大小あまた家の庭に這ひ来たる。恐しなんどいふばかりなし。ここに、山の方より、蟹、大小いくらといふ数も知らず這ひ来たりて、この蛇をみな挟み殺して、すべて別のことなかりけり。恩を報ひけること、あはれにこそ。

人は情(なさけ)あるべきにぞ。山陰の中納言1)の、河尻にて海亀を買ひて放たれけるゆゑに、その子の海にあやまちて落ち入りてけるを、亀の甲に乗せて助けたること2)、申し伝へたり。

されば、八幡の御託宣にも、「乞食・癩・蟻・螻までもあはれむべし。慈悲広ければ命長し」とのたまへり。蟹なんどの恩を知るべしとも思えねども、虫類もみな仏性あり、霊知あり。などか心もなからむ。

ある沢のほとりに、大中小の三の蟹ありけり。蛇を挟みけるに、蛇、木に登る。やがて続きて、大なると中なる蟹、木に這ひ登りて挟まんとするに、蛇、口より白き水を吐きかく。蟹、これにしじけて這ひ降りて、力もなき体(てい)なり。小き蟹、蕗(ふき)の葉を挟み切りて、うちかづき木に登る。蛇、また白き水を吐きかくれども、葉にかかりて、蟹にはかからず。その時、葉をうち捨てて、這ひ寄りて、ひしひしと挟む。蛇、耐えずして、木より落つに、二つの蟹、力出で来て、さし合はせて挟み殺しつ。

さて、大なる蟹、蛇を三つに挟み切りて、頭の方をはわが分にし、中をは中の蟹の前に置き、尾の方をば小蟹の前に置くに、小蟹、泡をかみて、ふしふしとしてうちしさりて食はず。「われこそ奉公したれ」と言ふ心にやと見えけり。その時、大蟹、わが分の頭の方を小蟹の前に置き、尾の方をわが分にする時、小蟹食してけり。さもありぬべし。畜生も心はただ人に変らぬにや。

遠州にも、燕(つばくらめ)の雌、死せり。雄、妻を尋ねて来たる先の子、栖(すみか)にありけるを、今の雌、うばらの実を食はせて、みな殺しつ。雄、これを見て、雌を食ひ殺してけり。嫉妬の心ありける人にたがはず。これ、たしかに見たる人の物語なり。

翻刻

  畜生之霊事
寛元年中ノ事ニヤ洛陽ニサハク事有リテ坂東ノ武士ハセ
ノホルコト侍キ相知タル武士ヒカセタル馬ノ中ニコトニ憑タル/k8-292l

https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=291&r=0&xywh=-903%2C-1%2C6967%2C4142

馬ニムカヒテ畜生モ心アルモノナレハキケ今度自然ノ事モア
ラハ汝ヲ憑テ君ノ御大事ニアフヘシサレハ餘ノ馬ヨリモ物ヲ
別ニマシテ飼ヘシ返々不覚スナタノムソヨトイヒテ舎人ニ云付
テ別ニ用途ヲ下シタヒケルヲコノ舎人馬ニハカハスシテ私ニ用
ケリサテ京ヘ上著ヌコノ舎人俄ニ物ニ狂テ口ハシリテイフヤウ
殿ノ仰ニ汝ヲタノム也自然ノ大事モアラハ不覚スナトテ別ニ
物ヲソヘテ下シタヘハイカニモ御勢ニアヒ参ラセント思ニヲノレ
カ物ヲトリクラヒテ我ニハクレネハ力モアラハコソ御大事ニモア
ハメニクキヤツナリト云テヤウヤウニ狂ヒケリトカクスカシコシラヘ
テナヲリテケリ彼子息ノ物語ナリ畜生ナレトモ加様ニ心有ニ
コソミタリニ狂惑スヘカラスムカシ物語ニモ或人ノ女ナサケ深
ク慈悲アリテヨロツノ者ノアハレミケルニヤリ水ノ中ニ小キ蟹ノ/k8-293r
有ケルヲ常ニヤシナヒケリ年ヒサシク食物ヲアタヘケルホトニ此
ムスメミメカタチヨロシカリケルヲ蛇思カケテ男ニ変シテキタリテ
親ニコヒテ妻ニスヘキヨシヲ云ツツカクス事ナク蛇ナル由ヲ云
父此事ヲナケキカナシミテ女ニ此ヤウヲカタル女心アルモノニ
テ力ヲヨハヌ我身ノ業報ニテコソ候ラメカナハシト仰ラルルナ
ラハ其御身モ我身モ徒ニナリナンスタタユルサセ給ヘ此身ヲコ
ソ徒ニナサメカツハ孝養ニコソト打クトキナクナク申ケレハ父カ
ナシク思ヒナカラコトハリニオレテ約束シテ日トリシテケリ女日比
ヤシナヒケル蟹ニ例ノ物クハセテ云ケルハ年来ヲノレヲ哀レミ
ヤシナヒツルニ今ハ其日カスイクホトアルマシキコソアハレナレカ
カル不祥ニアヒテ蛇ニ思ヒカケラレテ其日我ハ何クヘカトラレ
テユカンスラン又モヤシナハスシテヤミナン事コソイトオシケレトテサ/k8-293l

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メサメト泣ク人ト物カタラン様ニイヒケルヲ聞テ物モクハテハヒ
サリヌソノ後カノ約束ノ日蛇共大小アマタ家ノ庭ニハヒ来
ルオソロシナントイフハカリナシ爰ニ山ノ方ヨリ蟹大小イクラ
トイフ数モシラスハヒ来リテ此蛇ヲ皆ハサミ殺シテ都テ別ノ事
ナカリケリ恩ヲムクヒケル事哀ニコソ人ハ情ケ有ヘキニソ
山陰ノ中納言ノ河尻ニテ海亀ヲカヒテハナタレケルユヘニ其
子ノ海ニアヤマチテ落入テケルヲ亀ノ甲ニノセテタスケタル事
申伝タリサレハ八幡ノ御託宣ニモ乞食癩蟻螻マテモ哀ム
ヘシ慈悲ヒロケレハ命長シトノ給ヘリ蟹ナントノ恩ヲシルヘシ
トモ覚ヘネトモ虫類モ皆仏性有リ霊知アリナトカ心モナカラ
ムアル沢ノ辺ニ大中小ノ三ノカニ有ケリ蛇ヲハサミケルニ蛇
木ニノホルヤカテツツキテ大ナルト中ナルカニ木ニハヒノホリテハ/k8-294r
サマントスルニ蛇口ヨリ白キ水ヲハキカク蟹是ニシシケテハヒオ
リテ力モナキテイナリ小キ蟹フキノ葉ヲハサミキリテウチカツキ
木ニノホル蛇又白キ水ヲハキカクレトモ葉ニカカリテカニニハカ
カラス其時葉ヲウチステテハヒヨリテヒシヒシトハサム蛇タヱスシテ
木ヨリオツニ二ノカニ力ライテキテサシアハセテハサミ殺シツサテ
大ナルカニ蛇ヲ三ニハサミキリテ頭ノ方ヲハ我分ニシ中ヲハ中
ノカニノマヘニ置尾ノ方ヲハ小蟹ノ前ニヲクニ小カニアハヲカ
ミテフシフシトシテウチシサリテクワス我コソ奉公シタレト云心ニヤ
ト見ヘケリ其時大カニ我カ分ノ頭ノ方ヲ小カニノ前ニヲキ尾
ノ方ヲ我分ニスル時小カニ食シテケリサモアリヌヘシ畜生モ心
ハ只人ニカハラヌニヤ遠州ニモツハクラメノ雌死セリ雄妻ヲ尋
テ来ルサキノ子栖ニ有ケルヲ今ノ雌ウハラノミヲクハセテミナ殺/k8-294l

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シツ雄是ヲ見テ雌ヲクヒ殺シテケリ嫉妬ノ心有ケル人ニタカハ
ス是タシカニ見タル人ノ物語ナリ/k8-295r

https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=294&r=0&xywh=1045%2C472%2C5805%2C3451

text/shaseki/ko_shaseki08a-04.txt · 最終更新: 2019/02/19 16:34 by Satoshi Nakagawa
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