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text:shaseki:ko_shaseki07a-03

沙石集

巻7第3話(80) 老僧の年を隠す事

校訂本文

武州に、西玉の阿闍梨といふ僧ありけり。「御年はいくらにならせ給ふぞ」と、人問ひければ、「六十に余り候ふ」と言ふに、七十にも余りて見えければ、不審に思えて、「六十にはいくらほど余り給へるぞ」と問へば、「十四余りて候ふ」と言ひける。はるかの余りなりけり。七十と言へるよりも、六十と言へば少し若き心地して、かく言ひける。人の常の心なり。

色代(しきだい)にも、「御年よりもはるか若く見え給ふ」と言ふは嬉しく、「ことのほかに老いてこそ見え給へ」と言へば、心細く本意なきは、人ごとの心なり。

この心を、よくよく思へば、人間の余執尽きがたくして、この仮(かり)なる身の惜しく、住処も心とどまり、妻子・眷属よろづにつけて執心あるゆゑに、老病も、死苦も、恐ろしく疎ましく思ゆる心なるべし。のがるべき道にもあらず、添ひ果つべき伴(とも)にもあらず。夢のごとくにして、業に任せて散り散りになるべき身なり。

この身は、父母の遺渧(ゆゐたい)を受け、また地水火風をかり集めて作れり。固き所は地、濡れたるは水、暖かなるは火、動くは風なり。この中に、われと頼むべきものなし。心こそわれと言ふべきに、妄心は妄境を縁じて、念々に移り消え、刹那刹那生滅して、しばらくもとどまることなし。身も心も頼むべきものなし。息絶えぬれば心も失せ、身ももとに返りりぬ。暖かなるは火に返り、濡れたる所は水に返り、動くことは風に返り、固き所は地に返る。やさしく情けある心も、猛くかしこき心も、いづちか行きぬらむ。ただ木のごとくして、焼けば灰となり、埋(うづ)めば土となる。かしこきもいやしきも、誰かこのことを逃れん。

楽天1)いはく、「古墓何代人。不知姓与名。化作路傍土。年々春草生。(古き墓何れの代の人ぞ。姓と名を知らず。化して路傍の土となる。年々春の草のみ生じたり)」と。まことに玉の台(うてな)を磨けども、野辺こそつひの住処(すみか)なれ。錦のしとねを重ぬれども、夕べの煙ぞ形見なる。何事にか執心もとどまるべき。

またいはく、「筋骸本無実。一束芭蕉草、眷属偶相依。一夕同林鳥(筋骸もと実無し。一束の芭蕉の草、眷属たまたま相依る。一夕林を同じくする鳥)、去るとも惜しみ慕ふことなかれ。住すとも、また愛し欲(おも)ふことなかれ」と言へり。げにも仮なる身、しはらくの伴(とも)なり。

昔、仏法を求むる道人ありけり。ある山の中を行くに、二人の山賤(やまがつ)、一人は臥して、一人は畠を作るあり。父子なるべし。寄りて見れば、その子、毒蛇のために刺されて、にはかに死せり。父、歎く気色なくて、この道人に語りていはく、「そのおはする路のほとりに家あり。これわが家なり。それより食を持ちて来べし。ただ今、この子、にはかに死せり。「一人が食を持ちて来たれ』と告げて給ふべし」と言ふ。道人、「父子の別れは悲しかるべし。いかにの難の色なき」と問ふに、答へていはく、「人の親子は、わづかの契(ちぎり)なり。鳥の夜林に寄り合ひて、明くれば、方々(かたがた)に飛び去るがごとし。みな、業にまかせて離れ別るべし。何の歎きかあらん」。

さて、かの家へ行きて見れば、女人、食物を持ちて、門にあふ。「しかじか」と語れば、「さては」とて、一人が食をとどむ。家の内に老女あり。僧問ふ、「かの死せる人は、その御子か」と問ふ。「しかり」と答ふ。「など歎きたる気色なき」と問へば、「何をか歎くべき。母子の契は、渡りに船に乗りて行くが、岸に着きぬれば、散り散りになるがごとし。おのおのが業にまかせて行くなり。驚くべきことにあらず」と言ふ。

またこの女人に、「この死せる人は、そこには何ぞ」と問ふ。答へていはく、「わが男なり」と言ふ。「いかに歎きたる気色なきぞ」と言へば、「何をか歎くべき。夫婦のなからひは、市に人の行き会ひて、要事過ぎぬれば、方々に散るがごとし。添ひ果つべき習ひにあらず」と言ひける時、この道人、「万法の因縁、仮にして執心あるべからず。在家人の中にすら、かかる心もあり」と、慚愧の心おこりて、諸法の因縁、幻化虚妄(げんけこまう)のことを頼りとして、すなはち仏法を悟りにけるとぞ2)

まことに深き悟りまでは堅くとも、無常転変の世、幻化虚妄のこと、見ても知り、聞きてもわきまふべし。誰か長生の齢(よはひ)に楽しみ、不死の薬を服せる。よくよく無常の道理を知りて、常住の仏法を尋ぬべし。

翻刻

  老僧之年隠事
武州ニ西玉ノ阿闍梨ト云僧有ケリ御年ハイクラニナラセ
給ソト人問ケレハ六十ニアマリ候トイフニ七十ニモアマリテ
見ヘケレハ不審ニ覚テ六十ニハイクラホトアマリ給ヘルソト問
ヘハ十四アマリテ候トイヒケルハルカノアマリナリケリ七十トイ
ヘルヨリモ六十トイヘハスコシワカキ心地シテカクイヒケル人ノツ/k7-256l

https://rmda.kulib.kyoto-u.ac.jp/item/rb00012949#?c=0&m=0&s=0&cv=255&r=0&xywh=-2442%2C600%2C5375%2C3195

ネノ心ナリ色代ニモ御年ヨリモハルカワカク見ヘ給トイフハウレ
シク事ノホカニ老テコソ見ヘ給ヘトイヘハ心ホソク本意ナキハ
人コトノ心ナリ此心ヲヨクヨク思ヘハ人間ノ餘執ツキカタクシテ
此カリナル身ノオシク住処モ心トトマリ妻子眷属ヨロツニツケ
テ執心有ル故ニ老病モ死苦モオソロシクウトマシク覚ユル心
ナルヘシノカルヘキ道ニモアラスソヒハツヘキ伴ニモアラス夢ノ如
クニシテ業ニ任セテチリチリニナルヘキ身ナリ此身ハ父母ノ遺渧
ヲウケ又地水火風ヲカリアツメテツクレリカタキ所ハ地ヌレタ
ルハ水アタタカナルハ火動クハ風ナリ此中ニ我トタノムヘキモ
ノナシ心コソ我トイフヘキニ妄心ハ妄境ヲ縁シテ念々ニウツリキ
ヱ刹那々々生滅シテ暫モトトマル事ナシ身モ心モタノムヘキモノ
ナシ息タヱヌレハ心モウセ身モ本ニカヘリヌアタタカナルハ火ニカ/k7-257r
ヘリヌレタル所ハ水ニカヘリ動ク事ハ風ニカヘリカタキ所ハ地ニ
カヘルヤサシクナサケアル心モタケクカシコキ心モイツチカ行ヌラ
ムタタ木ノコトクシテ焼ケハ灰トナリウツメハ土トナルカシコキモイ
ヤシキモ誰カコノ事ヲノカレン楽天云古墓何代人不知姓
与名化作路傍土年々春草生トマコトニ玉ノウテナヲミカケ
トモ野辺コソツヰノスミカナレ錦ノシトネヲカサヌレトモ夕ノ煙ソ
カタミナル何事ニカ執心モトトマルヘキ又云筋骸本無実一
束芭蕉草眷属偶相依一夕同林鳥去ルトモオシミシタフ事
ナカレ住ストモ又愛シ欲フ事ナカレトイヘリケニモカリナル身シ
ハラクノ伴ナリ昔シ仏法ヲモトムル道人有ケリ有ル山ノ中ヲ
ユクニ二人ノ山カツ一人ハ臥テ一人ハ畠ヲツクルアリ父子
ナルヘシヨリテ見レハソノ子毒蛇ノタメニササレテニハカニ死セ/k7-257l

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リ父ナケク気色ナクテ此道人ニカタリテ云ソノオハスル路ノホ
トリニ家アリコレ我家ナリソレヨリ食ヲモチテ来ヘシ唯今此
子ニハカニ死セリ一人カ食ヲモチテ来レトツケテ給ヘシトイフ
道人父子ノ別ハカナシカルヘシ何ニ難ノ色ナキト問ニ答テ云
人ノ親子ハワツカノ契リナリ鳥ノ夜ル林ニヨリアヒテアクレハ
カタカタニ飛去カ如シミナ業ニマカセテ離レ別ルヘシナニノ歎カ
アランサテカノ家ヘユキテ見レハ女人食物ヲモチテ門ニアフシカ
シカトカタレハサテハトテ一人カ食ヲトトム家ノ内ニ老女アリ
僧トフ彼死セル人ハソノ御子カト問フシカリト答フナトナケキ
タル気色ナキト問ヘハナニヲカナケクヘキ母子ノ契ハワタリニ船
ニノリテユクカ岸ニツキヌレハチリチリニナルカ如シ各カ業ニマカ
セテ行ナリ驚クヘキコトニアラストイフ又コノ女人ニコノ死セル人ハ/k7-258r
ソコニハナニソト問フ答テイハク我カ男ナリト云何ニナケキタル
気色ナキソト云ヘハナニヲカ歎クヘキ夫婦ノナカラヒハ市ニ人ノ
ユキアヒテ要事スキヌレハ方々ニチルカ如シソヒハツヘキ習ヒニ
アラストイヒケル時コノ道人万法ノ因縁カリニシテ執心アルヘ
カラス在家人ノ中ニスラカカル心モアリト慚愧ノ心オコリテ
諸法ノ因縁幻化虚妄ノ事ヲタヨリトシテ即チ仏法ヲサトリニ
ケルトソ誠ニフカキ悟リマテハ堅ク共無常転変ノ世幻化虚
妄ノ事見テモシリ聞テモワキマフヘシ誰カ長生ノヨハヒニ楽ミ
不死ノクスリヲ服セルヨクヨク無常ノ道理ヲシリテ常住ノ仏
法ヲタツヌヘシ/k7-258l

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1)
白居易
2)
『今昔物語集』4-35に類話がある。


text/shaseki/ko_shaseki07a-03.txt · 最終更新: 2019/02/02 12:39 by Satoshi Nakagawa